終章 Keep own style, Keep on smile














飛行機はアフリカを離れた。




















どんどん高度を上げる飛行機の中、


















俺はある一冊の文庫本を開く。


































































































旅行中、何度も読み返した物語









アルケミスト
(パウロコエーリョ著)











「ピラミッドまで行けば宝物が見つかるよ」







そんな夢のお告げを信じ、スペインを旅立った羊飼いの少年の物語





旅の過程で、少年は一つの生きる知恵を学ぶ。それは





「“前兆”に従うこと」






全てのことにはなにかしら“前兆”と言うものがある。それに気がつくか、否か・・・。」























































「“前兆”・・・かぁ」







ふと思い返してみる。




通れぬ国境にブランタイヤへと振り出しに戻され、

無理と言われたモザンビーク国境が空き、

釣具会社の帽子に希望を得て・・・

勝算も無くたどり着いたテテの町、金があれば迷わずホテルに宿を取っていた。

しかし、無いばかりにふらつき、そしてキャンプ場へたどり着く。



・・・そして牙が抜けた

















「前兆に気がつくこと、そしてそれに従うこと」











それはどこか他力本願のようでいて・・・






いや違う






ともすれば弱く、はかなく消えゆく若き情熱の火種





そのちょっとした風よけに、何かしらすがろうとする心





思い込みでも何でも、“信じるきっかけ”を





弱き自分奮い立たせ、意思を確認し、




“火種”を“炎”に変える拠り所







“前兆”とは、混沌の中で自らが作り出す“小さな神様”なのかもしれない。
















































































































ゴミだって、燃えんだゼ 
(某TV番組より)












































































































