参考資料一覧

*0) 「私が作る一夜づけの自分のホームページ」 石澤義裕・狩野裕子著 明日香出版社
*1) 電子地図'95 Ver1.2 (ZENRIN CO.,LTD.)
*2) 「惣山町」平成11年8月作成 惣山町自治会
*3) ポケット版 神戸市区分図(ワラヂヤ S54年版)
*4) ワラヂヤシティアトラス 神戸市(ワラヂヤ 平成2年8月)
*5) 「兵庫県の歴史散歩」兵庫県高等学校教育研究会歴史部会著 山川出版社
*6) 「ハイブリッド新辞林」三省堂
*7) 「世界大百科事典」平凡社
*8) 渋滞ぬけみち兵庫道路地図(昭文社 1988年10月)
*9) 六甲全山縦走マップ(六甲全縦市民の会 監修、神戸市国際文化観光局 発行 平成19年度)
*10) 電子地図帳Z[zi:]U (ZENRIN CO.,LTD.)
*11) 「創立120周年 学校の姿」 (神戸市立小部小学校 平成6年)
*12) 「私たちの神戸」 (神戸市立中学校教育研究会社会科研究部 1998年)
*13) 「Dynamic HTML ポケットリファレンス」(潟Aンク著 技術評論社)
*14) 「六甲山博物誌」(玉起彰三著 神戸新聞総合出版センター)
*15) 日本経済新聞(近畿版)連載 「ゆったりウォーク 六甲山系」 2000.2〜
*16) 「神戸の伝説」(田辺眞人著 神戸新聞総合出版センター)
*17) 「徳川道 西国往還付替道」(徳川道調査委員会編集 神戸市市民局発行(s53.3)、神戸市北区図書館)
*18) 「神戸市史」(神戸市編纂・発行、神戸市北区図書館)
*19) 「神戸歴史物語(小部・鈴蘭台)」(ニ子利一、小部史研究同好会著 昭和64年、神戸市中央図書館(館内閲覧))
*20) 「山田村郷土誌」(山田村役場発行 大正9年、神戸市中央図書館(館内閲覧))
*21) 「山田郷土誌(第2篇)」(山田郷土史編纂委員会 昭和54年、神戸市中央図書館(館内閲覧))
*22) 「北区 四半世紀のあゆみ」(神戸市北区役所 平成12年、神戸市中央図書館(館内閲覧))
*23) 「北区の歴史」(神戸市北区役所 平成8年、神戸市中央図書館(館内閲覧))
*24) 「埋もれた神戸の歴史」(落合重信著 昭和52年、神戸市中央図書館)
*25) 「神戸殺人事件」(内田康夫著 光文社 1989年)
*26) 「北神戸 歴史の道を歩く」(野村貴郎著 神戸新聞総合出版センター 2002年)
*27) 「源平勇者の夢散歩」(執筆代表 東充、編集発行 地域の歴史を散歩しよう実行委員会 平成11年)
*28) 「メタモルフォセス群島」(筒井康隆著 新潮文庫 昭和56年)
*29) 「神戸ゆかりの50人」(神戸新聞社編集 神戸新聞総合出版センター 2002年)
*30) 「北神戸の山やま」(多田繁次著 神戸新聞総合出版センター 1982年、関連リンク
*31) 「日本列島の誕生」(平朝彦著 岩波新書 2004年)
*32) 「つくはら 千年家とその周辺」(呑吐ダム水没地区文化財調査団著 神戸市教育委員会 昭和51年3月)
*33) 「神戸の民俗芸能 兵庫・北編」(神戸市教育委員会 昭和52年1月、神戸市中央図書館(館内閲覧))
*34) 「端谷城」(前山純三・菅保著 神戸新聞事業社 昭和48年11月、神戸市中央図書館)
*35) 「探訪三木合戦」(福本錦嶺著 三木市観光協会 平成8年3月、神戸市中央図書館)
*36) 「別所一族の興亡 「播州太平記」と三木合戦」(橘川真一著 神戸新聞総合出版センター 2004年12月)
*37) 「史伝黒田如水」(安藤英男著 鈴木出版 昭和62年10月、神戸市中央図書館)
*38) 「播磨灘物語」(司馬遼太郎著 講談社 1978年3月)
*39) 「北区歳時記」(北区民まちづくり会議 平成18年10月、ハローステーションKobe

"北神戸丹生山田の郷" 用語説明

あかまつのりむら【赤松則村】
(1277-1350) 南北朝時代の武将。播磨の守護。1333 年,六波羅を攻め落とし,建武政権の成立に貢献。のち,足利尊氏に加担し,室町幕府開創を助けた。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
あしかがたかうじ【足利尊氏】
