◇その13◇

混沌の闇の中からカルディアは目覚めた。 少しかすんだ目で見上げる天井は見慣れた大理石造りで、どうやら十二宮のどこかの部屋らしいことはすぐにわかった。

   ……なぜ生きている?
   俺は…死んだのではなかったのか?
   そうだっ、戦況はっ?!

鮮烈な記憶が甦る。
熾烈な戦い。
命を失う刹那の想い。
砕かれた右手の痛みが肩まで這い登ってくるような気がしたとき、身体の横に置く腕の感覚が戻っていることに気がついた。ぐっと力を込めると、ラダマンティスによって砕かれたはずの右手は完全に元通りになっている。あのときに感じた激痛はなにもない。小指の先まで神経が通っているのはすぐにわかった。
なにが起きたのかわからずに身体を起こしかけたとき、急な体動に心臓が苦悶の声を上げた。
「うっ…」
例の痛みが襲ってきた。

   腕は治っているくせに心臓だけは元のままってのはどういうわけだ?
   闘って死にたい! 寝たままくたばってたまるかっ!
   俺は戦場で死ぬんだからな!

歯を食いしばり、胸を押さえて身を縮めたとき、すぐ近くで聞き慣れた声がした。
「起きるのはまだ早い。もう少し寝ておれ。」
童虎の声だった。
「童虎! 戦況はどうなった?こんなところで寝ていられるかっ!俺も…っ」
心臓が疼く。また熱を持ってきた。発火するのはないかと思うほど熱い。
「落ち着け!わしの話を聞くがいい。 よいか、全ては終わった。アテナ軍は勝利し、もはやなんの心配もない。そしてお前はいったんは命を失ったが、アテナのお力によりこうして蘇ったのだ!」
「…なにぃっ?!いま…なんと言った?!」
荒い息をつきながらカルディアは耳を疑った。勝利したことは理解できたが、死んだとか、蘇ったとかは、いったいなんのことだ?死に場所を得たと思ったのに生きているこの身が口惜しい。
「にわかには信じられぬのも無理はないが、あれから243年経っておる。あの聖戦、ロストキャンバスの闘いで生き残ったのはわしとシオンだけじゃった。」
目の前にいる童虎はカルディアの知っている通りの若い肉体を持っていて、243年の時が経過したなどと、にわかには信じられるはずもない。
「243年だと?!そんな馬鹿な!貴様、なにを世迷い言を言っているっ!二人だけって……デジェルも死んだのかっ?!」
心臓が早鐘を打ち、血がたぎる。

   せっかく死に場所を見つけたと思ったのに、俺だけ生きているのかっ?!
   なぜ助けたっ!
   俺は奴と闘って散るはずだったのに…っ!

「もう一度やつと勝負をつけるっ!いますぐ俺を連れて行けっ!」
死に遅れた悔しさに我を忘れて起き上がり、童虎の胸倉をつかんで揺さぶったとたん息苦しさが増してきた。
「カルディア!落ち着いてわしの話を聞け!」
「本当のことを言えっ!なにが243年前だ!俺の聖衣はどこだっ!お前もこの非常時になぜ聖衣を着ていない?!俺はまだまだ闘えるっ…」
しかしカルディアの焦る気持ちとは裏腹に、壊れかけた心臓が急な目覚めに激しく抵抗して熱の坩堝となってゆく。童虎の襟元をつかんでいた指先に力が入らない。
「あ……あぁ…」
「どうした?どこか具合が悪いのか?」
カルディアが心臓に不治の病を抱えていることを童虎が知るはずもない。 支えようとした童虎の腕をすり抜けたカルディアががくっと膝をついた。
「カルディア!しっかりせい!」
「デジェルが先に死ぬなんてだめだ……先に逝くのは俺なのに…」
乱れた髪がかかる額は冷たい汗に濡れている。わななく唇は色を失い、荒い吐息を吐くだけだ。床にくずおれたカルディアはもはや身動き一つしない。
「誰か!デジェルを連れてこい!カルディアが…!」
童虎が叫んだ。

「カルディアは心臓が悪いのです。このことを知っていたのは私だけだと思います。」
昏々と眠るカルディアの横でデジェルが声をひそめてそう言った。
「心臓とはな……そんなことは思いもしなかったわい。」
「熱を持ったようにひどく熱くなると言っていました。そのために長くは生きられない身体だと本人も思い定めていて……それで死に場所を探していて………闘って死にたいと…」
目覚めて半日も経っていないデジェルの顔色はよくない。ただでさえ体調が戻りきっていないのに、あとを追うように目覚めたカルディアが倒れたと聞いたのだからますますだ。一言も交わすことなく逝かれたら、と思うといてもたってもいられない。
「目覚めたときに妙に興奮してのぅ……お前のときは静かに話を聴いて納得してくれたのでカルディアも大丈夫だと思ったが、甘かったようじゃ。」
長い眠りから覚めたデジェルは童虎から驚くべき話を聞いてしばらく沈思黙考し、いくつかの質問をしてのち、おのれの置かれた状況を把握した。目覚めてすぐに再び地上に現れたアテナの小宇宙が聖域をあまねく覆っていることを感じて、それにも安堵したのだ。
しばらくは休んでおれ、との童虎の言葉に頷いたデジェルがおとなしく目を閉じたので、童虎もカルディアの目覚めを同じように考えていたふしがある。しかし、カルディアの目覚めは激しく唐突だった。この差は、二人の日頃の性格と死に臨む心境との違いによるものだったろう。
「私もすぐにカルディアの心臓のことを言えばよかったのですが、 まさか私に続けてカルディアが蘇生することになっていたとは思いもしなかったので。」
抑えた声で話しながらデジェルはカルディアから目を離さない。まるで目を離したとたんにすぐに消えてしまうかもしれないと怖れているかのようだった。
「アテナのお力も、元からの疾患を治すものではない。蘇生に際しては、あくまで致命傷になった傷を治すだけなのだからな。…そうか……心臓がいけなかったか…」
「このあとどうなるのだろう?まさか、このまま…?」
独り残される恐怖を思ったデジェルが蒼ざめた。童虎とシオンはいるものの、243年先の世界に取り残される孤独感がひしひしと押し寄せてくる。カルディアを二回も見送るのはつらすぎた。
それに当代の水瓶座がいることは童虎から聞いており、おのれの存在価値もつかめない。
「ともかく専門医に診せよう。昔とは比べ物にならないほど医療技術は発達しておるのじゃ。そう悲観したものでもないかも知れん。ともかく、なんとしてでも助けたい。そうでなければ、せっかくのアテナの恩寵が無駄になる。」
力強い童虎の言葉に一縷の望みを託すしかなかった。