初めて自家水力電気が利用され、坑内に電灯や電話が設置され、電気雷管の使用、ダンプカーと架線式電気機関車による運搬、20秒読みのトランシットによる三角測量など画期的技術革新が随所に見られ、トンネル工事は面目を一新するに至った。

笹子側
  
トンネル笹子口には、
伊藤博文の筆で
        「因利地」
初鹿野口には、
山県有朋の筆で
        「代天工」 
の額が掲げられている。


大和村側         


笹子駅前に立つ記念碑
一枚石としては市内最大
当時の首相 桂太郎の筆による。




鉄道唱歌に
”ここは名におう笹子嶺 
トンネル一万五千尺 
徒歩(かち)にて越しは十年前(ととせまえ) 
いながら通る気楽さよ”
とある。
かつての難儀な峠越えから解放された
旅人の気持ちを素直に歌ったものである。