「アルケミスト」で作者パウロはこうも言う。










「世界最大の嘘」とは





それは





「運命とはあらかじめ決められ変えられないものだ」
ということだと。




















































・・・・俺は思う。
































運命的な“牙”との出会い





これ以上ない形で円は閉じた。






























しかし・・・





































































あの時エマニエルさんと出会わなければ、


カマリ兄貴と相部屋にならなければ、


チロモで、小さいなりに1匹釣れていたら・・・









































この旅はまた違った形で円を閉じていたのではないか、と。








































































“運命”という言葉自体が、



「命は運ばれていくもの」



という先人の教え、経験だとしたら・・・

















































いや、違う






違う、と言うか、そうは信じたくない










俺はこう信じたい。



















“運命”とは

「命を運んでいくこと」


生きる力となり、明日への活力となる

その源であって、自らが作り上げていく過程なんだと。





























































































・・・・10時間以上のフライト中、

もう1度「アルケミスト」を読み返しながら

俺はそんなことをぼんやりと思っていた。































ワインの酔いがまわってきた。





「最近ずいぶん弱くなったなぁ」





俺は少し寝た。





































































































































































































































































































目覚めた時、機体は既に日本の上空にいた。






























機体は徐々に高度を下げ始める






























































































過去を振り返り、今を生きて、未来を想う。














世界を旅して、日本を思う。













世界で釣りして、日本の釣りを思う。










自らを育ててくれたブラックバス釣りを・・・





























2005年6月、アフリカに発つ少し前、外来生物法(略称)が施行された。


簡単に言えば「日本に昔からいる生物を脅かす外国産の生物を何とかしよう」という法律。


ルアー釣り、特にブラックバス釣りをする人にとっては大問題のこの法律。


詳しい規制や法律の詳細はWeb上に溢れてるので検索してもらえばいいが、


簡単に、きわめて簡単に言えば「ブラックバスバスを駆除しよう」と言うもの。


そんな中、いち釣り人として俺はこう思う。







在来種保護、生物多様性の重要性は、大学で生態学をかじってることもあり、人よりもよく耳にすることである。


日本淡水域にオオクチバス、コクチバス、ブルーギル、そんな連中がはびこっているのはおかしいとも思う。


俺はバス釣りも好きだけど、フナやヨシノボリ釣りだって大好きなんだ。


しかし、そんな日本在来種が釣れる環境は間違いなく狭まりつつある。


それはバス釣り擁護論者の言う「環境破壊」が原因かも知れないが、


またバス駆除論者の言う「バスに食われた」その影響も間違いない。


でも、でもよ、その効果はどうあれ「自然と“遊ぶ”」、そんな概念を持ち込んだのはバス釣り、西洋文化に間違いないのだ。






残念ながら、日本古来の釣りに出かけて見るモノは悲惨なもんだ。


今、俺に彼女ができたら、


バス釣りは連れて行くかもしんないけど、


週末の海、防波堤はヤだな。


捨てられたゴミ、あまり、腐った撒き餌の悪臭。


はっきり言ってド下手なくせに威張り散らす餌釣りのジジィども。


根こそぎ乱獲、胃袋はまだ戦争食糧難の時代のままだ。


「さっさと死に絶えろよ!職業餌釣師のクソジジイ!!」



俺は何度もトラックの上、1本道を走りながら思った。


あと20年もすれば・・・と。


キャッチ&リリース、バス釣り文化で育った俺達の時代に。












マラウイのルオ川、川幅いっぱいに幾層にも張られた刺し網。


「魚が釣れなくなった」・・・それは日本だけと信じたかった。














「釣ったブラックバスは再放流禁止」


これが現在自分が籍を置いている行政区の結論だ。


だがしかし、逃がす奴は逃がすだろう。


俺は極力「食料として利用する」という変わった方向を模索するが、


「逃がさない」とは断言しない。





ガキによるブラックバスの闇放流は止む事もないだろう。


悪いことと知った上で、それでもチャリンコでいける範囲に自分だけの釣り場を作りたくて・・・


俺は、誤解を承知で言うなら、それを悪いこととは思わない


そいつらが大きくなった時、


昔感じた罪悪感が自然に優しいまなざしを向けさせる日がきっと来るとおもうから。
(車持ちの大のオトナが闇放流するのは論外。見つけたら俺はそいつを水に落とす。)








現代、ガキどもが自然と触れ合う機会は昔より減った。


大昔の話ではなく、俺が鼻水たらしてた頃と比べてさえ減ったと思う。


そんな今、在来種、固有種の枠を超え


一つの命と触れ合う機会として、


“スポーツ”としての完成度、“ナウい(死語)”ファッション性、


自然と触れ合う取っ掛かりに


バス釣りは本当に素晴らしいものだと思うのだ。









21世紀、狭くなった地球、


それは人以外の生物にだってきっと一緒だ。




輸入大国、日本。


荷物を運び終え、軽くなった国際タンカーがそれぞれの国に帰る際、


船を安定させるため、日本の海水を取り込み、運ぶ。(この水をバラスト水と呼ぶ)


結果、こんにち、世界の港と日本の港で多くの同種の生物がみられると言う。


海底はきっと同じ“星”空だ。
(ヒトデ=Star Fish)


淡水の、ブラックバスだけじゃない。








そして、淡水でもバスだけではない


そして、それは日本だけでもない。





東南亜細亜には南米からピーコックバス、


パプアには東南亜細亜からライギョ(ストライプドスネークヘッド)が



・・・そして今回のアフリカでもブラックバス。


そしてナイルパーチ。


ビクトリア湖でめっきり減ったシクリッド・・・・





外来種問題はある意味で現代の必然悪なのだろうな。
















文明は、時代は、世界は


ある一つの方向に向かおうとしているように思う。


簡単に言えば「アメリカ」という方向へだ。


今回のアフリカをはじめ、どこへ行ってもでも人々は”洋”服を着て、コーラで喉を潤す。


釣りだって例外ではない。


偽善にしろ何にしろ、アメリカ式(?)のキャッチ&リリースが定着した。


いつか日本でも西洋式自然管理、釣りの完全ライセンス制が敷かれるだろう。




だがしかし、「釣り」は理屈じゃないんだ




チャリンコをこいで巡った野池。


夏の夕暮れ、汗だらけ、


ラスト1投に起こった命のドラマ。


雑誌で読んだ“キャッチ&リリース”


