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下総国司等一覧                                                   

和暦 西暦 官位 名前 役職  備     考  出典
大宝三年 703年 正五位上 上毛野朝臣男足 下総守 - 続日本紀
和銅元年 708年 従五位下 賀茂朝臣吉備麻呂 下総守 -
霊亀二年 716年 従五位上 佐伯宿禰百足 下総守 -
霊亀二年 716年 従五位下 高向朝臣大足 下総守 -
養老三年 719年 正五位上 藤原朝臣宇合 - 常陸国司、安房・上総・下総を管す
天平十年 738年 - 忌部広万呂 下総介 - 正倉院文書
同年 - 高椅広人 下総掾 -
同年 - 丹比常陸 下総大目 -
天平十三年 741年 従五位下 守部牛養 下総守 - 続日本紀
天平十八年 746年 従五位下 多治比真人木人 下総守 -
天平勝宝三年 751年 正五位上 佐伯今毛人 下総員外介 - 正倉院文書
天平勝宝四年 752年 従五位下 巨勢朝臣浄成 下総守 - 続日本紀
天平宝字元年 757年 従四位上 巨勢朝臣堺麻呂 下総守 兼任
天平宝字三年 759年 従五位下 池田朝臣足継 下総守 -
天平神護二年 766年 従五位下 大野朝臣真本 下総介 -
神護景雲元年 767年 従五位下 大部直不破麻呂 下総員外介 -
神護景雲二年 768年 従四位上 藤原朝臣是公 下総守 兼任
神護景雲三年 769年 従五位下 桑原王 下総員外介 兼任
宝亀元年 770年 従五位下 桑原王 下総守 -
宝亀二年 771年 従五位下 石川朝臣豊人 下総介 -
宝亀五年 774年 従四位下 藤原乙縄 下総守 兼任
宝亀七年 776年 従五位下 松井連浄山 下総大掾 兼任
同年 従四位下 神王 下総守 兼任
宝亀九年 778年 正四位上 道島宿禰島足 下総守 兼任
同年 従六位上 小野朝臣滋野 下総権介 兼任(上奏あり)
宝亀十年 779年 従五位下 紀朝臣豊庭 下総守 -
同年 従五位下 藤原朝臣種継 下総守 兼任
天応元年 781年 正四位上 藤原朝臣家依 下総守 兼任
同年 従五位下 丈部直牛養 下総大領 印旛郡大領、従五位下を賜る
延暦元年 782年 従五位下 高倉朝臣殿嗣 下総介 -
延暦四年 785年 正四位上 坂上大忌寸苅田麻呂 下総守 兼任
同年 従五位上 藤原朝臣真友 下総守 -
延暦五年 786年 従五位下 文室真人大原 下総介 -
延暦七年 788年 正五位下 藤原朝臣乙叡 下総守 兼任
延暦八年 789年 従五位下 池原公綱主 下総大掾 兼任
延暦九年 790年 正四位上 神王 下総守 兼任
同年 従五位下 田中朝臣清人 下総介 -
延暦十二年 793年 従五位下 高村忌寸田使 下総権介 兼任 外記補任
延暦十四年 795年 正四位下 石川真守 下総守 兼任 公卿補任
延暦十四年 795年 従四位下 藤原真友 下総守 中務大輔、右京大夫兼任 続日本後記
延暦二十一年 802年 従五位下 堅部広人 下総掾 兼任 外記補任
大同元年 806年 従五位下 大私部直善人 下総大掾 千葉国造 続日本後記
同年 従三位 紀朝臣勝長 下総守 兼任
同年 従五位下 藤原朝臣城主 下総介 兼任
同年 従五位下 安部朝臣鷹野 下総介 -
大同四年 809年 従五位上 多治比真人八千足 下総守 -
弘仁元年 810年 従五位下 佐伯宿禰長継 下総介 兼任
弘仁二年 811年 従五位下 大野朝臣真管 下総守 -
弘仁四年 813年 従五位上 藤原朝臣世嗣 下総介 兼任
