飯香岡八幡宮

飯香岡八幡宮は社伝によれば、白鳳時代(645〜710) 天武天皇4年(675)の創祀と伝えられ、

上総国府が市原郡に置かれたおりに、その近くに勧請された一国一社の国府八幡宮です。

祭神に誉田別命を祀っています。

 平安時代(794〜1192)には、国司が管内の神社を巡拝する代わりに、国府近くに
管内の神社の祭神を合祀し、遥拝するための総社を兼ねて国府総社八幡といわれました。

 徳川家の崇敬も厚く、社領150石という上総国では、破格の扱いを受けたものです。

 現在は安産、子育ての神として人々の信仰を集めています。 

本殿  国指定重要文化財  昭和29年9月17日指定

 本殿は規模が大きく簡素で堂々とした和様建築で、正面3間、側面2間が単層で屋根は銅板平葺の
入母屋造で向拝3間がついています。

正面3間は両開き戸が入れてありますが、側面、背面は板壁となっており、
手すりの付いた縁がめぐっています。建立年代については、その形式手法から、室町時代末期の
ものと考えられます。
 また、昭和42年(1967)から43年(1968)にかけての
解体修理の際に発見された墨書銘により、天文、文禄、延宝、元禄等の時代に何回かの改修が
行われてきたことが確認されています。

重要文化財である本殿と、県指定有形文化財の拝殿が幣殿で繋がれ一体化した構造の
権現造となつています。

拝殿  県指定有形文化財  昭和41年5月20日指定

 拝殿は、正面5間、側面3間で、屋根は入母屋造、銅板葺です。正面中央に千鳥破風をつけ、
向拝中央は軒唐破風となっています。

正面1間は両開き桟唐戸、両脇、両側面は蔀戸です。内部は左右1間を畳敷きの脇の間とし、
中央は板張りで幣殿につづいています。

 3間の向拝の柱は唐戸面の角柱で、4本の海老かけ、牡丹を刻んだ手挟をそなえています。

正面1間のみに階段3段をつけ、階段及び回縁には手すりが設置されています。

建立年代は墨書銘によって元禄4年(1691)であることがわかっています。


夫婦銀杏  県指定天然記念物  昭和10年7月12日指定

 この銀杏は社殿の右側にあります。地上2.8mのところから大きく2又に幹が分かれ、相対しているところから、夫婦銀杏の名が付けられたものと思われます。高さは約16m、幹周りは約7.6mです。

樹齢は不明ですが、社伝によれば、天武天皇4年3月に八幡宮を勧請した際に、勅使桜町中納言卿によって植えられた記念樹と伝えられています。しかし、わが国で初めて中納言が任命されたのは慶雲2年(705)であるなどの矛盾があり、樹齢は確定できません。

 また、社殿の左側には、源頼朝が逆さに植え「もし根付けば大願が成就するだろう」と源氏再興を祈願したところから、「(さかき)銀杏(いちょう)」といわれている銀杏もあります。

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所在地  千葉県市原市八幡1057

柳楯神事  県指定無形民族文化財  昭和41年12月2日指定

  柳の楯は神への捧げ物  中世の面影を残す古式神事

 毎年旧暦8月15日 (近年は8月15日に近い日曜日) 飯香岡八幡宮の秋の大祭の中心的神事として行われます。

柳楯は、先端の葉を残して皮をはいだ柳 (タチヤナギ) の小枝25本を縦に並べ、ここに5本の青竹を横に渡して藁縄で結び楯の形にしたものです。大祭の前日に市原地区の2軒の「司家」が1年交代で製作を受け持ちます。出来上がった柳楯はまず市原地区長宅の神棚の前にまつり、司家は地区の人たちから「出振舞 (ごちそうのもてなし)」を受けます。その後、司家と市原の氏子総代らが柳楯を市原八幡宮と阿須波神社に運んで参拝し、五所の集落に入ります。五所では「御三家」が村の入口で出迎え、五所公民館 (以前は年番の家)で柳楯の受け渡しをします。 明けて祭礼当日、五所の人々に警護された柳楯の一行は、途中で飯香岡八幡宮の氏子に出迎えられ古道を経て同神社に入ります。拝殿での神事の後、柳楯を先頭に神輿が町内を渡御します。

 文治2年 (1186) ,年に書かれたとされる市原光善寺の薬師如来縁起によると、市原領主の系譜を引く曽我の太郎光善が病に苦しんでいたところ、峰の薬師のお告げにより高僧行基が市原に下向し薬師仏を彫られたおかげで無事平癒しました。行基がここへお堂をたて、人々に仏の道を説いていると、瑞石の上に八幡神が現れたため麦飯と柳の箸でもてなし、以来、八幡宮の祭礼に柳の楯を奉ずるようになったといいます。また、古記録類からも、南北朝時代には既に柳楯神事が現在の形で行われていたことが分かります。

 柳の楯を幣帛 (神への供物) とするこの神事は、他に類例を見ないきわめて独特のもので、現在の神輿の原型、または神送りの特殊な形態とも考えられています。

大分県中津市大貞にある宇佐八幡宮の祖宮と呼ばれる大貞の薦神社に三角池 (御澄池) と呼ぶ池があり、この池の岸辺に生える真薦で作った薦枕を大貞から十数キロ離れた宇佐八幡宮に神事を知ったという。

 この神事は、市原の柳楯神事を考える上で大変参考になると考える。

 

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飯香岡八幡宮の祭礼の様子は 「私の美しい房総」 ( まつり ) で、見ることが出来ます。
私の美しい房総 まつり