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問題の作業部屋

7月4日号 週間「新潮」 の記事を読んで
                                                     平成15年8月13日
 お東の経常費御依頼金問題が、週刊誌に記載されました。能登の裁判の争点の中心は、「懇志金」を本山が強要できるか否かという事です。その争点の中に、「懇志」の意味の定義の曖昧さがあります。普通に「懇志」といえば、志(こころざし)と理解されます。それが、宗門の財務においては、別の解釈があるようです。そうでなければ、このような訴訟問題が起こってこないでしょう。宗門の財務矛盾を、国法で照らし合わせているのです。今この問題を解決しないと、次々と訴訟が起こってくるかもしれません。勇気を持って、問題提起をしている山吹住職さんと、私達住職が同じ住職として、もっと話し合う必要性を感じます。私は、この財務問題に、ご門徒といわれる方の中の若い人々の声が、聞こえてこない事を危惧します。私は、社会において、世代間を通じて「私は真宗門徒です。」と名乗りをあげることができる宗門のすがたを求めたいと考えます。一つの具体的方法を思惟すると、各末寺院に門徒戸数を自主的に提出してもらう事をしてもらい、それを宗門の礎とすべきと考えます。門徒戸数には、各ご門徒名簿の提出も同時にお願いすべきですし、それに基づいた各寺院の門徒名簿記載者による門徒会の代表者を選出すれば、各門徒に自分の宗門の自覚が芽生えてきます。また、門徒名簿に記載された方々には、その証しとなる手立ても考えてみるのも、一考と思います。役員選出方法は大変かと思いますが、門徒1人に至るまで、大谷派は自分の宗門であるとの意識が持つことが出来ます。目前の流れだけでなく、次世代に繋がる募財システムを考えておかないと、本当に混迷を極めて行くと思います。私は、10年後宗門が目指している親鸞聖人の御遠忌法要を、次世代への「お念仏」伝承活動と位置づけています。最後の1人まで顔が見えてくる、私達の大谷派である事を願います。そうして行くことが、宗祖の教えを伝える真の相続のすがたと思えてくるのです。
(週間「新潮」の記事は能登の正覚寺HPにあります。トップぺ−ジのお友達リンクから見に行ってください。)


中外日報2月6日(2001年)

月刊誌「寺門興隆」
平成13年10月号





調 停 調 書





             住 職 の 思 惟

 京都教区近江第一組では、ご門信徒に対しは、金額提示されている内容説明もない経常費ご依頼を、何十年も非公開で続けてきた事実があります。 あまりにもお粗末な、役職僧の権力意識を感じます。
 僧侶がそのような不透明な行為を続け、不正が判明しても、それを自ら正そうとしなかった為に、このような新聞記事のように、問題化してしまいました。私としては、過去の金銭清算という事を求めず、過去と現在の反省と、未来の公儀公論の約束をもって、調停という形で区切りをつけましたが、本山の経常費の根拠と基準は、最後まで解かりませんでした。「懇志」のご依頼の社会常識とは、明らかに矛盾します。
 経常費問題の経緯は、月刊誌「寺門興隆」2001年4月号に詳しく記載されています。
 親鸞聖人の教えが、ご門信徒と朋(とも)に存在する事を知っていれば、社会の常識が通じない事を何時までも続けてはいけません。教団の存在そのものが、ご門徒に問われてくるように思えます。
 私は、経常費の問題は、過去の教団の内部分裂に関連していると思います。ご門徒さんと共に歩む事に目を向けていなかった証明書のように思えるのです。
 今こそ、親鸞聖人の教えを伝える事を門徒と共に考える時と思います。現在の寺院形態は、時代の波に変革を求められます。今世紀末には、現在の1億2千万の人口が、6千万人に向っているというのに...時代は待ってくれませんよ。ご一緒に思惟しましょう。

 ○ご意見は、Eメ−ルでお願いします。 

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