住 職 の 思 惟
京都教区近江第一組では、ご門信徒に対しは、金額提示されている内容説明もない経常費ご依頼を、何十年も非公開で続けてきた事実があります。 あまりにもお粗末な、役職僧の権力意識を感じます。
僧侶がそのような不透明な行為を続け、不正が判明しても、それを自ら正そうとしなかった為に、このような新聞記事のように、問題化してしまいました。私としては、過去の金銭清算という事を求めず、過去と現在の反省と、未来の公儀公論の約束をもって、調停という形で区切りをつけましたが、本山の経常費の根拠と基準は、最後まで解かりませんでした。「懇志」のご依頼の社会常識とは、明らかに矛盾します。
経常費問題の経緯は、月刊誌「寺門興隆」2001年4月号に詳しく記載されています。
親鸞聖人の教えが、ご門信徒と朋(とも)に存在する事を知っていれば、社会の常識が通じない事を何時までも続けてはいけません。教団の存在そのものが、ご門徒に問われてくるように思えます。
私は、経常費の問題は、過去の教団の内部分裂に関連していると思います。ご門徒さんと共に歩む事に目を向けていなかった証明書のように思えるのです。
今こそ、親鸞聖人の教えを伝える事を門徒と共に考える時と思います。現在の寺院形態は、時代の波に変革を求められます。今世紀末には、現在の1億2千万の人口が、6千万人に向っているというのに...時代は待ってくれませんよ。ご一緒に思惟しましょう。
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