山口の伝説
武士や姫の話
宝くらべ
〜宇部市〜
宇部市の北の方に、霜降山(しもふりやま)という山がある。
今からおよそ600年前、この山の上の城に、
厚東判官盛俊(ことうはんがんもりとし)という武将が住んでいた。
厚東判官は、周防、長門、安芸の三国をおさめる武将で、
たくさんの宝物を集めていた。
長雨のふりつづく五月のある日のこと、
「こんな雨つづきで、城の中にばかりおるのはあきあきした。
なにかおもしろいことでもあるまいか。」
と、判官はつぶやいて、ふと、床の間の金のニワトリに目をとめた。
それは日ごろじまんしている金のニワトリである。
「そうじゃ、よいことを思いついた。」
判官は、城中にひびきわたるような大声で、家来たちを大広間に集めた。
「みなのもの、よく聞くがよい。
あすの朝、原武者兵庫包村(はらむしゃひょうごかねむら)とこの判官が宝くらべをする。」
と、大声で言いはなった。
どんないちだいじがおきたかと、息をひそめて判官のことばを待っていた家来たちは、
思いがけないことばに、どっと声をあげた。
筆頭家老の包村はおどろいて、
「とんでもない。わが殿は三国一のおん大将。
わたしのようなものでは、とてもとても・・・・・・。」
と、しりごみしたが、聞き入れられなかった。
あくる朝、城の大広間には、日ごろうわさされている判官の宝物をひとめ見ようと、
おおぜいの家来がおしかけていた。
判官は、さも満足げに家来たちを見まわし、
「どうじゃ。これがわしの宝物じゃ。よく見るがよい。」
と、声高々と言った。
判官の指さす床の間には、なるほど三国一の大将が自慢するだけあって、
それはそれはりっぱな宝物がずらりとならんでいた。
中でも、金のニワトリ十二羽、金のネコ十二つがい、金銀、サンゴ、
綾錦は目をみはるばかりであった。
家来たちは、
「さすが、わが殿。なんというすばらしい宝の山だ。」
と、口ぐちにほめそやした。
ひととり判官の宝物を見おわると、こんどは包村の宝物を見ることになった。
包村は、下の間のふすまを開いた。
そこには、包村の長男太郎秀国(たろうひでくに)以下、
男の子七人、女の子五人がぎょうぎよくすわっていた。
「や、や、やあ。」
家来たちはおどろきの声をあげた。
と、すぐにおそば役の刑部友春(ぎょうぶともはる)がの、
「一のご家老包村さまの勝ちいっ。」
という声が高らかにあがった。
金ノニワトリや金のネコといっても、生きているわけではない。
子どもは、何にもかえがたい宝物というわけだ。
じまんの鼻をへしおられた判官は、くやしくてくやしくてたまらない。
それもそのはず、判官には子どもがいなかったからである。
判官はあまりのくやしさに、どうか子どもがさずかりますようにと、
中山(宇部市藤山区)の観音様に七日七夜いっしんにいのった。
判官の真心が通じたのか、何か月かたって、玉のような女の子が生まれた。
判官はたいへんよろこんだ。が、心配ごともあった。
それは、姫が生まれた夜、ゆめまくらに立った観音様のお告げのことだ。
お告げによれば、姫は、八歳になると命が終わるという。
そこで判官は、いつまでも長生きしてほしいという願いをこめ、
姫に万寿という名をつけてだいじに育てた。
やがて、八年が月日はすぎた。
姫はますます美しく、元気に育っていった。
判官はほっとむねをなでおろす一方、観音様のお告げにはらをたてて、
「このうそつき観音め。人をだますな。」
と、こしを強くけった。
それで、中山の広福寺の観音様は、こしが曲がっているのだそうだ。
それから何年かたって、三国一の武将といわれた判官は、包村のむほんにあってほろぼされ、姫とともに自殺したという。
朝日さし 夕日かがやく木の下に
黄金千枚 かわら千枚
と、うたわれている霜降山には、金のニワトリと金のネコが、今でもうめられたままになっているという。
文:松本繁 絵:中川猪太郎