(1305-1358) 室町幕府の初代将軍(在職,1338-1358)。初名は高氏。元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをし,後醍醐天皇の諱(いみな)尊治の一字を賜り改名。のち天皇にそむき,1336 年光明天皇を擁立し,室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し,天竜寺などを建立。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
あじゃり【阿闍梨】
〔仏〕〔(梵) acarya の音写。軌範師・教授・正行などと訳す。「あざり」とも〕
(1)(ア)密教で,修行が一定の段階に達し,灌頂(かんじよう)を受けた僧。(イ)日本で,真言・天台両宗の僧に与えられた職位。(2)修法を執り行う僧。(3)密教系の僧に対する敬称の一種。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
あずまかがみ【吾妻鏡・東鑑】
鎌倉幕府の編纂(へんさん)した編年体の公的記録。52 巻。1180 年(治承 4)から 1266 年(文永 3)までを収める。幕府の公用記録のほかに,「明月記」などの公家日記や古文書類を引用史料として編まれ,変体漢文で記されている。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
あたらしきむら【新しき村】
武者小路実篤(むしやのこうじさねあつ)が 1918 年(大正 7)宮崎県児湯(こゆ)郡木城(きじよう)村(現木城町)に建設した,ユートピア的農業共同体。平等に労働し個性を生かした生き方を追求することを理想とした。39 年(昭和 14),「東の村」が埼玉県入間郡毛呂山(もろやま)町に建設され,主力はここに移った。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
あみだ【阿弥陀】
〔(梵) Amitayus(無量寿と漢訳)・Amitabha(無量光と漢訳)の音訳〕 〔仏〕大乗仏教の浄土教の中心をなす仏。衆生(しゆじよう)救済の願をたて,現在は成仏し西方の極楽浄土で教化しているとされる。自力で成仏できない人も,念仏を唱えれば極楽に往生すると説く。浄土宗・浄土真宗の本尊。弥陀(みだ)。阿弥陀仏。阿弥陀如来。無量寿仏(むりようじゆぶつ)。無量光仏。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
あらきむらしげ【荒木村重】
(?-1586)安土桃山時代の武将。摂津の人。織田信長に従い,摂津守となったが,1578 年謀反の疑いで信長に追われ,毛利氏を頼む。のち剃髪(ていはつ),筆庵道薫と号して茶の湯をきわめ,豊臣秀吉に近侍した。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
いっこうしゅう【一向宗】
〔一向に(=ひたすら)念仏することを宗旨とすることから〕浄土真宗の異称。一向一念宗。
【浄土真宗】鎌倉初期,法然の弟子の親鸞が創始した浄土教の一派。阿弥陀仏の力で救われる絶対他力を主張し,信心だけで往生できるとする。本願寺派・大谷派・高田派・仏光寺派・木辺派・興正派・出雲路派・山元派・誠照寺派・三門徒派の 10 派に分かれる。真宗。一向宗。門徒宗。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
いんぜん【院宣】
上皇または法皇の命により,院庁の役人の出す公文書。天皇の詔勅に相当する。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
えんぎ【縁起】
社寺の起源・由来や霊験などの言い伝え。「石山寺―」。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
えんぎしき【延喜式】
平安中期の律令の施行細則。50 巻。905 年(延喜 5)藤原時平らが醍醐天皇の命により編纂を始め,時平の死後藤原忠平らにより 927 年完成。施行は 967 年。のちの律令政治の基本法となった。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
えんゆう【縁由】
物事がそうなった訳やきっかけ。原因・由来など。えんゆ。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
おうじんてんのう【応神天皇】
