宮司さんのお部屋
 (注:内容に付いては管理人の聞き間違えや勘違いがあるかもしれませんのでご了承下さい。)


 白井鳥見神社他の宮司さん(M藤宮司)に直接お話を伺いました!
 さすが本職、神道の他にも郷土史などにも造詣が深く長時間にも関わらず快くお話して下さいました。


Q: 千葉県立図書館所蔵の「白井の鳥見神社案内(栞)」に記されている鳥見神社と栄町矢口の鳥見寺(廃寺)の関係に付いて教えて下さい。

A: 印旛郡栄町矢口一番地に鎮座される一ノ宮神社(祭神:経津主命)の北側にある長見寺は、天台宗龍角寺の末寺で如意輪観音をご本尊としています。檀家の九十翁が語るに「ワシが子どもの頃、古ぼけて荒れ果てた庫裏があったが、その後修理もされず朽ち果てた。」と。
 長見寺は、朽ち果てて現在は存在しません。廃寺跡は自治会の集会場と、それに付属する駐車場になっています。その片隅に数基の石仏如意輪観音と十数基の墓石だけが僅かにその名残を留めています。現在、ご本尊は宗派の異なる隣村(興津)の龍昌院に預けられています。もしかしたら龍角寺でした。
 この長見寺の位置する場所は利根川の望む丘岬上にあり、常陸国風土記の鳥見の丘を連想させます。この地理的条件と長見寺(ちょうけんじ)と鳥見寺(ちょうけんじ)が音が同じになるところから鳥見神社へ関連付けられる可能性があります。一ノ宮神社は延長二年(924年)九月十九日祭司に記録がありますが、実際の鎮座年暦は更に集落が形成された古代に遡るものと言われています。同一年代に隣り合わせて異なった2神社が並存していたとは、ちょっと考えづらいのですが。


Q: 鳥見・宗像・麻賀多・埴生神社の関係は、どの様にお考えですか?

A: この4社は、それぞれ鳥見族・宗像族・麻賀多族・埴生族と考えた方がわかり易いかな。これらは同一一族とは言わないまでも、近縁もしくは同一祖先を持つ一族だったと考えている。鳥見と宗像神社は出雲族だからね。一族だからちゃんと住み分けが出来たんじゃないのかな。時期的には、遅くとも8世紀には分布の原型はできていたと思うんだよね。
Q: そうすると木下別所廃寺や大塚前廃寺との関係はいかがですか?

A: お寺と神社が日本の村々に1セットみたいになっているけれど、神社は日々の生活の中に根差しているものだから村落が形成されると自然とできるものだよね。だからお神社かお寺かと言われれば神社の方が古いし地縁も強いから神社が出来て後からお寺が出来ると考えていいんじゃないかな。


Q:謎の多いと言われる鳥見神社ですが、どうやってできたのでしょうか。

A: それはね、実は大和(奈良県)から来てんのよ。大和のある場所(饒速日命と関連の深い)に古文書があるらしくてね。そこには、下総に一族が移住したとちゃんと書いてある。だけど、饒速日命はデリケートな問題を含んでいて表には出て来ないのよ。茨城県に「あんば様」で有名な大杉神社ってのがあってね、そこの神様は大物主命に一応はなっているんだけれども、神社に伝わる縁起書には「大和の大神神社の神、饒速日命が降り立った。」とちゃんと書いてあるの。ここのポイントは大神神社ってとこだからね。それとね、×××の鳥見神社の中にもね古文書・・・・。(ピーッ、ピーッ、ピピピピピ・・・。)
Q: えっえっ、え〜っ本当ですかぁ〜。※■○※△×〜。


Q: え〜取り乱してすみません。鳥見神社の創建の順番はどうなのでしょうか。

A: さっきも話したけど、一族が移住して来て、数社がまず創建されね、てそれが時代とともに土地の開発に伴って広がって行ったと考えるのが一番自然だと思う。後で話そうと思っていたんだけど、茨城県にも鳥見神社があってね、それは小林(印西)の人が利根川を渡って入植した場所に、故郷を思って鳥見神社を作ったんだよね。それと同じだよ。


Q: 鳥見21社の中で、白井富ヶ谷の鳥見神社だけ神紋に沢潟(オモダカ)紋を使用しているのですがなぜですか。


A: 沢潟紋は浦部の鳥見神社でも使用しています。本殿等の建造物にはありませんが、神楽殿の幔幕などには使っています。沢潟紋は武家に見られる紋だと思います。もしかすると物部氏に関係するのかもしれませんが、中世からこの地を支配した領主が使用した紋なのかもしれません。富ヶ谷の場合は、本殿を新築した時に、氏子さん達と話し合って沢潟紋に決めました。(管理者追記 三ツ巴は本来、水を意味し火災除けとして本殿等に見られるのかもしれません。)

Q: その他に気になる点はありますか?

A: 気になる点と言えば、ヤマトタケルの伝承かな。景行天皇の伝承や千葉にはヤマトタケルの伝承が多くて、特に南総の方は特に多いらしい。印旛沼周辺でも幾つか見受けられるし、神々廻の鳥見神社にはヤマトタケルが合祀されている。その近くの「沢山の泉」には、やはりヤマトタケルの禊を行ったと伝えられているしね。ヤマトタケルをもう少し勉強すれば何か判るかもしれないね。

謝辞

 長時間に渡ってお話をしていただきました。それも1回では終わらずに2回も伺ってしまいました。素人の私に理解できるように資料を作っていただいていたり、同じ話を解るまで何回もして下さいました。また、神社に同行して説明を受けたりして本当に感謝しております。重ねて御礼を申し上げます。