今日最後の終業の鐘が響き、ざわざわとクラスメイト達がそれぞれの放課後を過ごすために教室から出て行き始めた頃。

リュミエールはゆっくりとした動作で椅子から立ち上がると、とぼとぼという擬音がしそうな雰囲気で教室を出た。

途中で何人かのクラスメイト達と挨拶を交わすと、ゆっくりとした歩調で歩く。

途中、校門あたりで何かあったようで、わずかに人だかりができつつあった。

人だかりから聞こえてくるのは『知らない人あるいは不審者が誰かを待っている』というようなありがちな話。

こちらからでは人だかりの影でどのような人物か見えないが、今のリュミの気を引くほどでもなく遠巻きに集まりつつある野次馬たちの後ろをゆっくりと抜け帰路につく。

学校から天のマンションまでバスを使えば10分ほど、ゆっくり歩いても30分もかからない。

人ごみさえ気にしなければ、途中で商店街を抜けることでさらに5分ほど短くなるという裏道まである立地条件だ。

その道のりをややうつむき加減で歩いていくリュミの姿は街では当然目立つ。

そして当然のようにリュミの整った容姿に引き寄せられた少年・青年達が声をかけようと近づいくのだが、彼らは一様に途中で足を止めてしまう。

リュミはややうつむき加減とはいえ普通に歩いているだけだ。

しかし、その下心に満ちた行動を躊躇わせる威圧感のような雰囲気がリュミの周りに不可視の壁のように存在していた。

その可憐な姿との違和感も手伝って、彼らの誰も声さえかけられないまま、歩いていくリュミを見送るしかなかった。

そんな彼らのことに気づきすらせず、リュミはマンションまでの帰路を終えた。

朝に教えられたキーコードを打ち込み、マンションのエントランスを抜け、エレベータ前に辿り着いた。

そういえばとリュミは祝詞に最上階用のキーカードを渡されていたことを思い出し鞄からカードを取り出して、ぼんやりエレベータの到着を待つ。

しばらくして到着したエレベータに乗り込むと、渡されていたキーカードをボタン横のスロットに挿し込み最上階のボタンを押す。

エレベータの扉が静かにしまり、ゆっくりとした上昇感とともにエレベータの階表示が増えていき最上階で停止。

静かに扉が開くと、やはりとぼとぼといった感じでリュミはエレベータから出た。

エレベータから降りて正面に扉が一つだけある最上階は、そのフロア全てが天の家だ。

セキュリティのため、キーカードやキーコードがなければ入れないようになっていて、さきほどリュミが使用した一般用のエレベータのほかに専用エレベータもあり、そちらはコードとカードがなければ使用不可ということらしい。

