行基作と伝えられる阿弥陀仏を安置する堂宇があり、 これが宿名の起こりとされている。 |
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阿弥陀仏は後に普明院に移され 本尊となっている。 |
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ここでも馬頭観音が並びます。 この阿弥陀堂跡の近くの沢付近を舟橋と言います。 昔は葦が池がこの付近まで広がり、 船を使って渡ることもあったのでしょうか・・・ |
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阿弥陀海公民館奥にあります。 お宮参りの時は必ずお参りします。 |
毎年4月の第2日曜日 水源地の清掃の後 お祭りがあります。 子供たちはおぶっくを大人からもらいます。 中身はお赤飯のおむすびとお菓子。 もらいにくる子供は 少なくなってしまいましたが 現在でも続いています。 丸石が祀られていました。 |
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社の中に沢山の木版が 納められていました。 |
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左から、鎮座道祖神、鎮座火産霊大神、 水波能売大神、八坂大神が祀られています。 石の祠の中にはそれぞれの神様の名が書かれた木片が 収められています。 |
舞台の奥を上ったところに 祀られています。 |
以前の社が 残されています。 |
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2000年 改修されました。 |
手前の頂きにも石の社が 祀られています。 |
群馬県の榛名山神社のご神体を わけてもらったそうですがそれが いつ頃かはわかりません。 |
『甲斐国史』より |
阿弥陀海道村、一に芦窪村という。 「この村は総名を芦が窪という。 阿弥陀海道といわれるわけは、村の南に阿弥陀堂があって、本尊の阿弥陀仏は行基菩薩の作であるが、この地に阿弥陀如来の霊仏が安置されていたので”阿弥陀が谷”(あみだがやつ)と言ったのが後の世になって訛って”海道”(がいとう)の字を当てるようになったのだ。」と。 これは170年前の記事ですが、後に「海道」をさらに簡単にして「海」(がい)だけ残して「阿弥陀海」と呼ばれている。その結果本来の「谷」(やつ)の字が消えてしまって、地名の本当の意味が忘れ去られたよになっている。「やつ(谷)」は関東地方に多い地形を表す言葉で、もとはアイヌ語の”ヤチ”が訛ったものと言われている。 「ヤチ」の意味は、低いじめじめした芦などの生い茂った沼沢地のこと。 「甲斐国史」に阿弥陀海道を芦が窪村と総名で呼ぶとあるのは芦が生ずる窪地ということで、アイヌ語の「ヤチ」すなわち「やつ」の地形によく当てはまる地勢の村であったからである。 甲斐地名考 佐藤八郎 著 より 参照しました。 |
ついでに 『甲斐』の国名は『峡(かい)』から出た名で、山と山の谷間を意味しているそうです。 |