山口の伝説
滑と弘法大師(なめらとこうぼうだいし)  山口市徳地


   平安時代の初め(今から約1200年前)頃、四国・讃岐(さぬき 今の香川県)の生まれである

弘法大師が、諸国へ教えを説いて歩かれたことは名高く、いろいろな地方に伝説として残ってい

ます。

  ある時の秋、弘法大師は、柚木(ゆのき 山口市徳地)地区の巣垣(すがき)というところから

山越えで八坂(やさか)に出られました。

巣垣の方から険しい山道を歩かれた大師は、とある谷川にたどりつかれました。

あたりは、紅葉した木々がせせらぎの冷たい流れに影を落とし、木陰からもれる日の光が、優しく

からだを包んでくれました。

この美しさにほっとして腰を下ろした大師は、ふと、足元の流れの中に、赤い色をしたとても滑らか

な石を見つけられました。

「おお、なんとも良い滑らかさじゃ。これからは、このあたりを滑(なめら)と呼ぶとよかろう。」

と言われました。

  大師は腰を上げ、足を進められました。

しばらく行くと、入り口も出口もわかりにくいようなところに行きつきました。

「ここは身を隠すのに都合のよいところじゃ。

出口も入り口もないないようなところだから、ここを口無(くちなし)と呼ぼう。」

と言われました。

  また歩いて行かれました

すると、秋の午後の陽射しを受けて、柿の実が三つ、美しい色に照り映えていました。

「ああ、見事じゃ。きれいな柿じゃ。

それも三つなっている。ここは三成(みつなりじゃ。」

と名づけられました。

  大師は疲れた足をさらに進められましたが、つるべ落としといわれる秋の日は短く、山は特に早く

日が落ちて足元もおぼつかなくありました。

  すっかり日が落ちてしまった時、

「ここを日暮(ひぐれ)と呼ぼう。」

と言われました。

ほどなく、広い広い野原にさしかかりました。

その時、

「これより広い山の上はあるまい。

ここを山の上と呼ぼう。」

と言われました。

その広い野原を通り抜けてまもなく、山のかなたから、明るいお月様が登って来ました。

ちょうど、満月の宵だったのでしょうか。そのお月様は、「手を伸ばせば届きそうなほど大きなお月様

でした。

「まことに見事。このように素晴らしい月が登る地は、ここをおいて他にはなかろう。

ここを大月(おおつき)と名づけよう。」

と言われました。

  こうして大師がつけられた地名は、今もそのまま残っています。

      おわり
                       文:山口市徳地教育委員会発行「徳地の昔ばなし」より引用




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