笑い話にくらいはしてみせる


初夏の日差しが眩しいあの日、俺は全てを放棄した。
あの日以来、どれだけの年月が流れたのだろう。
考える事を止め、目を開ける事を止め、聞く事を止め、話す事を止めた。

俺は人間である事を辞めた。

全てを辞めて、ただひたすら自分の世界の中で夢を見る。
この世界は全てが甘美で、優しく、暖かだ。
自分の世界の中だけが、完璧で美しく、柔らかで心地良い。
ここに時流の流れなんて必要は無い。
俺がただ夢を見れれば良い。



「帰ってきて」

たまに聴こえる、綺麗な細い声。
駄目だ、俺に話し掛けたりしないでくれ。
俺は聞く事を止めた、全て放棄した、ここにいれればいい。

「そこにいて、何が見えるの」

聞かないでくれ、考える事を止めたんだよ。
見る事を止めたんだ、何も見えなくて良いじゃないか。

「いつまで黙っているつもりなの」

やめてくれ、俺は話す事を止めたんだ。
俺は全てを棄てたんだ、放棄したんだ。
人間で在り続ける事に疲れ、人間である事を辞めたんだよ。


「貴方は、まだ生きているのに」


生きている。
生きているって?
「生きる」って何だ?俺は今まで何をしてきた?
今こうしている俺は、それでも生きていると言えるのか?
全てを棄てるまで、自分が何をしていたのかすら思い出せないと言うのに?

ああ、待ってくれ。俺は何だ?誰なんだ?
俺は、人間だった。

「人間だった」?

じゃあ今の俺は何だ?
人間じゃないと言うのか?
人間じゃないなら、今の俺は何だと言うんだ?
なら俺は、どうやって人間じゃなくなった?

そうだよ、俺は人間だったんだろう?

なら何故、人間で在る事を放棄した?
どうして、俺は人間を辞めたいと思った?

それなら、人間で在る事を辞めた俺に、響いてくるこの声は?


どうしてまだ、俺に届くんだ?




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