ただ、現在このマンションには住民はほとんど住んでおらず、天も専用エレベータはあまり使わないらしい。

らしいというのは説明を受けたのが祝詞からだったからなのだが、リュミとしては天の『面倒くさい』の声が聞こえるようだった。

そんなことをぼんやり考えながら、扉を開け部屋に入る。

なんとなく、ただいまと呟くように口にして、一般的でありここでも適用される日本の家のマナーとしてリュミは靴を脱いで玄関を抜けリビングに向かう。


「よう」


冷房が程よく効いたリビングには軽く挨拶を返す天がソファーに身体を預け寝転んでいた。

天の挨拶に無言のまま、ややうつむき加減でゆっくりとリュミは天に近づくとおもむろに胸倉をつかんで――。


「き・さ・ま・と・い・う・奴はぁ!!」


ガクガクと天を揺らしながら顔を真っ赤にしたリュミがそこに居た。





 ―あやかし―

ブラッドシード〜  月曜日 その6




リュミエールとしては、魔術を使い自身の力の片鱗を見せつつ、学校生活において色々と天を観察しつつ楽しもうと色々準備していたのだ。

もちろん、ちょっと優秀な生徒を演じつつ久々ともいえる学校という環境も楽しみのひとつではあった。

なので放課後を利用して色々と学校の案内を天にさせようとおもっていた……なのに。


「まさか、そのまま帰ってこないとは思わなかったぞ」


さんざん天を揺らしまくながら愚痴めいた文句を並べ立ててしまったことに、ちょっぴり後悔したような感じだったが、やや落ち着いたリュミは呆れ混じりに締めくくった。


「まぁな」


天としては、さんざん揺らしまくって文句を言われ続けてそれかよと思ったが、とりあえず曖昧に返事を返して余分な突っ込みは回避する。

というより流石に揺らされまくったので、やや気分が悪い――むしろ吐きそう?――ので大人しくしていたのだが。

じとーとした目で見つめてくるリュミに、天は珍しくため息をつきそうになりつつ、とりあえずコップにお茶を注いで渡してみる。

しばらく渡されたコップをじっと見つめていたが、さすがに喉が渇いていたのだろう。リュミはひと口ふた口と飲んでから、小さくありがとうと礼をいって大人しくなった。

なんとか治まったリュミ機嫌に、天は再びぼんやりと過ごそうとソファーに深くもたれかかると、そういえばとリュミが向かいのソファーから呟くように口を開いた。


「殴り飛ばされたように見せかけて外に跳んだと聞いたが、外に待機していたのは知り合いか何かか? やけに手際が良く、さすがに驚いたぞ」


そういって、手に持ったコップに口をつけお茶を飲むリュミに、説明するのは面倒だなぁと思いつつ天はソファにもたれながら思う。

思うが、他に説明する人間もいないので、天は仕方なくリュミに答えてやることにした。


「まぁ、簡単にいえばウチの親戚に情報操作とか、ちょっとした出前なんかを頼める相手がいてな。そこに救急車(偽)を頼んだ」


なにせ、見ていた人間は少ないとはいえ、人間が殴られて吹き飛んだ(ようにみえた)状況で、殴られた本人がピンピンしていたら余計に面倒なことになるだろうし。


「で、送り先を自宅にしたら、面倒になってな」

「いいたいことは判らんでもない……が、私のこの苛立ちは一体どこにぶつければよいのだ!?」


ふたたび機嫌が斜め下に下降し始めたリュミに天が何かをいうべきかなんて面倒なことを考えていると、来客を告げるベルが鳴り、玄関が開いた。


「こんにちは。天さん、帰ってます?」


挨拶と共にリビングに入ってきた祝詞に、天は親指を立てて指し示した。


「アレに」


天が告げた瞬間、祝詞の顔面にリュミのつま先がめり込んだ。




「すまない」

「いえ、いつものことですから。ええ、いつものことなんですよ」


とりあえず謝罪するリュミに、すでに諦めの境地で悟りに到達したかのような表情で応える祝詞。

不意の一撃なのにとっさに急所をはずしたのか、祝詞には大した怪我はなく――多少、頬が赤くなってはいたが――祝詞本人も平気そうだった。

リュミとしては思わずとび蹴りをかましてしまった手前、さすがに謝罪するのに抵抗はない。

が、なぜ自分が天の指示に従ってしまったのか、さらに祝詞の様子から今回のようなことはたびたびある様子に疑問を感じた。


「天、何か私にしたのか?」


ぼそりと低くたずねてしまったリュミの声に、天ではなく祝詞がビクリと肩を揺らすが、天は不思議そうに肩をすくめただけだ。

そんな天の様子にリュミはじっと見つめるが、祝詞がこほんと咳払いしてリュミの視線を自分にむけた。


「え〜と。天さんは無意識にそういうことやっちゃうことがあるんですよ」


苦笑と書いて『にがわらい』と呼べそうな表情で祝詞がいうとリュミは少し考えるようにしてからゆっくりと聞き返す。


「そういうこと?」

「そう。『そういうこと』です。先ほどリュミさんが仰ったように、『イライラしていた苛立ち』を『思わずぶつけてしまった』んですよね?」


ゆっくりと確認するような祝詞の言葉に、リュミも自身の記憶を確認しながらゆっくりとうなづいた。

いらいらしていた――それは確かだ。

