Profile ぷろふぃ〜る


青き水、緑のやさしさに包まれて、みんな幸せだったらいいのにネ。

管理人 拓矢
(本名:小塚拓矢)

富山県高岡市出身。
1985年生まれ。
現在仙台在住で、大学院(生物学関係)に籍を置くフォトライター。
誰が呼んだか、怪魚ハンター(!?)とも。
大学入学後ライフワークとなった、世界放浪釣行の経験を生かし、
釣り雑誌や熱帯魚誌、旅行誌などに寄稿しています。



地球の裏側、2メートル級の怪魚から、近所のドブ川の5センチの小魚まで、魚だったら何でもござれ。
魚の大小に貴賎無く、また釣りにこだわることも無く、とにかく魚が好き。水辺が好き。
釣りそのものから、素潜り、料理、旅情・・・地球で、全力で遊んでます。
あと、19(ジューク)世代、銀杏BOYZのミネタ君の大ファンで、パンクロック好き。お酒も大好き。
可愛い女の子も、もちろん好き(笑)
負けず嫌いで、何気に剣道も3段だったりも。
(以下、ボク歴史…無茶苦茶ですネ、エェ。)


<幼稚園(悪童)時代>

我らが「あじさい組」の軍事隊長、
グラウンドの遊具をめぐり隣の「なでしこ組」とものすごい戦争ごっこをしていた(汗
唯一の汚点は1度だけ給食を残したこと。後にも先にも、給食を残したのはこれっきり。
この頃の親友と一緒に釣りに行ったのが記憶に残っている初めての釣りである。
投げ釣りでメゴチやクサフグを釣って喜んでいた。
いまだこのころの友人とよくつるんでいるなぁ。



<小学生(イジメられっ子)時代> 

クソガキ&生傷の耐えない少年だった・・・汗。
剣道では5年生ながら6年を押さえ込んで市の大会を制し、天狗の鼻は伸びきっていた。
小学4年でルアーに目覚めキジハタを狙うようになる、小6で初めてバスを釣る
グランダー武蔵(釣り漫画)がはやった頃はヒーローだったなぁ。
頭の回転が周囲と一脱して早かったため、いわゆる“浮いちゃった”・・・でイジメられっ子に。
「自分が出来ても、周りに合わせなさい」
・・・先生、その言葉を反骨にして生きてきた今、俺、すっげー幸せですが?


<中学生(優等生)時代>

バスに完全にハマっていた。夏休みはほぼ毎日午前部活、午後釣りって感じ。
ノーシンカーによる小バス乱獲が大好きだった。1日30匹を目標にし、年間1000本くらい釣ってたと思う。(昔はよく釣れた)
「人気のとりかた」を体得、小学校時代とは一転、超優等生ぶりを発揮。
生徒会副会長を務め、剣道部主将、成績もよく、毎日がバラ色だった。
女子の人気もソコソコだったとか、そうでなかったとか・・・?
(←そうでなかった、ことが最近判明。)
世間知らずに温室栽培、何もかも自分の味方だと思っていた。
やる事成す事、すべて成功した。


<高校(ヤサクレ?)時代>

挫折というものを初めて知り、人間関係の難しさに直面する。
天狗の鼻はへし折られ、慢性的に鬱。
ひねくれていた1,2年。中途半端に悪ぶってみる。(汗
が、高2の夏に富山→神戸の往復800キロのママチャリ旅行を決行。
それを機に次第に人間味を取り戻す。
3年になり、苦しい受験戦争を生き抜き、猛勉強の末、
結果オーライ的に拾われた大学で生物学を専攻することになる。
「高校」自体はクソだったけど、学校で出会えた奴らは超おもしろく、「高校時代」は楽しかった。
「高校アフロ田中」という漫画があるが、そのまんまである。男くせ〜青春(笑)


<大学(冒険野郎)時代


男子寮行事の深夜28キロマラソン、真昼に海パン1丁で繁華街を仮装行列他、馬鹿をやりまくる。
クラスメイトとも
集団スーツ登校、原付ツーリング&野宿、
無人島1週間サバイパル生活他、懲りずに馬鹿をやりまくる。
個人としては、ヒッチハイク本州横断(仙台→新潟)を経て、

終に9月にタイへ1ヶ月間の海外放浪、釣旅にでる。
翌年2月には単身パプアニューギニアへ飛び、1ヵ月後無事(?)帰国
同年6月、東海道53次をママチャリ箱根峠越えやらヒッチハイクやらで行脚
同年8月、単身アフリカに飛び、約50日間放浪釣行を決行、無事(?)帰国。

翌2006年春、再度パプアニューギニアに6週間放浪釣行、同行者はマラリアに倒れるも、自分は元気に帰国。
同年夏、中国→カザフスタン→モンゴルとシルクロード&開高健をたどる2ヶ月間の放浪を完遂。
帰国後はスモール祭り、ミッションバナナ他、「国内」をテーマに釣り竿でロックンロール掻き鳴らし続けることを決意!(永遠に進行形)
2007年3月1日、ユーラシア編の更新終了をもって「世界行脚釣行録」に終止符を打つ。
同日、無期限更新停止を宣言。


〜それから〜

更新終了したその日、「おわりに」で述べた「はじまり」の子と飲み、来月4月1日の再会を約束してインド・ネパールへ飛ぶ
3週間後帰国、1週間後の4月1日の北陸フィッシングショーにて本当の意味で“録”を完遂。
5月、韓国に大学の調査で飛ぶ。当然竿を持って(笑)
同2007年夏、3度目のパプアに飛ぶ。1m20kgのパプアンを「いつか」と割り切ることができた旅だったナ。
初めてデストロイヤーで海外の魚とやりあった。
その後は沖縄、小笠原、北海道と、年内に精力的に日本を巡り、「年間100目」(岸釣り100目)を達成。
クリスマスに旭川の佐川営業所で“クリスマスプレゼント”を受け取り、メガバスとの異色のコラボが実現する。
2008年3月、卒業旅行で東南亜細亜を訪れ、無事4年間で大学を卒業。理学の学位と教員免許を習得。
4月、博士課程前期(修士課程)の大学院に進学。


<大学院(立身出世?)時代>

5月26日「メガバスマガジンVol5」にて“復活”。“録”を“伝”に改め、HP更新再開。
6月、「平成の刀狩り」を完結させに、再度マレーシアへ。
8月、幼きころからあこがれ続けたアマゾンへ、満を持して飛び立つ。
“神龍”ピラルクーを釣り上げ、「自分より大きな魚がつりたい」という野望を達成。11月中旬、3日月ぶりに帰国する。
2009年6月、アフリカ赤道直下帯のコンゴ川(旧ザイール)に日本人初挑戦。
困難を極めた2ヶ月間の単独行の末、無事取材成功&帰国。

「さぁ〜て、今度はどこに行こうか?笑」


(バカは死ななきゃ直らない。が、なかなか死なない。〜2009年11月加筆訂正〜)