山口の伝説
人にまつわる話
耳なし芳一 〜下関市〜


  今からおよそ200年ぐらい前、下関の赤間神宮(あかまじんぐう)が、

まだ阿弥陀寺(あみだじ)といわれていたころの話である。

その寺に、芳一という目の見えない若い坊さんが住んでいた。

芳一は、琵琶(びわ)を弾くのがたいへんたくみで、いちど弾きはじめると、

ひとが変わったようになり、聞く人の心をとらえてはなさなかった。

芳一がもっとも得意にしていたのは、平家物語(へいけものがたり)を

語ることであった。

  ある夏の夕暮れどきのことである。

芳一は、あちこちにまねかれて琵琶を弾き、見も心も疲れきって寺にもどってきた。

自分の部屋へはいると、ごろりと横になり、うとうととうたた寝をはじめた。

あたりはうす暗くなりはじめていたが、風もない、むし暑い夕暮れであった。

しばらくうとうととしていると、庭先に方に人の気配を感じた。

芳一は、はっとして身を起こし、庭の方へ聞き耳をたてた。

「芳一どの、芳一どのはご在宅かな。」

と、落ち着きのある、低い声が聞こえてきた。

「どなたさまでしょう。」

芳一は、少しからだを庭の方へよせながらたずねた。

庭の方からは、なまあたたかい風がもやのようにふきこんでくる。

「聞くところによると、そなたは琵琶を弾くのがたいへんじょうずだという話じゃ。

じつは、ある高貴なお方が、ぜひ、そなたの琵琶を聞きたいとおおせられるのじゃ。

わけあって、その名をあかすわけにはいかぬが、

どうか私についてきていただきたい。」

芳一は、声のする方へ顔を向け、じっと聞いていたが、

せっかくの申しでなので受けることにした。

「よろしゅうございます。おともいたしましょう。」

「それはありがたい。私が案内いたす。どうぞこちらへ・・・。」

と、声の主は芳一のそばによってきて、手をさしだした。

その手にふれて、芳一はびくっとした。

ごつごつしていて力強い手であったが、夏だというのにずいぶん冷たい。

前を行く男の方からは、たえずよろいかぶとのふれあう音が聞こえてくる。

この男は、高貴な方につかえる武士にちがいない、その高貴なお方とは、

きっと九州の方へ帰られるどこかの殿さまであろうと思った。

石段をしばらく上がり、山道を過ぎ、坂道をどんどんおりていく。

やがて、大きな石段の上で立ちどまった。

武士は力のこもった声で

「門をあけい!」

と、さけんだ。

ギーッと大きくきしむ音がして、門はゆっくり開いていくようであった。

芳一は、これはりっぱな屋敷(やしき)にちがいないと思った。

屋敷の中はそうとう広いようで、長い廊下づたいに行くと、大広間に出たようであった。

どうやら、まわりにはtがくさんの人びとがいるらしく、小声でささやきかわす話し声が聞こえる。

しばらくして、まわりの話し声がやみ、静かになったと思うと、

「芳一とやら、よく参られた。」

奥の方から、きれいにすんだ上品な女の人の声が聞こえてきた。

「何を弾いておめにかけましょう。」

と、芳一は心をおちつけながらたずねた。

「壇ノ浦の合戦(だんのうらのかっせん)のあたりをぜひ・・・。」

と、やさしい声がかえってきた。

芳一は、琵琶の調子を整えると、いちだんと気もちをひきしめて、

琵琶をかきならしはじめた。

芳一の力のこもったはりのある声は、あるときは激しく、

あるときは悲しげにひびく琵琶の音色ととけあって、

大広間のすみずみまでひびきわたるようであった。

そして、人びとの目の前に、ふたたび、あのすさまじい壇ノ浦の合戦を

浮かびあがらせてみせるようであった。

  語りがすんで、いよいよ二位尼(にいのあま 清盛(きよもり)の妻:時子(ときこ))が、

幼い天皇(安徳天皇 あんとくてんのう)を抱いて、海に沈もうとするあたりまでくると、

それまで静かだった広間のあちこちから、人びとのすすり泣く声が、

はっきりと聞こえはじめた。

芳一は、一心に琵琶をかきならし、声もかすれんばかりに心を込めて語り続けた。

ついに、人びとの間からは、悲しみをこらえきれずに、

涙に声をつまらせて、はげしく泣くひとまででてくるほどであった。

語り終わってからも、しばらくの間、すすり泣きの声が聞こえていた。

「ああ、ありがたかった。うれしかった。みんな喜んでおられる。」

と、年老いた女の人が、芳一のそばに身をよせてきて、ささやくように話しかけた。

「また、明日の晩もきておくれ。けれどもこよいのことはだれにも言うでないぞ。

七日七夜、人に言うてはならぬぞ。

ここにおられる方々は、ある高貴なお方たちで、みなさまおしのびのことゆえ。

よいな。けっして言うでないぞ。」

  さて、芳一は次の日も、迎えにきた武士にさそい出され、前の晩とまったく同じように、

心をこめて琵琶をかきならし、声をはりあげて語るのであった。

しかし、夜がふけるまで語りつづけるのであるから、いくら若い男とはいえ、

身はくたくたに疲れ果ててしまった。

三日めの朝のことである。

仲間のぼうさんたちは、芳一のようすがいつもとちがうことに気がついた。

はれぼったい目、青白い顔、病人のような芳一のすがたを見て、

みんなは心配しはじめた。

寺のおしょうも、芳一がからだの具合でも悪くしたのではないかとすっかり心配して、

仲間のぼうさんに、芳一から目をはなさないようにといいつけた。

それとは知らぬ芳一。その日は、朝からしとしとと小雨がふっていたのに、

夕ぐれどきになると、またもや琵琶を片手に、さっさと部屋を出ていこうとする。

