山口の伝説
生き物にまつわる話
さるかめ合戦(さるかめがっせん)―長門市仙崎―
むかしむかし大むかし。そのまたむかしの話です。
青海島(おうみしま)と仙崎(せんざき)とは陸つづきで、
その間はほんのわずかな細いどぶ川が流れているだけで、
そのどぶ川も潮がひくと、浅い砂浜になって、
歩いて行ききができるようになってしまうのでした。。
そのころのこと、
青海島には何百何千という大ざるや小ざるが住みつき、
通(かよい:地名)、青海島、仙崎ふきんをぞろぞろ歩きまわり、
かき、みかん、びわ、たけのこなど、野や山の作物をあらしまわり、
村の人たちはたいへんこまっていました。
とくに青海島には、さるのほとんどが住み、くらしのこんきょ地にしていたのですが、
なかでもなかま外れにされていた三匹の親子ざるは、
毎日、通(かよい)まで出てきては、一日中、野山や畑の作物まであらしまわっていました。
畑ではたらいているおひゃくしょうさんのそばに行って、
1メートルいじょうもあろうかと思われる大ざるが、
「ふうふう。」
と大きな息をふきかけるのですから、だれもびっくりぎょうてん、
くわをほうりなげて、とんで帰っていくのでした。
さて、それはそれはお天気のよい、ある日のこと、
一ぴきのさるが、うとうとときもちよさそうに昼ねをしていました。
目をさまして、もうそろそろほし潮(潮がひくこと)になろうかというので、
山からはまべにおりてきて、物見(ものみ)の松の木にのぼり、
「ははん、ぼちぼち潮がひきよるのう。」
と、海をながめはじめました。
物見のさるだったのです。
それからふと手前のはまべを見わたしたとき、いつもの仙崎の通り道あたりに、
たたみ一じょうもあろうかと思われる大きな石がどっかりとすわっているのを見つけました。
「ありゃあなんだ。おかしいぞ。
あんなところに石なんぞなかったが・・・。」
物見のさるがじっと目をこらしていると、その大石がかすかに動いたようでもありました。
ふしぎに思ったその物見のさるは、自分の役目もわすれて、松の木からおりると、
すこしはなれた木かげから、そっとようすをうかがい、
そろりそろりと近よって行きました。
そして、よくよく見ると、なんとそれは、それはそれは大きな海がめだったではありませんか。
しかし、どうもようすがのんびりしています。
そこで、もう少し近よってみますと・・・・。
じっとしているはずです。
海がめは、初夏のものうげな日をあびて、きもちよさそうに、
うつらうつらと昼ねをしているではありませんか。
物見のさるは、いつものようにいたずら心がむらむらとわいてきて、
よせばいいのに、海がめの首をぐっとつかみ、
「やいやい、起きろ。ここはわしの通り道じゃ。」
と、きいきい声でわめきたてました。
びっくりしたのは海がめです。
のどかな昼ねのまっさいちゅうに、きいきいとかん高い声でさけばれたのでは、たまりません。
物見のさるにつかまれた首を、こうらの中にすっとちぢめました。
そのひょうしに、物見のさるの手は、こうらの中にはさみこまれてしまいました。
こんどは、物見のさるがびっくりしてあわてました。
こうらから手をぬこうとひっぱればひっぱるほど、ますます海がめは首をちぢめます。
とうとう物見のさるは、きいきないて仲間にたすけをもとめました。
すると、山の中から、何百ぴきものさるがぞろぞろおりてきて、
物見のさるの手をかめのこうらの中からぬこうとして、
いっしょうけんめいひっぱりはじめました。
とうとう、さるとかにのつなひきになってしまいました。
「よいしょ、よいしょ。」
どちらも大声をかけて、ひきあいました。
力をいれてひっぱるので、ずらりとつらなったさるの顔はまっかになりました。
海がめも、これはたいへんと、海へにげようとして、ブルドーザーのようにように、
のしりのしりとあとすざりをはじめました。
なにしろ、たたみ一じょうもあろうかという大海がめですから、百猿力(ひゃくえんりき)です。
さるたちは、ずるずると海へひきよせられ、手をはさまれた物見のさるは、
もうすこしでおぼれそうになりました。
このままでは、全部のさるたちもみんな生みへひきずりこまれてしまいます。
みんなは、
「よいしょ、よいしょ。」
と、力をあわせてひきましたが、どうにもなりません。
とうとう、いちばんあとにいた大きいさるが、そこにあった松の木にだきつきました。
これで、海がめもがっくりと動けなくなってしまいました。
こうなればしかたないと、海がめはひょいと首をのばしたので、
物見のさるの手はこうらからすっぽりとぬけました。
とたんに、力いっぱいひっぱっていたたくさんのさるは、はずみをくって、
どっと砂はまにしりもちをつきました。
そのひょうしに、さるたちはおしりの皮をひんむいてまっかになり、
しっぽもきれて、みじかくなりました。
そして、さるたちがおしりをついたとたん、かみなりのような大きい地ひびきとともに、
みるみるうちに、今までつづいていた浅瀬(あさせ)のそこに地われがして、
じりじりと水がはいりはじめました。
何百ぴきものさるたちは、しばらくぽかんとしていましたが、
海の水がどんどんふえだしてくると、キイキイ、キャッキャッと、
急にあわてて山の方にかけだしていきました。
みるみるうちに青海島がずんずんはなれていきます。
何百何千というさるたちが、船にでものったような気もちで、どうすることもできずに、
あれよあれよとおどろいている間に、とうとうなつかしい地方(じかた)とはなれてしまいました。
このときから、青海島がはなれ島になり、
二千年もの長い間、この青海島に何百何千というさるが住みつくようになりました。
そして、青海島のさるだけが、とくべつ顔やおしりがとくべつまっかだといわれるのも、
こうしたわけからなのです。
文:松谷俊子
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