記紀の所伝の第 15 代天皇誉田別命(ほんだわけのみこと)の漢風諡号(しごう)。仲哀天皇の皇子。母は神功皇后。この時期,朝鮮・中国から渡来して技術を移入する者が多く,大和朝廷の勢力が大いに発展した。「宋書」の倭王讃をこの天皇にあてる説がある。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
おうせいふっこ【王政復古】
1868 年 1 月 3 日(慶応 3 年 12 月 9 日),討幕派が王政復古の大号令を発し,江戸幕府を廃して政権を朝廷に移した政変。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
おおあざ【大字】
町や村の中の一区画で,比較的広く,いくつかの小字(こあざ)を含むものの名。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
から【加羅・伽羅・迦羅】
4〜6 世紀,朝鮮半島南部にあった多くの小国。特に,金官加羅(金海)や大加羅(高霊)を指す。また,この小国群の総称で,任那(みまな)加羅とも任那ともいう。新羅(しらぎ)・百済(くだら)に併合され,562 年滅亡。韓。伽耶(かや)。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
かんべ【神戸】
日本古代において神社に世襲的に所属して貢納と奉仕を任とした民戸 。《日本書紀》崇神7年条に神戸の起源説話がみえるが大化前代の神戸は部民的性格を持っていたと考えられている。(平凡社 『世界大百科事典』)
ぎょうき【行基】
(668-749) 奈良時代の僧。和泉の人。架橋・築堤など社会事業を行い,民衆を教化し行基菩薩と敬われた。聖武天皇の帰依を受け,東大寺・国分寺の造営に尽力し,大僧正に任ぜられ,また大菩薩の号を賜った。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
きょりゅうち【居留地】
一国の領土のうち,一定地域を限って外国人の居住・営業が認められた区域。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
くうかい【空海】(弘法大師)
(774-835) 平安初期の僧。日本の真言宗の開祖。諡号(しごう),弘法大師。讃岐の人。804 年入唐し,密教を学ぶ。806 年帰朝して高野山金剛峰寺(こんごうぶじ)を開く。嵯峨天皇より東寺(教王護国寺)を与えられ,大僧都に任ぜられた。日本最初の庶民学校である綜芸種智院(しゆげいしゆちいん)を設立。書にすぐれ三筆の一人。著「三教指帰(さんごうしいき)」「性霊(しようりよう)集」「文鏡秘府論」ほか。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
くすのきまさしげ【楠木正成】
(1294-1336) 南北朝時代の武将。河内国の土豪。1331 年,後醍醐天皇に呼応して河内赤坂城に挙兵,建武政権樹立に貢献し,河内和泉の守護となった。36 年足利尊氏に兵庫湊川(現 神戸市)で敗れ,弟正季と刺しちがえて死んだ。大楠公(だいなんこう)。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
くだら【百済】
朝鮮古代の三国の一。4 世紀半ば,馬韓(ばかん)北部に成立。のち高句麗(こうくり)に圧迫され半島西南部へ移動。王族は高句麗系の夫余族といわれる。日本との関係が深く,仏教など大陸文化を伝えた。660 年に唐・新羅(しらぎ)の連合軍に滅ぼされた。ひゃくさい。〔「くだら」は日本における称で,大村を意味する古代朝鮮語によるという〕(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
くろだよしたか【黒田孝高】
(1546-1604) 安土桃山時代の武将。播磨の人。通称,官兵衛。法号,如水。豊臣秀吉の参謀格として,各地に転戦。関ヶ原の戦いでは徳川方に属す。キリシタン大名で,洗礼名はシメオン。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
くまがいなおざね【熊谷直実】
(1141-1208) 鎌倉初期の武将。武蔵国熊谷の人。通称二郎。石橋山の合戦では平家方だったが,のち頼朝に仕え,一ノ谷で平敦盛を討った。久下直光と所領を争い敗れて出家。法号蓮生。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
げぎょ【懸魚】
