040504.大島一声先生のおことば。あるがまま。
今日の日暮しはいつもあるがままに、そのままにいただいていく。それでよい、とは愛の声。
どうにもならん我が家もいつもこれでよし。それでよし、とは愛の声。
あるがままにてよし、とは愛の声。
そこは手を合わせようと思い立つところである。
心に響くことば造りの名人が富山県にいるんです。
大島一声先生です。先生は浄土真宗の僧侶です。
すてきなことばを沢山造って、私達にプレゼントしてくれます。
私が最も尊敬しているお坊様です。
私は苦しいとき、つらい時、悲しい時、いつもナームっと手を合わせて
先生がプレゼントしてくれた上記のことばをいただいているんですよ。
あるがままではとってもおちつけない私が、
そのままでよし、と言う愛の声に支えられて、
離婚もせず、逃げ出すこともなく、不思議と
今日までこのままの私でここにいるんですよね。
私は全盲です。息子はダウン症の子です。
妻は二年前、交通事故で指を切断し、精神的に乱れています。
と言うのも、妻は指圧師で、今は仕事ができないでいるからです。
まさに、ゴタゴタ続きの、どん底にある、障害者かぞくって感じなんですよ。
今、妻は洗濯も、掃除もしません。
しょうがない、私がやってます。
食事もほとんどセルフサービスですよ。
目は見えなくともちゃーんと料理できますよ。
でも時々失敗しちゃいますね。
鍋の中に食材を入れたつもりが鍋の外だったりするわけ。
そうなると料理どころではなくなって、
ガス台の掃除と言う事になっちゃいます。
その時は頭に血が上ってカリカリしちゃって、
もう止めた、と言って逃げ出したくなります。
ブツブツ一人で不足を言って、怒鳴って
気がすむまで一人ごとで文句を言うんです。
そしてその後に手を合わせてナームっと頭をさげるんです。
するとね、つぎの大島先生のおことばがいただけてきます。
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行っても行ってもここしかない。
待っても待っても今しかない。
今、ここを、手を合わせていただく。
道、おのずとひらく。
このことばで何百回助かったかなぁ?
妻に怒鳴ってみても、責めてみても、何一つ解決しませんね。
やはり、許し合っていくしかないですね。
そこでまた、次の大島先生のおことばがいただけてきます。
愛とは許すことです。
愛とは理解することです。
そして愛とは待つことです。
やがて時間が解決します。
時は愛だからです。
家と言うところは思うようにいかないところですよね。
妻もつらいと思います。皆お互いが大変なんですよね。
でも同じ家に今日一緒にいる。今、ご縁があって一緒にいる。
今日憎しみあっても、怒鳴りあっても、ドタバタしていても、
じゃまになっても、ならんでも、同じ家で生活している。
これは、絶対に変えようのない今現在のありようなんですよね。
そこでまた次のおことばがいただけてきます。
もろ手を上げて、我を捨てて、手を合わせる。
手を合わせる事は、自分の言い分を捨てる事なのです。
いただいたままを拝むのです。
それがナムの心です。
あれや、これやの計らいを捨て、
今いただいているものをいただく。
これがナムの心なのです。
これが愛の世界へ通じる第一歩となる。
このおことばをいただいて手を合わせるんです。
するとね、不思議とおちつけてきてそして、今日妻と息子が
無事で、たっしゃで、いてくれることを感謝できてきます。
妻も無事、息子も無事、よかったぁ、と心から喜べるんですよ。
私が今いただいている現実を、拝んで生きて行くわけです。
私の生きる道を、私の足で歩む。
その歩む、灯火が手を合わせる、ナムの心と言う、灯火なんです。
この光をいただいて、私は今ゴタゴタ続きの我が家の中にいるんですよ。
とわ言ってもねぇ、明日にはまたまた、不足は沸きあがってくるんですよ。
こんな家庭がどこにある、こんなかないがどこにおる。
おれってやつは世界一の不幸せ者だよ。明日はどうなるんだ?
こんなぐあいに次から次と、不足は湧き上がってくる。こりゃどうにもならん。
しかし不足だらけの自分に気付くときがあるんですよね。
その時はまた、ごめんなさい、ナームと手を合わせるんですよ。
するとね、次のおことばがいただけるんです。
このままいただけ、と愛の声。
この愛の声をいただいて、今のこのままの私で不思議とおちつけるのです。
そして更に次のおことばもいただけます。
あーぁやっぱり我が家はいつもこれでよし、との愛の声
このような調子で、宇宙いっぱいに広がる、愛に包まれて、支えられて、守られて、
精神的にはとてもらくーに生きているんです。
ありがとう、ナーム、合唱。
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