弘仁十二年 821年 従四位下 清原夏野 下総守 兼任 公卿補任
天長元年 824年 従四位下 三原春上 下総守 兼任
天長五年 828年 従四位下 藤原愛発 下総守 兼任 続日本後記
天長九年 832年 正五位上 滋野宿禰貞主 下総守 兼任
天長十年 833年 従七位下 丈部継道 下総少目 宿禰を賜る
承和七年 840年 従五位下 橘朝臣宗雄 下総介 -
承和八年 841年 正四位下 文室真人名継 下総介 -
承和十年 842年 同上 同上 下総守 -
仁寿元年 851年 従五位下 橘朝臣末茂 下総守 - 文徳実録
仁寿三年 853年 - 朝宗宿禰吉継 下総介 -
斎衝二年 855年 - 春枝王 下総守 病気の為離任
同年 - 清龍朝臣藤根 下総守 -
天安元年 857年 正四位下 豊江王 下総権介 -
同年 従五位下 安野宿禰豊道 下総介 -
貞観元年 859年 - 橘春成 下総介 - 三代実録
同年 - 淡海弘峰 下総守 -
貞観二年 860年 従五位下 神門臣氏成 下総介 -
貞観五年 863年 従五位下 清原真人長統 下総守 -
同年 従五位上 文室朝臣有真 下総守 -
貞観六年 864年 従五位下 多宿禰自然麻呂 下総介 -
貞観十年 868年 従五位下 上毛野朝臣上長 下総介 -
貞観十一年 869年 従五位下 橘朝臣最雄 下総守 -
貞観十七年 875年 従五位下 文室朝臣甘楽麻呂 下総守 俘囚反乱の記述あり
元慶三年 877年 従五位下 藤原朝臣清夏 下総守 -
元慶五年 881年 従八位下 坂本臣勝守 下総史生 -
元慶七年 883年 従四位下 基世王 下総守 - 古今和歌集
仁和三年 887年 従五位下 飯高朝臣貞宗 下総守 下総介より昇進 三代実録
寛平四年 892年 従五位下 宮道有憲 下総介 - 外記補任
寛平六年 894年 従四位上 藤原玄上 下総介 - 公卿補任
延喜九年 909年 - 菅原景行 下総守 過書進上す 日本紀略
延喜十四年 914年 - 藤原興風 下総権大掾 - 古今和歌集
天慶三年 940年 従五位下 安部朝臣恒鑑 下総守 - 類聚符宣抄
天暦三年 949年 - 藤原有行 下総守 任地に赴任しないので審議す 日本略紀
康保三年 966年 - 源順 下総権守 - 源順集
永観二年 984年 正六位上 平朝臣吉明 下総介 - 大間成文抄
長徳二年 996年 正六位上 笠朝臣季春 下総介 - 長徳二年大間書
同年 従八位上 大蔵朝臣為基 下総権大掾 -
長徳四年 998年 - 狛茂安 下総少目 改任 大間成文抄
長保元年 999年 - 秦正遠 下総介 改任
長保五年 1003年 - 宮道義行 下総守 平維良の国府焼き打ちを報告す 百錬抄
同年 - 藤原為重 下総守 申文あり 権記
同年 1003年 - 源忠良 下総守 - 権記
寛弘三年 1006年 従五位下 滋野如時 下総介 - 外記補任
同年 正五位下 源道済 下総守 - 源道済集
寛弘四年 1007年 - 清原真人 下総権少掾 - 任国例
長和三年 1014年 - 石寸厚時 下総大掾 任料を一切経書写料にあてる 小右記
長和五年 1016年 - 惟宗貴重 下総守 辞任を申し出る 御堂関白記
治安三年 1023年 - 惟宗博愛 下総守 後不堪を申上する 小右記
万寿元年 1024年 - 如信 下総守 藤原実資に馬などを献上す 小右記
万寿四年 1027年 - 藤原良兼 下総掾 - 小右記
長元四年 1031年 - 為頼 下総守 重任申請す 小右記
長元四年 - 藤原時重 下総守 - 左経記
長元九年 1036年 - 清原真孝 下総大目 - 除秘抄
長久元年 1040年 - 元信 下総守 - 春記
