今年は、「絆(きずな)」がイベントのテーマになっている。五所川原の立佞武多の18年新作のテーマも「絆」。NTVの24時間テレビのテーマも「絆」だった。
なぜ、今「絆」が語られるのか。ちょっと気になる。
先日、徳山高専の女の学生が殺された。そして、同じ高専の男の学生が首を吊って死んでいた痛ましい事件があった。
このような事件をあまり話題にもしたくないが、殺された学生の親も殺したと言われる学生の親も自分の子供は「良い子」だったと言っている。
どこの親でも自分の子供を悪い子とかダメな子供とは思っていないと思う。
ただ、子供の本当の姿を親は見ているのだろうか。子供が何に喜び、何に感動し、何を悩んでいるのかを親は知っているのだろうか。
一面的に、こうしてやったとか、何を与えたとか、だから何も不自由はなかったはずだなんて思っていないだろうか。
かつては、大人数の家族が一つ屋根の下に暮らしていた。そこには、お年よりもいただろうし、乳飲み子もいたかもしれない。と言うことは、時として家族の生き死にに出会ったことだろう。
今は、どうだろう。核家族化が進み、一人一人が個室を持って閉じこもっている時代になった。子供は病院で産まれ、おじいさんやおばあさんも病院で死んでいく。生と死という荘厳な儀式に立ち会うことも出来ない。そんな時代だ。
親の背中を見て子供は育つと言われる。親はそのことを思っているだろうか。いや、子供に背中を見せているだろうか。子供に気を使い過ぎではないだろうか。
団塊の世代と言われる我々、戦後の高度成長を謳歌しながら生きてきて何か間違った子育てをしてきたのではないかと時として思う。
何が足りなかったのか。それは家族の絆だったのではないだろうか。今あらためて、「絆」を思い起こす、そして考えるいい機会だと思う。
H18.9.13