-歴史の継承- |
明治43年の板垣監修による「自由党史」において「秩父事件」は、「・・・実に、一種恐るべき社会主義的性格を帯びるを見る」と、自由党の 路線を大きく踏み出したとして否定的にとらえ、「埼玉の暴動」という記述により、当時各地で発生した「騒動」とは異なる扱いをしている。 「秩父事件」が歴史的な評価を与えられるきっかけとなったのは、昭和3年、つまり事件後50年を経た後の堺利彦による「秩父騒動」 であったと言われている。 そして、井上幸治氏や井出孫六氏等によって裁判記録等の歴史的事実にもとづき「秩父事件」の全貌が明らかにされ、高い歴史的な 評価が与えられてきたのである。又、2004年には、秩父事件120周年記念映画「草の乱」が公開され、各地の自主上映の会場は 満員の大盛況であった。 「貧困で無知なる農民の暴徒」というレッテルは事実によってはがされたのだ。 信州北相木村から参加した井出為吉の家からは、仏書等の蔵書類が発見され理論的高さも証明されている。横浜へのシルクロード により国内外の情勢や、書物が山間部へと入っていたようである。 明治16〜17年、生きるか死ぬかの瀬戸際に立たされ、まさに想像を絶する窮状からの脱出を余儀なくされた「秩父事件」、 「秩父暴徒」・「秩父暴動」と語り続けられてきた「秩父事件」を「先人の偉業」、「秩父の誇り」として、現代に生きる私達が胸を張って後世に 語り継いでいきたいものである。 |
-完- |
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