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南部農村公園とは こんなところ

 


なにしろ広い
約3万平方メートルもある
入り口から遠くに小笠山を望む
公園の奥は、下写真の上小笠川土手
現在は、ソフトボール場やサッカー場として
使われている。
スポーツ広場としては、広く貴重な場所であり、
愛好者から「潰さないで!!」という声は多い



公園の西側。
上小笠川土手から続く公園を視察している
新聞記者も同行した幼保園を考える会のみなさん
2011.10.25
幼稚園保護者から「ここではねー」という
声が聞こえる




菊川の土手上から西の公園の一部を望む
手前は、土手斜面と駐車場
この農村公園は、現在、大災害時の東北と
同様なガレキ仮置き場に指定されている。
付近に民家が無く、広くて最適な場所。
ここなら自然出火してもさしあたり問題はない。
菊川市内で、ガレキ仮置き場はここより
最適な場所はない。潰さないでほしい




東西横断道 上小笠川操橋から南方の
農村公園(左 白いハウスの向こう)を望む
遠くに白く見えるのは、川向こうの平川の
家並み







上記写真の近景
南部農村公園(中央高台)と菊川土手(左端) 
遠方の山は、平川大鹿池 方面
家並みは対岸。手前は、操橋
このあたりは、浸水危険箇所に指定されている
各戸配布の市発行ハザードマップにも記載されている





2011.9.4 台風12号時
高田橋から南部農村公園(中央)を望む。
中央の小高い所は、公園の排土盛り土箇所。
公園は、もっと低い。
ここから下流2kmに渡り、河積不足(上流に比し、
川の断面積が小さく流水量が少ない)で、
ここであふれる恐れがある



平常時の上記撮影場所 高田橋から











大雨時の南部農村公園入り口付近
道路が冠水している
左はトイレ




道路工事中のアエルの裏山
断層の割れ目がきれいにみえる。
断層の上部に層が無いところから
最近(安政大地震1854年)のものと
思われる。
写真撮影の背中側の山にも最近まで割れ目があり
最近埋土したと住民は語った。






これは、安政の大地震(1854年)時、掛川藩
長谷川家から藩に出された被害調査書の古文書の
一部である。
これによると津波は、二行目「浜浪(津波)来たりて
大頭龍の山に迎登(駆け上る)り・・・
」とある。
現在では、ここまで津波が来るとは考えにくいが
150年前の上記写真の割れ目の規模からすると
もしかしたら、指摘されている3〜4連動による
大規模な津波も考えられる。
つまり、南部農村公園も津波の危険があり
幼児施設には不適当な地である。

東日本大震災が発生した今、「よりによって、危険な
場所へ大切な施設をつくる必要はない。」と言いたい。






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