切り傷だらけの手に残る命の匂い


・・・それに「外来種」も「在来種」も無い。


理屈じゃなくて、気分良いんだよな。









世界を歩き、旅して思った。


そりゃ、外国の自然の壮大さは果てしない。


その人を寄せぬけぬスケールは、厳しさは、美しくさえある。


だけど「日本の自然は比類なく美しい」と日本人の俺は思う。




日本の緑は優しいんだ。


あぜ道のせせらぎは落ち着くんだ。


残念なことに、パプアでも、アフリカでも、その壮大さがゆえにか人々は何の迷いもなくゴミをポイ捨てする。


日本はこじんまりしてるからこそ、ポイ捨てに罪悪感がわくのかもしれないな。


あんなに広けりゃちょっとぐらい・・・日本人の俺ですら、長くいると思っちゃった。


多分あっちの人々はゴミを捨てることを悪いこととは全く思ってないね・・・。


でも、いくら壮大な自然も有限であることに変わりない。


日本の“もったいない”思想はやっぱグローバルスタンダードにすべきだと思う。
(ケニアかどっかの環境保護論者が“もったいない”運動展開してんじゃなかったっけ?ちょっとわすれたや)
















ある時は生き物を意図的に殺し、味わい、


またある時は不注意に死なせ、悲しみ、


ブラックバスでもなんでもいい、


釣りをし、自然のなかで遊びまわり、


ある時は圧倒的な自然の力に自分達の無力さを思い知らされ、


またある時は自然への自分達人間の信じられないほどの残酷さと影響力を実感し・・・










現代のモヤシ畑のような学校に、


そんな骨太の悪ガキを作りたくて・・・








「ガキんちょを騙す」




そんなRock’n RooLを

俺は釣竿で掻き鳴らしてるんだ!


























































管理=保護?

自然とは“守る”もの?

守らなければ消えゆくもの?























































そんなことを考えていたら、、幼き日が頭をよぎった。
























毎日のように通った田んぼのあぜ道


ザリガニ、ドジョウ、タイコウチ・・・大好きだったあの遊び場が


黄色のバケモノによって滅茶苦茶にされたあの日


土地利用、経済効果、都市開発・・・オトナの都合なんて何一つ分かんなかった。


ただ、連中に向かって、轟音撒き散らすショベルカーに石を投げ続けたあの日の俺は




絶対に間違ってなんかいない。











そう思うわけです。





































































機体は着陸態勢に入った。
















































大地の振動をケツに感じる








2ヶ月ぶりの日本








ハタチの日本だ


































中学卒業の時、尾崎豊が何にキレているのか分かんなかった。











・・・・でも、今はなんとなくわかる。











そして、今ではそれにシンクロさせてた高校時代を懐かしむ俺がいる。














































「これからは何が俺を縛り付けるだろう?」
(尾崎豊 ♪卒業)

































































































「旅に出れば何かが変わる?」






























いや、続いていくだけさ。


























変えたくも、変える気もない。


































今のところ唯一つ、わかってる“強さ”。












悲しいことや、つらいこと









馬鹿馬鹿しき日々や、そして最高だったあの瞬間












全部抱えて、いつまでも引きずって・・・・


































そして全部ネタにして、笑い飛ばしてやる!



































あの景色を忘れない限り、俺は俺であり続けられるから。









































































































































































Keep Own Style,Keep on Smile


いつもの俺で、いつでも笑みを















































































  


アフリカ放浪54日


  














































































いつか帰るよ・・・aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa


aaa・・・やさしい雨が緑を燃やす頃に。

















































































































































































































秋晴れの成田









時間軸を“日”から“分”に戻した。









携帯のスイッチを入れる。










仲間達からのたくさんのメールが流れ込んできた。




















































































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