常ならば心乱されることはないはずが、天のペースに巻き込まれたのか、永い間――それこそ忘れるぐらいの時間――感情的になるなど無かったのが嘘のようだ。

もちろん、それは感情的なものではあるが一時的なものであるし、そもそも魔術師としての自分なら冷静に己を律するのは基本中の基本。

しかし、実際には、天の些細な言動と行動が指し示す方向へ感情のまま動いてしまった。

と、ここまでゆっくりと確認するように自身の行動を説明したリュミが凍りついたように止まった。

そのままゆっくりと天の方へ向く。

リュミの視線をぼーとしたまま受け止めた天がゆっくりとあくびをして目を閉じた。


「って、寝るな! お前に聞きたいことがあるのだ!」

「いや、眠いし、説明面倒だから祝詞に丸投げしてるんだし」


リュミの抗議に、なぁと天が祝詞に振ると、ええ、まぁと祝詞が頭をかきながらうなづく。


「リュミさんの聞きたいことは大体予想はつきます。なんらかの意識操作が行われたのかってことですよね?」

「あぁ、そうだ……いや、しかし」


そういって、しばしリュミは目を閉じて腕を組むと考え込むようにソファに深く腰掛けなおす。

リュミが胸の前で腕を組むと胸がブレザーの布地を強調してしまうのを祝詞はさりげなくテーブルに用意したコップを見つめることでやり過ごした。


「……仮にも私に何らかの魔術的なものや特殊な能力による干渉が合った場合、私に気づかれずに影響を与えるなど考えにくいのだが」


仮にも『魔術師』なのでな。

そう付け足したリュミに、祝詞は当然とばかりにうなづき、ソファの上で姿勢を正す。


「えぇ、リュミエール様の高名は聞き及んでいます。こと、魔術に関しては知識、技量ともに上位に数えられることも存じています」


そう、確認して祝詞は、一息つくようにお茶をひと口含むと、リュミを、それから天に視線を向けた。


「ですが、これは魔術や特殊な――いわゆる超能力的なものではなく、技術的なものなんですよ」


そういった祝詞に、リュミはやや疑問を感じて小首をかしげた。


「技術的な? 魔術も技術といえるのだが」

「魔術は……法式――この場合は術式ですか――は色々ありますが、『魔力』が必要になるでしょう?」

「たしかに、式は構築できても、『魔力』だけは素養が必要だな」


いわれてリュミは納得してうなづいた。


「そういうことです。この場合の『技術的なもの』とは、訓練だけでは手に入らない能力ではなく……もちろん素養も影響しますが、素養なしでも最低限の取得は可能という技術のことです」

「たとえば?」

「そうですね。たとえば、人身掌握……一般的にはカリスマなんて呼ばれる人を魅了する技術です。『素質、能力』ではなく『技術』としてですが。具体的には、人と相対しての話し方、視線の向け方、距離のとり方なんてものから、高度になってくると、話す間や動作などのタイミングひとつで人を自身の望む方向に導くことが可能……らしいです」


僕自身は、せいぜい礼儀作法に毛の生えた程度で、そこまでは到底辿り着けないんですけどね。

そういって困ったように肩をすくめた祝詞の言葉に、リュミは愕然としていた。


「そんなことが……」


可能なのかという言葉はリュミの口からは出てこなかった。

実際、リュミ自身が経験したのだ。そして、なにより脅威におもったことはリュミ自身が誘導されたと感じなかったこと。


「まぁ、天さんだから仕方ないとしか言えないのですけど」


祝詞の一言に、リュミは暫し絶句するが、なるほどとつぶやいて、乾いた口を潤すためにコップを手に取る。

さりげなく祝詞がリュミと自身のコップに新たにお茶を注いで、お互い一息いれた。

『天さんだから仕方ない』とは、天だから意図せず使ってしまうのは仕方ないという才能の無駄遣いという意味と。

天だから、そういう技術を使えたとしても、ある意味安全なので――なにせ本人はやる気が常に低空飛行な状態なので――脅威には程遠いという意味。


「実際、被害といえば3馬鹿さんや……僕ぐらいですし」


フフフとやさぐれた感じで、テーブルの隅に視線を向ける祝詞に、確かに被害は最小限かと納得するリュミエール。

なんとなく祝詞も弄られキャラだなぁという感じでリュミが祝詞を見ていると、祝詞が誤魔化すように咳払いする。


「といっても、めったにそんなことはない……と思うんですけど、多分、きっと、だといいなぁ」


言っている間に目が虚ろになってきた祝詞から、リュミが無理矢理視線を天に戻す。

そこにはいつの間にか用意したクッションを枕にソファで寝ている天がいた。


「お・ま・え・は・本・当・に寝る奴があるかーー!!」

「あぁっ! リュミエールさん、待ってぇ!!」


祝詞の制止の声はわずかに間に合わず。

思わず天の耳元で大声を上げてゆすって起こそうとしたリュミが昼間の千穂と唯との会話を思い出した時には既に手遅れ。

あっさり心停止した天の蘇生にリュミが人工呼吸などの蘇生措置を行ったことが、祝詞の記憶から永遠に削除されたのはその数分後のことだった。




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