屋根の破風に取りつけて,棟木(むなぎ)や桁(けた)の木口を隠す装飾。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
こうくり【高句麗・高勾麗】
古代朝鮮の一国。中国東北部にいた扶余(ふよ)族の一支族が建国(?-668)。313 年,楽浪郡を滅ぼし朝鮮北部を領有,427 年平壌に遷都。広開土王以下 3 代が最盛期。唐・新羅の連合軍に滅ぼされた。高麗(こま)。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
こくが【国衙】
律令制下,諸国に置かれた国司が執務する役所。国府。国庁。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
ごしらかわてんのう【後白河天皇】
(1127-1192) 第 77 代天皇(在位,1155-1158)。名は雅仁。鳥羽天皇の第 4 皇子。即位の際,崇徳上皇と対立,保元の乱を生じた。二条天皇に譲位後,5 代にわたって院政をおこない,平氏政権から鎌倉幕府権力の確立に至る変革期にあって朝廷権威の存続を巧みにはかった。1169 年出家して法皇となる。今様(いまよう)を好み「梁塵秘抄(りようじんひしよう)」を撰した。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
ごずてんのう【牛頭天王】
祇園社などの祭神。祇園精舎の守護神とも,薬師如来の化身ともいう。疫病神で,のちに素戔嗚尊(すさのおのみこと)と習合され尊崇された。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
ごだいごてんのう【後醍醐天皇】
(1288-1339) 第 96 代天皇(在位,1318-1339)。名は尊治。後宇多天皇の皇子。親政を企てて正中の変・元弘の変に敗れ,隠岐に配流。1333 年脱出し,新田義貞・足利尊氏らの支援で鎌倉幕府を滅ぼして建武新政権を樹立。のち公武の不和から親政は失敗し,尊氏らも離反,36 年吉野に移り南朝を立てた。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
しはいもんじょ【紙背文書】
古文書で,一旦廃棄されて裏が再利用されたものの,最初に書かれた文書。裏文書。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
しょうとくたいし【聖徳太子】
(574-622) 用明天皇の皇子。名は厩戸豊聡耳(うまやどのとよとみみ)皇子。聖徳太子は諡号(しごう)。推古天皇の摂政として冠位十二階・十七条憲法を制定。小野妹子(いもこ)を隋に派遣して国交を開いた。また,広く学問に通じ,深く仏教に帰依(きえ)した。著「三経義疏」(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
じょめいてんのう【舒明天皇】
(593-641) 日本書紀で第 34 代天皇(在位,629-641)の漢風諡号(しごう)。名は田村皇子。和風諡号は息長足日広額(おきながたらしひひろぬか)。押坂彦人大兄皇子の子。蘇我氏によって擁立,在位中同氏の勢力が増大した。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
しらぎ【新羅】
朝鮮最初の統一王朝(356-935)。都は慶州。4 世紀中頃,斯盧(しら)国が半島東南部の辰韓 12 か国を統合して建国。7 世紀には唐と結んで半島の統一支配を確立,のち高麗(こうらい)の太祖王建に滅ぼされた。しら。しんら。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
じんぐうこうごう【神功皇后】
記紀所伝の第14代仲哀天皇の皇后。気長足姫(息長帯比売)(おきながたらしひめ)の漢風諡号(しごう)。天皇の死後,新羅(しらぎ)に出陣,凱旋(がいせん)ののち筑紫の地で応神天皇を出産,69 年間摂政をつとめたという。大帯姫(おおたらしひめ)とも。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
(この古事記・日本書紀に記された神功皇后伝説は、)よくよむと胎中の応神を主役とした話だといえる。(中略)応神が母の胎内にいながら先進文明国朝鮮の統治権を授かった話とよめるのである。(中略)以上の話は文明時代を開いた初代王誕生の物語として(中略)神功皇后は欠かせない存在であった。(平凡社 『世界大百科事典』)
