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  映画は終わりのエンデングロールが流れている。多くの観客はその余韻を味わうようにスリーンを見つめている。
 
  私も例外ではなく、立とうにも立てなかった。何かじわーっと今観終ったシーンのひとつひとつが、性能の悪いハードデスクに時間をかけて書き込まれるような、今動くとその感動がどこかへ飛んで言ってしまいそうな感じに囚われた。

 吉岡秀隆が演じるルート呼ばれる数学の先生が、最初の授業で、自分がなぜルートと呼ばれ、数学が好きになり教壇に立つようになったかを生徒たちに話し始める。

  ルートが10歳の時、深津絵里が演じるルートの母親はシングルマザーの家政婦で、寺尾聰が演じる事故で記憶が80分しか持たない数学の博士のお世話をすることになる。

 家政婦として初めて博士とあった時、博士は「君の靴のサイズはいくつかね?」と聞いてきた。「24」と応えると、博士は「実に潔い数字だ。4の階乗だ。」と訳の解らない会話から始まる。

 そして、家政婦は、博士とのコミュニケーションが数字で出来上がっていく不思議な魅力に引き込まれていく。

  家政婦は誕生日を聞かれて2月20日と答えると、220と博士が学長賞で貰った腕時計に刻まれている284は友愛数と言ってとっても相性のいい数字だと説明する。

  博士の数字の説明は実に優しく、面白い。ある日、家政婦に子供がいることを知ると、一人で置くのはかわいそうだから子供をつれて来いという。そして、その子供を見て、頭をなでながらルートだと言う。ルートはどんな数字でも囲む強いものだとも言う。それからその子供はルートとなった。

  博士と家政婦とルートの3人の数字を通しての楽しい会話が進められる。家政婦が家の中にこもって仕事ばかりしていると身体に悪いからと言って外に連れ出す。博士は外の空気に触れてはしゃいでいる。3人で散歩している光景は主人と雇われ人の家政婦と言う関係ではなく思いやりのある優しい家族みたいである。

  博士は阪神タイガースファンだった。中でも背番号28の江夏は憧れだったのでしょう。28は約数を全部足すと28になる完全数だと背番号も数式の世界になる。

  博士は野球が好きだった。ルートは博士に野球を教えてくれるように頼む。博士は子供たちに野球を教える。子供たちは博士が同じ事を言っても、前に聞いたとは決して言わないことを申し合わせて博士に気遣いを見せる。

 子供たちの野球大会で子供たちは博士のために、かつての阪神タイガースの背番号をつけて試合をする。博士は喜び一人一人の背番号を読み上げ解説をする。

 また、浅岡ルリ子が博士とただならない関係にある義姉を演じている。数学の博士という固いイメージが浅岡が出てくることによって人間の営みが見え、映画が面白いものになっている。

 寺尾が演じる記憶が80分しかもたない博士の役は、実に良かった。多弁ではない寺尾ははまり役。そういえば、映画が始まってから観客席は水を打ったような静かさだった。誰しもが、スクリーンに繰り広げられる寺尾や深津、ルート役の斉藤隆成の演技にフリーズしてしまった感がある。

  吉岡が演じるルートは博士の影響か、数学の先生として教壇に立った。そして博士から得た事を生徒の前で話した。数式の美しさや数学の楽しさを生徒たちは受け止めたと思う。私もそんな先生に数学を習うことが出来たらもっと変わってたのではなんて思うのは身勝手というものか。
  
  博士、家政婦、ルート、義姉がおりなすひとつひとつのシーンは優しさ、楽しさがいっぱいあった。それは、お腹のそこからじわじわーっと込み上げてくるような感動だった。

  博士の愛した数式 eπi+1=0は
  「無限の宇宙からね、πがeのもとに舞い降ります。ヒュー・・・。そして恥ずかしがり屋のこのiと握手する。彼らは身を寄せ合って、じっと息をひそめています。eもiも決して繋がらない。でもね一人の人間がたったひとつだけ足し算をすると、世界は換わります。矛盾するものが統一され、0つまり無に抱きとめられます」と博士は言っていた。(博士の愛した数式パンフより)

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