城福寺ユースハウス
石見銀山見所案内
世界遺産登録騒ぎとその後の対策
2008年にユースホステル城福寺は日本ユースホステル協会の活動方向と相容れず
ユースホステル運動の創始者リヒャルト・シルマンの志を継承すべく旅する人々の家
ユースハウスとして再出発することになりました。
本頁は城福寺が1966年より続けてきた大森銀山を訪れる人々への案内として作成されています。
石見銀山の世界遺産登録に際して観光客の集中は予測できた事態です。
また、世界遺産へ申請という報道以来、観光客の増加と連休や夏期休暇時の集中も解っていた事態だろうと思うのですが?

山間の狭い大森・銀山地区への観光客の集中は凄い物があります。

かつてYH城福寺のミーティングで行っていた”観光案内”では既に見て回ることも難しい状態です。

そこで遠来のホステラー諸氏に現状に合わせた案内と事前情報を知らせる目的で本頁をUPします。
ご宿泊の方へは事前に連絡を頂ければ簡単な案内を差し上げます。
混乱を防ぐために”観光案内”は宿泊予約後に掲示板にその旨の書き込みをお願いします。
この”銀山の案内”は常連会が管理しています。

石見銀山で一般的な観光客が集中する場所は大森地区と龍源寺間歩です。
その他の場所は殆ど観光化されていません。

大森地区は寺社や町並みを見ることができますが他の観光地と違い江戸期以降明治初期の鉱山開発放棄後はけして裕福な町ではなかったためにその時代の住居等が残っていると考えてください。
この地区は世界遺産登録騒ぎが起きるまでは過疎の町だった訳ですから。

龍源寺間歩は現在入ることができる唯一の間歩です。
この間歩は観光のために掘り直されています。
野外博物館の展示物と理解してください。

銀山とその周辺
石見銀山と言う街はありません。
江戸時代までの銀山に一番近い町であった大森地区と山間の鉱山地域が石見銀山と呼ばれて観光地になっています。
(見学順序や見所は配布の”観光案内”を参照)

世界遺産はその周辺も指定しています。

温泉津の温泉街も観光客が集中しています。
温泉街は道幅も狭く日帰り入浴客用の駐車可能台数も制限があります。
混雑時には港入り口のゆうゆう館の駐車場を利用しましょう。

沖泊は温泉津港の先でトンネルを抜けるとすぐです。
海沿いの遊歩道を歩くとはなぐり岩などの江戸期の港湾施設を見ることができます。
ここは毛利水軍の旧跡でもあり、古い港の雰囲気が残っています。

琴ヶ浜は鳴き砂の浜として有名です。
砂浜が乾いていれば踵で蹴るように歩くか擦る様に歩けば砂が鳴ります。
また、天候や条件により鳴る場所も移動します。

鞆が浦
銀山の開発に成功した博多の商人神谷寿禎が上陸した場所と伝わっています。
琴ヶ浜西方のトンネルを抜けた場所です。
小さな漁港となっています。駐車等は作業の邪魔にならないように配慮が必要です。

西田・矢滝城跡・祖式地区は初期の銀の輸送路です。
大久保長安が内陸の輸送路を設定するまで、銀の道でした。
大内氏の尼子戦に従軍した毛利元就が殿軍として逃げ戻った道でもあります。
YHで配布する案内は観光客が集中していても石見銀山の良さを少しでも解って頂けるコースを案内していますが状況は毎日、毎時で違っています。
ホステラー諸氏が少しでも石見銀山が世界遺産に押された理由と雰囲気を理解して頂ければ幸いです。
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