神戸の伝説(*16)では、帰国した神功皇后は、一時丹生山に住んだ。ずっと後の長徳年間(995〜999)に皇后の子の応神天皇を祀って基灯法師が創建した社が山田地方の総鎮守・中村の六条八幡のおこりだとも伝えている。
すえき【須恵器・陶器】
古墳時代中期から平安時代にかけて作られた土器。登り窯(がま)で高温焼成した比較的硬質な灰黒色の土器。祝部(いわいべ)土器。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
せいめいおう【聖明王】
(?-554) 百済第 26 代の王(在位,523-554)。釈迦仏像や経典を初めて日本に伝えたといわれる。聖王。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
せっかんけ【摂関家】
公卿の家格の一。摂政・関白に任ぜられる家柄。平安中期以後藤原氏北家の九条流をいい,鎌倉期にはそこから近衛・九条・二条・一条・鷹司の五摂家が分立し,江戸時代に及んだ。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
そがのうまこ【蘇我馬子】
(?-626) 敏達・用明・崇峻・推古四朝の大臣。蘇我稲目の子。対立する排仏派の物部守屋を滅ぼし,崇峻天皇を殺害。法興寺を造立して仏教興隆に尽力,「天皇記」「国記」の編纂(へんさん)にも従事した。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
たいへいき【太平記】
軍記物語。40 巻。小島法師の作との説がある。何度か補正を経て,1371 年頃成立か。後醍醐天皇の討幕計画から,五十余年にわたる南北朝内乱を,南朝側の立場から流麗な和漢混交文で描く。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
たいらのきよもり【平清盛】
(1118-1181) 平安末期の武将。忠盛の長男。通称,平相国。法号,浄海。白河法皇の落胤とも伝えられる。保元・平治の乱により対立勢力を一掃,従一位太政大臣となる。娘徳子を高倉天皇に入内させ,官職を一門で独占,知行 30 余国に及ぶ平氏政権を樹立した。他方,地方武士に離反され,源頼朝ら反平氏勢力が挙兵,福原に遷都したが熱病のため没した。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
たけなかはんべえ【竹中半兵衛】
(1544?-1579) 戦国時代の武将。美濃の人。名は重治。豊臣秀吉の軍師。智略にすぐれたが,播磨三木城攻略中,病没。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
たたら【踏鞴】
足で踏んで風を送る,大きなふいご。鋳物に用いる。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
たちばなのとおやす【橘遠保】
(?-941?) 平安時代の天慶3年(940)、瀬戸内海の海賊を率いて日振島を根拠地に乱を起こし,瀬戸内全域と九州の一部を支配した藤原純友を誅した警固使。(参考:三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
「神戸歴史物語(小部・鈴蘭台)」(*19)によれば、朱雀天皇から命ぜられた右大臣橘遠保は、天慶4年(941)、藤原純友征伐に向ったが、途中で純友が部下に殺害された連絡を受けた。乱の後始末をした帰路、白川で倒れ、小部の地で没した。その後、橘遠保の身内・従者が小部の地に留まり、荘園を作った。
たん【丹】
(1)硫黄と水銀との化合した赤土。また,その色。辰砂。(2)鉛に硫黄と硝石を加えて焼いて作ったもの。鉛の酸化物。黄色をおびた赤色で絵の具や薬用とする。鉛丹(えんたん)。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
ちぎょう【知行】
(1)平安時代,知行国を与えられ,国務を執り行うこと。
(2)中世,土地・財産を直接支配し,その用益権を行使すること。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
ちゅうおうこうぞうせん【中央構造線】
西南日本を内帯と外帯とに分ける大規模な断層帯。諏訪湖の西から天竜川の東を通り,豊川の谷に沿って紀伊半島に入り,四国を経て九州に至る。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
