041030 大島一声先生のご法話から(4) 無常の世界、逃げてはあかん

いつ何が起こるか判らない。いつ何が起こっても不思議ではない。
このような世界を無常と言うのです。
私達は、この無常の世界で生きています。
だから、我々の命も、いつ何時、絶たれるか判りません。
家族の者や、知り合いの者が災難や事故で、突然命を絶つ事もあるわけです。
このような事が起こった場合、あぁ、こんな事もある。
このようなことは、かねてから判っておりました。
いつ何時、何が起こっても、不思議ではないと言う、
無常と言われる、この世界のことは知っておりました。
このように、納得して、手を合わせて受け止められるかどうかです。
仮に、ご主人が事故で亡くなったとするなら、お父さんは事故で死んだのではない。
いただいていた定めで、命を終えたのだ。
お父さん、長い間、ありがとうございました。
とその時すぐに送りことばが出るならば、その奥さんの命の営みが真であったからです。
もし、偽りの中で生きておれば、その時、答えることばはありません。
恨みと憎しみしかありません。
恨みと憎しみからは何も生まれてこないのです。
何か、家庭に起こると言うことは、そこには大きな意味があります。
つまり、そのおかげで真の命が始まるきっかけとなることもあるからです。
人生に災難、と言う事はないものです。
その事に会わなければ、人の命は目覚めることができないからです。
お払いなどして災難除けをする必要はないのです。
ただそれを、手を合わせていただいて行くだけです。
災いや障りが多ければ多いほど、人の命は豊かになるのです。


ここは娑婆、逃げてはあかん。
悲しい時は大声で泣け。
苦しい時はのたうち回れ。
どん底落ちきれば永遠の愛に包まれる。



ある奥さんの嫁いだ家の姑さんが脳卒中で倒れました。
その奥さんは、長い間、一生懸命に生活の世話をしてきました。
しかし、あまりにも長い期間、お世話をしてきた為、ついに疲れ果てて、
もうこれ以上、めんどうは、見切れない、と言って、嫁いだ家を捨てて、自分の田舎に逃げ帰ったのです。
その奥さんには息子さんが一人おりました。
その子は母について行かず、家に残りました。
その息子さんが大学を卒業しました。
しかし、卒業して間もなく、車の事故で死んだのです。
その子が亡くなったきっかけで、その奥さんは、また嫁ぎ先に戻ったのです。
そして、奥さんは言いました、私は、死んだ息子に呼ばれて、またここに戻ることができました。
そして今逃げられない、と言うことばに気がつきました。
と言われて、今改めておばあさんのお世話をしております。
そして今、命の尊さをよくよく知りました。と言われるのです。
これはつまり、この世の中では楽にはなれん、と言うことなのです。
楽になろうと思っては大間違いなのです。
私達の人生においては、じぶんがいただいている場所に心からナムする時しか、
人は幸せだと感じることはできないものです。
人間は心で生きています。全く精神的なことから始まるのです。


逃げれば逃げたで、苦の色は変わる。
今日、生かされている場所で合唱する
自分の場所を顧みれば、必ずそこに懺悔と感謝が出てきます。
命の営みを忘れているから、楽になろうと思っても、
楽になれないのです。



この、世の中においては、苦はついて離れません。
しかし、自分に必要でない事は、自分の家庭には起こらないのです。
どんな事でも、自分にとって必要な事ばかりです。
だから、逃げてはいけないのです。逃げても楽にはなれません。
ただ、手を合わせて受け止めて行くだけです。ナーム合唱。
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