永承二年 1047年 正六位上 角麻宿禰時通 下総大掾 小舎人 魚魯愚別録
天喜四年 1056年 - 秦宿禰 下総小目 膳部 任国例
康平二年 1059年 正六位上 中臣宿禰千里 下総大掾 - 魚魯愚抄
同年 - 佐伯宿禰 下総大目 - 任国例
康平六年 1063年 正六位上 藤原朝臣成則 下総大掾 - 大間成文抄
康平七年 1064年 - 紀定経 下総守 - 勘例
延久元年 1069年 - 物部宿禰 下総大掾 番長 任国例
延久四年 1072年 - 源頼綱 下総守 - 魚魯愚抄
永保元年 1081年 - 高階順業 下総守 - 為房卿記
寛治五年 1089年 - 藤原忠宗 下総守 - 江記
嘉保元年 1094年 従五位下 惟宗朝臣成季 下総介 - 除目大間書
同年 正六位上 勝宿禰宗俊 下総少掾 -
同年 従七位上 伴宿禰式氷 下総大目 -
嘉保二年 1095年 藤原資俊 下総守 - 魚魯愚抄
承徳元年 1097年 従五位下 源朝臣仲正 下総権守 - 中右記
同年 従五位下 藤原朝臣俊基 下総守 -
康和元年 1099年 従五位下 藤原範綱 下総守 - 本朝世紀
康和五年 1103年 - 平宗盛 下総守 - 中右記
長治二年 1105年 従五位下 惟宗朝臣輔兼 下総介 - 大間成文抄
同年 正六位上 藤井宿禰為光 下総少掾 -
天永二年 1111年 - 紀久実 下総守 - 中右記
同年 正六位上 藤原朝臣季利 下総掾 - 魚魯愚別録
永久三年 1115年 - 平資孝 下総目代 下総目代として下向す 九条家文書
永久四年 1116年 正六位上 源朝臣習 下総少掾 - 大間成文抄
同年 従五位下 大江朝臣清佐 下総介 -
元永元年 1118年 - 源朝臣仲正 下総守 下総守源仲正との記述あり 中右記
元永二年 1119年 - 源遠仲 下総権守 - 大間成文抄
天治二年 1125年 - 源貞宗 下総少掾 - 除秘抄
大治二年 1127年 - 藤原茂明 下総守 - 中右記
大治三年 1128年 - 大江順忠 下総少掾 - 除秘抄
大治四年 1129年 - 大中臣盛輔 下総権守 - 中右記
大治五年 1130年 正六位上 平朝臣経繁 下総権介 相馬郡布施郷を伊勢皇大神宮へ寄進す 檪木文書
同年 - 藤原朝臣 下総権守 布施郷の寄進を認める
長承三年 1134年 - 中原広賢 下総介 - 中右記
保延四年 1138年 - 橘正遠 下総権守 - 中右記
康治元年 1142年 - 大江佐景 下総権守 - 本朝世紀
康治二年 1143年 - 藤原親方 下総守 -
同年 - 大江元重 下総介 -
久安二年 1146年 正六位上 藤原公職 下総権守 -
久安三年 1147年 - 惟宗則友 下総少掾 -
久安四年 1148年 従五位下 三善為行 下総介 -
同年 - 藤原永家 下総少掾 -
仁平元年 1151年 従五位上 藤原信成 下総守 従五位上には保元二年(1157年)に昇進 勘例
久寿元年 1154年 - 源経光 下総権守 - 兵範記
久寿二年 1155年 - 中原師直 下総権介 - 為親記
平治元年 1159年 従五位下 源朝臣有通 下総守 - 保元四年大間書
同年 正六位上 惟宗朝臣成隆 下総大掾 -
応保元年 1161年 正六位上 平朝臣常胤 下総権介 - 檪木文書
応保二年 1162年 - 中原高重 下総介 - 山塊記除目部類
仁安二年 1167年 正六位上 中原時忠 下総権介 - 春除目任官歴名
同年 正六位上 源朝臣宗義 下総掾 -
同年 従七位上 坂上宿禰有正 下総少目 -
同年 - 藤原実仲 下総守 - 公卿補任
同年 - 紀元兼 下総介 - 春除目任官歴名