ちんじゅ【鎮守】
その地を守護する神。「―の社(やしろ)」(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
てんぽうのかいかく【天保の改革】
1841 年から 43 年にかけて,老中水野忠邦を中心に行われた江戸幕府の政治改革。水野は風俗粛正・奢侈(しやし)禁止・物価引き下げを図り,人返しの法,株仲間の解散,上知令などを発したが,反対が多く失脚した。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
とばふしみのたたかい【鳥羽伏見の戦い】
1868 年 1 月 27 日(慶応 4 年 1 月 3 日)に起こった旧幕府軍および会津・桑名藩兵と,薩長軍との内戦。新政府が徳川慶喜(よしのぶ)の辞官納地を決定したのに対し,旧幕府方が挙兵,鳥羽・伏見で薩長軍と交戦。戊辰(ぼしん)戦争の発端となったが旧幕府軍は大敗した。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
とよとみひでよし【豊臣秀吉】
(1536-1598) 安土桃山時代の武将。幼名日吉丸。初名木下藤吉郎。のち羽柴秀吉。織田信長に仕え,筑前守となる。本能寺の変後,明智光秀を討ち,四国・九州・関東・奥羽を征して 1590 年天下を統一。この間,85 年関白,翌年豊臣姓を賜って太政大臣となり,91 年関白を養子秀次に譲り太閤と称した。また,検地・刀狩りで兵農分離を徹底,幕藩体制の基礎を築いた。文禄・慶長の役で朝鮮に出兵,戦果はあがらず,伏見城で病没。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
なまむぎじけん【生麦事件】
1862 年 8 月,生麦村で島津久光の行列を乱したイギリス人を薩摩藩士が殺傷した事件。イギリスは幕府・薩摩藩に犯人引き渡しと賠償金を要求し,幕府は償金を支払ったが薩摩藩は拒否し,薩英戦争の原因となった。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
にったよしさだ【新田義貞】
(1301-1338) 鎌倉末・南北朝時代の武将。後醍醐天皇の挙兵に応じて鎌倉をおとしいれ,幕府を滅ぼした。建武政権では武者所の頭人。足利尊氏と対立,1336 年尊氏を九州に走らせたが,再挙した尊氏に敗れ恒良・尊良親王を奉じて越前金ヶ崎城に拠(よ)ったが落城し,足羽郡藤島で戦死。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
にょらい【如来】
〔仏〕〔梵語から。「真理から生まれたもの」の意〕 仏教上の最高の状態にある存在,すなわち仏のこと。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
にんぎょうじょうるり【人形浄瑠璃】
日本固有の人形劇の一。三味線伴奏で語る義太夫節などの浄瑠璃に合わせて人形を遣うもの。室町後期に起こった浄瑠璃節が,江戸初期三味線と提携して,人形芝居を上演するようになって成立。作者に近松門左衛門,太夫に竹本義太夫などが出て,演劇の一様式として確立し,歌舞伎にも影響を与えた。その流れは「文楽」として今に伝わる(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
はいぶつきしゃく【廃仏毀釈・排仏棄釈】
〔仏法を廃し,釈迦の教えを棄却する意〕明治初年,祭政一致をスローガンとする政府の神道国教化政策・神仏分離政策によってひきおこされた仏教排斥運動。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
はじき【土師器】
古墳時代から奈良・平安時代にかけて用いられた素焼き土器の総称。赤色の素焼きで文様はない。弥生土器から発達したもの。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
ひよどりごえのさかおとし【鵯越の坂落し】
平凡社 『世界大百科事典』では、
『鵯越は、播磨・摂津の境の一ノ谷(現、神戸市須磨浦の西)の北の山ノ手の称。この山から一ノ谷へ下る断崖は急坂で<馬も人もよもかよひ候わじ>と言われた。しかし1184年(元暦1)2月、一ノ谷に陣を構えた平氏を討つため、この山上に出た源義経は、この断崖をシカが通るとの話を聞いて<鹿の通程の道、馬の通わぬ事あるべからず>と言い、ここを一気に駆け下って平氏の背後をつき、源氏軍を勝利に導いたという。(《平家物語》)一ノ谷の戦での<鵯越の坂落し>として有名な話である。』