それを、仲間のぼうさんがふすまのかげからじっと見ている。

芳一は、庭先へおりると、林の中に、さっと姿を消した。

ぼうさんはあわてて芳一のあとをつけた。

目のみえないはずの芳一が、暗い道を足早に歩いていく。

ぼうさんは、芳一を見うしなうまいと走るようにして追いかけた。

ところが、あまりにもあわてたものだから、足をすべらしてころんでしまった。

そのはずみに、とうとう芳一の姿を見失ってしまった。

しかたなく寺の近くまで引き返してくると、どこからか芳一の声が聞こえてくる。

ぼうさんは、声のする方をめざして、木々の間を通り抜け、草をわけて近づいてみた。

するとどうだろう。こともあろうに、芳一は、知盛(とももり)・資盛(すけもり)・

教盛(のりもり)・経盛(つねもり)ら平家一門のねむるお墓、七盛塚(ななもりつか)の前に

きちんと正座して、ふりしきる雨にずぶ濡れになりながら、一心に琵琶をかきならし、

平家物語を語っているのだった。

ぼうさんは、息を殺して、じっとそのようすを見つめていた。

やがて、芳一の語りに一段と熱がはいり、壇ノ浦の合戦の終りの場面に近づいた。

すると、平家一門のお墓の上に、赤い火がぼうっと浮かび、青い火がふうっと流れ、

琵琶の音にあわせて動いているではないか。

そして、暗やみの中からは、平家の武士の十四の墓石の塔が、

ぼんやりと姿をあらわしたかと思うと、また暗やみの中に消えていくのである。

芳一は、身動きひとつしないで、気が狂ったように琵琶をかきならしている。

このようすを、草のかげからじっと見ていた坊さんは、ぞっとした。

「これはえらいことだ。あの芳一は、平家の亡霊(ぼうれい)にとりつかれている。

早くおしょうに申し上げねば。」

と思った。

これをきいたおしょうは、たいへんおどろいて、

「これはたいへんなことだ。芳一は亡霊のとりこになっているのだ。

このままでは、たいへんなことになってしまうぞ。

平家の亡霊は、きっと芳一をあの世につれていくにちがいない。」

と、白いひげをなでながら考え込んでしまった。

  あくる朝、おしょうは芳一をよびよせてまるはだかにし、

筆にたっぷりの墨(すみ)をつけ、ありがたい経文(おきょうのことば)を

頭の先から足の裏まで、ぎっしりと書きつらねていった。

「芳一、よいか。こよいというこよいは、だれが来ようが決して返事をするでないぞ。

声を出すでないぞ。なむあみだぶつなむあみだぶつ。」

と、おしょうは言い聞かせながら、芳一の目といわず鼻といわず、

手のひらから足の先まで経文を書き続けた。

その日も、だんだん夕ぐれになっていった。

芳一は、部屋の片すみでじっとしていた。

あたりは静まり、遠くから犬のほえる声がかすかに聞こえてくるだけだった。

やがて、庭の方で人の気配を感じた。

「いつものように、なま暖かい風がゆっくり流れこんできた。


「芳一どの、芳一どのはおられるか。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

「芳一どの!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

芳一は、かたく口をとざして声を出さない。

武士は、いちだんと大きな声で、

「芳一どの!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

「芳一!」

武士の声があらあらしくなっていく。

とうとう武士は。部屋の中にふみこんできたようすで、

よろいの音をがちゃがちゃいわせながら歩き回っている。

「芳一!」

重々しい怒りにふるえる声が、芳一のすぐそばで聞こえる。

芳一は、じいっとして少しも動かない。

が、恐ろしさのあまり、手足がこきざみにふるえてどうしようもない。

歯を食いしばってがまんした。

ふと、足をとめた武士は、暗やみの中に耳がふたつ、ぼうっと浮かんでいるのを見つけた。

「ややっ。」

とつぶやいて、武士はつかつかと芳一に近寄り、

「えいっ!」

と、ふたつの耳をちぎりとってしまった。

芳一の白い着物は、ぱっと赤い血に染まった。

  さて、法事の用をすませたおしょうは、芳一のことが気がかりだったので、

急いで寺に帰ってきた。

そして、まっ先に芳一の部屋にいき、のぞいて見るとどうだろう・・・・・。

部屋のすみには、白い着物の肩からそでまで、まっかな血でべっとりぬらした芳一が、

身をかたくして座っていた。

それを見たおしょうは、

「しまった!耳に経文を書くのを忘れておった。これは、うっかりしてすまんことをした。

芳一、すまん、すまなかったのう。しかし、ようがまんした。耳だけでよかった。

からだが八つ裂きにされずによかったのう。」

といいながら、芳一の傷口の手当をしてやった。

  もともと琵琶のじょうずな芳一のことである。

それからも琵琶の練習にはげんだので、やがて琵琶の名手(すぐれた人)として、

人びとから愛されるようになった。

そして、いつとはなしに、人びとは芳一のことを「耳なし芳一」とよぶようになった。

現在、赤間神宮(あかまじんぐう)境内の七盛塚のとなりにある芳一堂は、

昭和32年に建てられたものである。

毎年七月十五日には、ここで芳一の慰霊祭が行われる。






      文:吉浦 巧雄   絵:山本 哲司

  



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