松浦の民話

◎石童丸◎

  星鹿半島の東北端にある城山は、建久二年(千百九十一年)探題守護であった加藤左

衛門重氏が、「刈萱城」を築いたところで、大変眺めが良い所です。⇒ 星鹿町展望台

  加藤左衛門重氏は、もと平家方の大将でしたが、平家が戦いにやぶれた時、源氏に降

り、源頼朝に仕えました。

  重氏には千里姫という美しい側室がおり、世継ぎとして生まれた子供は、千里姫の子

供、石童丸でした。これが正室のねたみをかい、ある夜、千里姫の身の危険を感じて身代

わりとなって寝ていた侍女が、とうとう刀で刺されてしまいました。

  重氏は心を痛めた末、ある夜とうとう城を捨て、行方知れずとなりました。

 

  石童丸は成長すると父を慕う気持ちが強くなり、風の便りに重氏のことを聞いていた母

の千里姫と一緒に、和歌山の高野山まで会いに行くことにしました。

  千里姫は長旅の疲れと持病のため、重氏に会えないまま高野山の麓の宿屋で亡くなり

ました。石童丸は、父上に間違いないのに父とは名のらない「刈萱童心」という僧の弟子と

なり、一生を送ったそうです。

  高野山には今も、刈萱堂があります。⇒ 刈萱堂

 

注)別説 ⇒ 浄瑠璃に「筑前筑後肥後肥前大隅薩摩で六ケ国を治めていた松浦党旗頭」と

あり、刈萱の地名はここだけではありません。 ⇒ 紀州の石道丸哀話石童丸物語