と記述されているが、実際の鵯越(山田町下谷上〜兵庫区)と一ノ谷(神戸市須磨区西部)とは六甲連山沿いに直線で6〜7km離れており、一ノ谷の戦いの場所か鵯越の場所のいずれかに歴史上の誤りがあると考えられる。
ふじわらのかまたり【藤原鎌足】
(614-669) 7 世紀中頃の中央豪族。中臣氏。鎌子とも。中大兄皇子(のち天智天皇)らとともに蘇我氏を倒し,大化改新政府の内臣(うちつおみ)となった。藤原氏の祖。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
ふじわらのすみとも【藤原純友】
(?-941) 平安中期の地方官。伊予掾として任地に下ったが,瀬戸内海の海賊を率いて日振島を根拠地に乱を起こし,瀬戸内全域と九州の一部を支配。警固使橘遠保に誅せられた。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
ふどうみょうおう【不動明王】
〔仏〕五大明王・八大明王の主尊。悪魔を下し,仏道に導きがたいものを畏怖せしめ,煩悩を打ちくだく。右手に剣,左手に羂索(けんさく)を持ち,火焔を背負っている。阿遮羅(あしやら)。不動尊。無動尊。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
べっとう【別当】
(1)検非違使庁・蔵人所など,令外の官司の長官。(2)親王家などの政所の長官。(3)鎌倉幕府の政所・侍所・公文所などの長官。(4)馬丁の称。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
べんけい【弁慶】
(?-1189) 平安末・鎌倉初期の僧。「吾妻鏡」などによれば,熊野の別当の子で比叡山西塔で修行し武蔵坊と称して武勇を好んだ。のち,源義経に仕えた。義経の奥州落ちに従い,安宅関,衣川の合戦などでの武勇は能・歌舞伎などに多く脚色された。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
ほうきょういんとう【宝篋印塔】
宝篋印陀羅尼の経文を納めた塔。のちには供養塔・墓碑塔にも用いられた。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
山田町には、南北朝から室町にかけての宝篋印塔が数多く残っている。最大のものは、中の清光寺にある高さ2.15mのもので、原野の畑ヶ辻と小部峠(写真)の宝篋印塔が2mを越える。数は、原野が7ヶ所で最も多く、小部、下谷上、藍那が2ヶ所ずつ、福地、中、東下、西下、坂本に1ヶ所ずつ残っている。
⇒だらに【陀羅尼】
〔仏〕〔梵語から〕教えの精髄を凝縮させて含んでいるとされる言葉。教えの真理を記憶させる力,行者を守る力,神通力を与える力があるとされる呪文。訳経において意訳せず,梵語音写のまま唱える。主として長文のものをいう。大咒(だいしゆ)。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
ほうじょうときまさ【北条時政】
(1138-1215) 鎌倉幕府初代執権。伊豆の人。源頼朝の妻政子の父。通称,四郎。鎌倉幕府創業の功臣。頼朝の死後,2 代将軍頼家を謀殺,実朝を擁立して北条氏の幕政掌握への道を開いた。牧の方の陰謀に加担して失敗,伊豆に退隠。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
ほうどうせんにん【法道仙人】
播磨国の法華山一条寺(加西市)を中心として十一面観音信仰を伝えたと言う仙人。天竺の霊鷲山(りょうじゅせん)野五百持明仙の一人で孝徳天皇(645-654)のころ日本に渡来したという伝説上の人物。鎌倉末期から南北朝期になると播磨の有名山岳寺院20ヶ寺を開いたという伝承が成立し、江戸時代には播磨はもちろん但馬、丹波、摂津にいたる諸寺の縁起類に名前が見られる。(平凡社 『世界大百科事典』)
ぼんてん【梵天】
〔梵語から〕色界の初禅天の王。本来はバラモン教で根本原理を人格化した最高神で,仏教に取り入れられ正法護持の神とされる。大梵天。梵王(ぼんおう)。梵天王(ぼんてんおう)。婆羅門(バラモン)天。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
