山口の伝説
かけじく幽霊(かけじくゆうれい)
〜下関〜
今から約二百七十年まえ、永福寺(えいふくじ 下関市観音崎)の門前に
代々続いている一軒の海産問屋(かいさんどんや 海でとれたものをあつかう店)があった。
そこの夫婦は、どうしたことか、たいへん仲(なか)がわるく、
いつもけんかばかりしていた。
そのため商売もうまくいかず、ますます仲がわるくなるばかりであった。
この夫婦に、としごろの美しいひとりむすめがいた。
たいへん親孝行(おやこうこう)で、両親がけんかをするたびに、
「お父さん、お母さん、仲よくしてください。お願いです。」
と、たのむのだが、父親も母親も、
「よけいな心配をしなくていい。」
というばかりで、むすめの言うことを聞くどころか、
朝晩けんかのたえまがなかった。
むすめは、そのたびに悲しくなって、店の前の海辺に出ては、ひとりでないていた。
そんなことが、何日も続くうちに、むすめはとうとう病気にかかってしまった。
それでも、まだ両親のけんかはやまなかった。
むすめの病気はわるくなるばかりで、おきあがることもできないほど弱っていった。
むすめは、そんなからだでありながら、両親のことが心配で、
「お父さん、お母さん、お願いだから仲よくくらして。」
と、なみだをはらはら流しながらたのむのだが、
「おまえは、心配しなくてよい。」
そう言うだけで、少しもけんかをやめようとはしなかった。
「わたしの命もわずかのようだ。
生きてる間に一度でいいから、お父さん、お母さんの楽しそうな声が聞きたかった。」
むすめのやつれたほおに、なみだがあとからあとから流れおちた。
それからなん日かたったある日、とうとう両親の笑顔を見ることもなく、
むすめは息をひきとった。
むすめのそう式があった夜のことである。
永福寺の玉雲(ぎょくうん)おしょうは、一日のおつとめもおわり、
「やれやれ、今晩もむし暑くてねぐるしいわい。」
と、かやの中でうちわをばたばたさせていた。
ようやくとろとろとしかけたころ、ひやっとした風がふきこんで、まくらもとに何者かが立った。
おしょうは、はね起きて、
「これは海産問屋のむすめご、いったいどうしたことじゃ。」
おしょうはおどろいてたずねた。
むすめは、消え入りそうな声で、
「おしょうさま、わたしは、今からあの世へまいります。
それにつけても気がかりなのは、両親の仲です。
あのように仲がわるくては、死んでも死にきれません。
おしょうさま、どうか両親の仲がよくなるようによろしくたのみます。」
と言いながら、かたをふるわせて泣いた。
おしょうは、しばらくむすめの姿を見ていたが、
「よしよし、両親にはよき言ってきかせるから、安心しなさい。
でも、ちょっと待ちなさい。」
そう言うと、つと立ちあがってすずり箱をとりよせ、かすかなろうそくの光をたよりに、
すらすらとむすめの姿をかきうつした。
筆をおくと、むすめの姿は、ふっと消えた。
おしょうは、あくる日、その絵をもって海産問屋をおとずれて、昨夜のできごとを話した。
それを聞いた両親は、
「おまえがそんなに苦しんでいたともしらず、わしたちがわるかった。
どうかゆるしてくれ。」
と、声をあげて泣きくずれた。
あくる日、むすめのお墓のまえで、両親は二度とけんかをすまいとちかった。
なん日かたつうちに、両親の顔に笑顔がよみがえった。
それからは、商売も日ましにさかえていったという。
むすめの死んだ日は、十七夜の観音様のご縁日にあたる。
この後、永福寺では、むすめの孝心(こうしん 親を思う心)をたたえ、
七月十七日の観音大祭には、玉雲おしょうのかいた幽霊のかけじくを
お参りの人たちに見せるようになtっという。
この観音様の縁日の日には、遠くから幽霊のかけじくを見るために、
お参りにくる人が、今もたえないという。
おわり
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