仁安三年 1168年 - 橘盛光 下総権守 - 兵範記
同年 正六位上 源朝臣貞重 下総大掾 - 春除目任官歴名
同年 正六位上 藤原朝臣盛定 下総少掾 -
同年 正六位上 橘朝臣盛綱 下総少掾 -
同年 正六位上 紀朝臣久重 下総少掾 -
嘉応元年 1169年 従五位下 三善章定 下総介 - 兵範記
同年 - 原基国 下総介 -
承安元年 1171年 正六位上 中原康宗 下総権介 - 外記補任
安元元年 1175年 従五位下 藤原朝臣重遠 下総介 - 玉葉
安元二年 1176年 正六位上 源朝臣宗長 下総大掾 -
治承三年 1179年 正六位上 橘朝臣延次 下総掾 -
同年 従五位下 丹波朝臣基明 下総権守 -


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出典

吾妻鏡:鎌倉幕府編纂の歴史書。13世紀後半から14世紀初頭に成立。東鏡とも言われる。
檪木文書:三重県伊勢市にある伊勢神宮外宮の神主、檜垣家に伝来した文書。
大間成文抄:九条良経(1196-1206年)著。鎌倉時代初期に成立。
勘例:鎌倉時代初期の中原家の作成か。
玉葉(ギョクヨウ):九条兼実(1149-1207年)の日記。後鳥羽天皇の摂政関白であった。
魚魯愚抄:太政大臣洞院公賢(1291-1360年)が諸書から除目に関する記事を集大成したもの。成立は没年の1360年頃。
魚魯愚別録:魚魯愚抄の別録として編纂したもの。
公卿補任:三位以上の高官の歴名を記したもの。著者、成立年代不詳。
九条家文書:藤原北家から分かれた九条家伝来の文書。
外記補任:編者、成立年代不詳。鎌倉時代後期には成立。
権記:権大納言藤原行成(972-1027年)の日記。
左経記:参議左大弁源経頼(985-1039年)の日記。
山塊記除目部類:柳原紀光(1746-1800年)が編集した部類記。1796年成立。
除目大間書:1094年正月の県召除目の大間書。
正倉院文書:東大寺正倉院の文書。
春記:春宮権大夫藤原資房(1007-1157年)の日記。
除秘抄:大外記中原師弘著、鎌倉時代中期成立。
中右記:右大臣藤原宗忠(1062-1141年)の日記。
三代実録(日本三代実録):藤原時平・菅原道真・大蔵善行らの撰。901年成立。
小右記:右大臣藤原実資(957-1046年)の日記。
為親記:平安時代末の藤原為親の日記。
長徳二年大間書:996年正月の除目にあたっての大間書。
任国例:権中納言藤原経光著、鎌倉時代初期成立。
日本紀略:平安時代末期成立。編者不詳。
春除目任官歴名:著者不詳。仁安2-3年の春除目を分類集成したもの。
百錬抄:撰者未詳の漢文体史書。1260年頃成立か。
兵範記:従三位兵部卿平信範(1112-1187年)の日記。
保元四年大間書:1159年正月の除目にあたっての大間書。
本朝世紀:藤原通憲(1106-1159年)撰。1154〜1160年頃成立。
御堂関白記:藤原道長(966-1027年)の日記。
源順集:平安時代中期の源順の家集。
源道済集:同上
類聚符宣抄:成立年代不詳。編者は源経頼とする説がある。



その他記載事項

和暦 西暦 内容 出典
天平十年 738年 印波郡采女丈部直広成 正倉院文書
天平十九年 747年 元興寺の食封戸二百が下総にある 元興寺伽藍縁起井流記資材帳
同年 金光明寺の食封戸に印旛郡の五十戸が宛てられる 東大寺要録
神護景雲二年 768年 下総国、井上・浮島・河曲の三駅に馬十疋を置く 続日本紀
宝亀六年 775年 下総国に少目2員を置く
延暦七年 788年 梵釈寺に下総の50戸を封する
延暦二十四年 805年 印旛郡鳥取駅など廃止 日本後記