みなもとのためよし【源為義】
(1096-1156) 平安末期の武将。義家の孫。義朝・為朝・行家の父。源氏の家督を継ぐ。世に六条判官とも。保元の乱に崇徳上皇方について敗れ,後白河天皇方についた義朝の嘆願も及ばず殺された。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
みなもとののりより【源範頼】
(?-1193) 鎌倉初期の武将。義朝の六男。蒲の冠者と呼ばれた。弟義経とともに平家を一ノ谷・壇ノ浦に破った。義経没落後,頼朝にとりいったが伊豆修善寺で殺された。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
みなもとのよしつね【源義経】
(1159-1189) 平安末・鎌倉初期の武将。義朝の九男。母は常盤(ときわ)。幼名,牛若丸・九郎・遮那(しやな)王。検非違使尉(判官)に任ぜられたので九郎判官とも。平治の乱後,鞍馬寺に預けられ,のち奥州平泉の藤原秀衡(ひでひら)の保護を受けた。1180 年兄頼朝の挙兵に応じて 84 年源義仲を討ち,一ノ谷・屋島・壇ノ浦に平家一族を破った。のち頼朝と対立,再び秀衡のもとに逃れたが,その子泰衡に襲われ,衣川で自刃した。悲劇的な生涯が伝説や文学作品の素材となった。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
みなもとのよりとも【源頼朝】
(1147-1199) 鎌倉幕府初代将軍。義朝の三男。平治の乱後,伊豆蛭ヶ小島に配流。1180 年以仁王(もちひとおう)の平氏追討の令旨に応じ挙兵。石橋山に敗れ安房に逃げたが,東国武士の来援を得て関東を制しつつ鎌倉にはいって根拠地とした。同年,平維盛の追討軍を富士川に破る。85 年壇ノ浦で平氏を討滅し全国を平定。その後,義経追討を口実に全国に守護・地頭を設置,武家政治の基礎を確立。92 年征夷大将軍に任ぜられた。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
みねあいき【峯相記】
中世播磨の地誌.著者不詳.1348年(正平3:貞和4)ころ成立.<ほうそうき><ぶしょうき>とも読む.播磨国峯相山鶏足寺の僧の作とおもわれる.歴史、民間信仰、伝承、説話など多様な内容を含み、鎌倉時代〜南北朝時代の社会を知る上での重要な書である.兵庫県斑鳩寺に最古の写本(1511:永正8)がある.(平凡社 『世界大百科事典』)
むなふだ【棟札】
棟上げの際,施主・施工者・年月日・工事の由緒などを記して棟木に打ちつける札。棟木に直接書くもの(棟木銘)もある。むねふだ。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
もののべのもりや【物部守屋】
(?-587) 敏達・用明天皇の大連(おおむらじ)。尾輿の子。排仏を主張して蘇我馬子と対立,用明天皇死後穴穂部(あなほべ)皇子の即位を企てたが馬子らに殺された(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
やぶさめ【流鏑馬】
方形の板を串にはさんで立てた三つの的を馬に乗って走りながら順々に鏑(かぶら)矢 3 本で射るもの。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
やまとちょうてい【大和朝廷】
大和奈良盆地を中心とする畿内の首長連合。起源は邪馬台国の理解によって変わるが,遅くとも 4 世紀には畿内最大の政治勢力となる。5 世紀から 6 世紀にかけてその基本的支配方式として部民制・氏姓制を創出し,地方支配を強化。6〜7 世紀の東アジア世界の変貌の中で大化改新を契機として律令国家への変革を遂げた。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
ゆずりは【譲葉】
ユズリハ科の常緑高木。暖地の海岸近くに多く,庭木ともされる。葉は互生し,大形の狭長楕円形で,質が厚く濃緑色。葉柄は赤い。雌雄異株。初夏,黄緑色の小花を総状につけ,実は暗青色に熟す。新葉の生長後に旧葉が落ちるのでこの名がある。葉は新年の飾りに用いられる。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)
らほつ【螺髪】
仏の三十二相の一。縮れて右に渦巻く巻き貝の形をした頭髪。らはつ。(三省堂 『ハイブリッド新辞林』)