石見銀山を紹介します
むかし、むかし・・・大森の羅漢寺に木村雄玄という坊さんがいました。
この人が最近、羅漢を見せてくれという若者が増えたことに気が付きました。
城福寺がYHを始めて大森を紹介し始めた頃のお話です。

この人、目が大層悪くほとんど見えません。
僕らが行くと曲がった腰を思いっきり伸ばし「よー、まいった若人よ」と始まります。

博多の商人神谷寿禎が日本海を北上するおり、沖合より白銀輝く峰を見留、船をこぎ寄せ上ってみると
銀の露出抗を発見した・・・
江戸期の坑道は日本海の海底より深くその底はぐっつぐっつ沸き返りしゃく熱地獄のよう・・・・
止めなければ一日中話続けます。

そのころの僕らには何度目かの同じ話に 一日を過ごす時間がありました。

羅漢寺の蝋燭を拝借して間歩に
入ったものです。
突然の縦抗や内部が異様に広い間歩、
奥で2段になり先がずっと続いて行く間歩

怖いくらい静かな佐毘売山神社の午後、
山並みの向こう三瓶が綺麗な山吹山城址
河原や道ばたには坩堝の欠片や
ノロが落ちていました。

観光で訪れる人などいませんし、
町の人以外は城福寺からの
ホステラーしか歩いていませんでした
石見銀山という観光地になる前、
みんなが大森と呼んでいた頃の
思いでのページです。

石見銀山の話 70年代前半>   <2004年夏 世界遺産登録騒ぎ後の案内> 
    
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