防府の昔話と民話(4) :防府市立佐波中学校発行・編集「防府」より
(かつさかいたばしのおろく)
防府市から山口へと通じる国道262号線が佐波川を越えたあたりから、
勝坂とよばれる長い坂にさしかかる。
その坂を登りきるあたりに剣川(つるぎがわ)という小さな川が流れている。
その昔、勝坂は三田尻から萩へ向かう街道だった。
剣川に板の橋がかかり、その付近を板橋とよんでいた。
板橋付近の街道筋は茶屋や 煮売屋(にうりや)が軒を連ね、
旅人の休憩の場としてにぎわっていた。
この板橋の茶屋の一つにおろくというそれはそれは美しい娘がいた。
おろくの評判はたちまちにひろがり、わざわざ遠くからも
おろくの出すお茶を楽しみにくる客がふえてきた。
もちろん近郷の若者たちも何かの口実をつくっては、
おろくの茶屋に寄る者が多くなった。
勝坂の先、小鯖(おさば)の山奥からも若者たちが、
われもわれもと松葉を背負い、または馬に乗せて、
山坂越えては宮市まで売りに行く途中に、おろくの茶屋に立ち寄った。
若者たちのおろくにたいする熱の入れようはすさましいもので、
たくさんの松葉が売りに出されるので松葉の値が下がってしまったとも
言われた。
死んでしまわれ板橋おろく 生きて馬子(まご)の胸こがす
死んでしまわれ板橋おろく 松葉せんばの値が下がる
馬子衆の胸をこがし、松葉の値を下げるおろくにたいして、
人々はうらみをこめて残酷にも
「死んでしまわれ」
とうたったのだ。
おろくに恋こがれた者の中に一人の若侍がいた。
ある日、やるせない胸のうちを打ち明けたが、
おろくはそっけなくはねつけた。
かわいさあまって憎さ百倍、若侍の恋心は憎悪となって吹き出し、
ついに腰の刀を抜いて、声をあげて逃げるおろくを
一刀の元に切り捨ててしまった。
とうとう人々のうたったとおりにおろくは死んでしまったのだ。
おろくの死後、おろくの霊をなぐさめるために、
人々は街道べりに墓を建てた。
「おろくつか」と彫られた文字は、
おろくの美しさゆえに身を滅ぼした無念さを
見る人に訴えているかのようだ。
国道が拡張、舗装されることになり、
「おろくつか」の移転が問題になった際には、
地元の人々は出来るだけ動かさないようにとゆずらなかったそうだ。
今は車の騒音と排気ガスの中で、
ほとんど人の気配が感じられないひっそりとした墓の姿が
何ともあわれである。
時とともに変わっていく人の心を、おろくは今、
どんな気持ちでながめていることだろう。
おわり
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