◇その14◇

急ぎ呼び寄せた医師はカルディアの呼吸状態を見てすぐに心電図をとると、調剤をするため急ぎ足で戻っていった。
童虎はカルディアが目覚めたときの説明をデジェルに任せることにした。さらなる興奮はどう考えても心臓によくないに決まっているし、今後のことをアテナの御前で協議しなければならないのである。それも緊急を要するのは明白だ。
「よいか、デジェル、このままではカルディアは長くないかもしれん。だが、望みはある。わしらが生きていた時代とは違い、この時代の医学の進歩はめざましいものがある。今後のことはわしらに任せて、お前はカルディアにことの次第を説明し、納得させてやってくれい。」
蘇生させるだけでは意味がない。彼らに生きる目的を持ってもらい、暮らしの基盤を整えてやることが必要だ。ハーデス戦のあとでミロたちが蘇生したのとはまるで状況が違う。
そんなことは蘇生の前からわかり切っていたが、カルディアの場合は特別だ。心臓疾患を抱えていたとは誰も予想もしていなかった。

カルディアのベッドの横に木の椅子を引き寄せたデジェルは眠る友の顔を飽きることなく見つめていた。

   生きている……たしかにカルディアは生きている…でも……

白い頬には血の気がなくて、握っている手もこころなしか冷たいような気がしてならぬ。蘇生してかなり時間が経った自分は身体の復調を実感しているが、カルディアのこの生気のなさはどうだろう。命を失う前の激しい闘いの一端を垣間見るようでデジェルは言葉を失った。
さしたる肉体の損傷もなく凍気でおのれを氷の棺に閉じ込めていった自分とは違い、心臓に重い負担を抱えたカルディアはラダマンティスとの闘いで過酷なダメージを負って死んでいったのではなかったのか?
ただでさえ止まりかけていた心臓が最後の瞬間に壊れる寸前まで追い詰められていたのではないだろうか。

   だとしたら………カルディア……

デジェルが一粒の涙をこぼしたときカルディアが目を開けた。
「……デジェル」
名を呼ばれたデジェルが慌てて顔を寄せた。
「大丈夫だ……私なら、ここにいるから。」
「ああ、ほんとにデジェルだ……よかった、生きていたか……」
カルディアが淡い笑みを浮かべて、それさえもデジェルには痛々しく見える。
「さっき…おかしな夢を見た……童虎の奴が変なことを言ったんだ……」
握り締めた手に力がこもった。デジェルはほっとしたが、カルディアはラダマンティスに砕かれたはずのおのれの右手の感触を確かめてみたのにすぎない。手が元通りなら、あの闘いは夢だったのだろうと考えた。
「カルディア……私の話を聞いて欲しい。」
「俺は死んで、それから生き返ったんだそうだ。……馬鹿なことを言う。そんなことがあるはずがない。俺もお前もここにいる。まだ闘いは続いているのに死んでたまるか。おかしな奴だ。」
「カルディア…」
「この右手が砕かれた夢を見た……そりゃあ痛かったぜ、身体が裂かれるようだった………どうせ夢を見るんなら、もっとまともな夢がいい。あんなことをされたらアンタレスが撃てやしない。いい迷惑だ。」
「カルディア、聞いてくれ。頼むから…」
「お前は死ぬなよ……俺はどうせこの心臓だから長くはないだろう。でもお前は死ぬな…生きて約束を守れ。」
デジェルもあの聖戦のその後の推移を聞いてはいない。目覚めたあと童虎に簡単な説明を受けてすぐまた眠り、次にいきなり起こされたかと思うと、わけもわからないままにカルディアの眠るこの部屋に連れて来られただけなのだ。シオンと童虎だけは生き残り、243年後のこの時代には新たなアテナの降臨があり、その恩寵で蘇生を受けたことだけを知っていた。
「約束のことなら大丈夫だ。心配しなくていい。」

   ユニティはどうなったのだろう……
   生き残ったのはシオンと童虎だけだということは、やはりあの闘いで…
   もう243年も経っている……調べるすべはない…

それからデジェルはことを分けてカルディアに話をした。
目を見ひらいたカルディアにはもはや立ち上がって抗議する力は残っていなかったようで、唖然とした顔をしながら最後まで話を聞いていた。
「嘘だろ、おい……そんな話があるかよ。」
「全部ほんとうのことだ。この聖域を覆うアテナの小宇宙がかつてのものと違っていることはお前にもわかっているはずだ。今のアテナは我々の知っているあのお方ではない。この十二宮も建物は同じだが、あれから243年経っている。その間に人間は様々なものを発明したようだ。その一つがこれだ。よく見てくれ。」
デジェルが脇のテーブルから携帯電話を取り上げた。カルディアが信じないことをあらかじめ見越した童虎が残していったものだ。そのために必要な操作は習っている。
「これを見てくれ。」
幾つかの小さいボタンを押したデジェルがカルディアに見えやすい位置に携帯を差し出した。小さい四角い画面に映っている童虎が話しかけてきた。
「本当のことじゃよ、あれから243年経っておる。いいかげんに信じてくれんかのぅ。」
画面の中の童虎の横からシオンが現れた。
「わしにも話させろ。カルディア、久しぶりじゃな。今は教皇をやっておるが気苦労ばかり多くてちっともよくないぞ。」
「こら、なにを言って…!」
そこで動画が切れた。
「なっ、なんだ、これはっ!今のはなんだっ?!」
「こんなことが可能なほどに文明が進んでいる。我々が死んでいた間に、人間はよほど賢くなったらしい。」
「だって……有り得ないぜ!どうしてあんなに小さくて……え?そんな馬鹿な………243年って…」
初めて見た動画はカルディアに鮮烈な印象を与えた。
絵とも違う。本とも違う。似たようなものを何一つ思い浮かべることが出来なくて茫然とするしかない。今見たものがにわかには信じられるはずもなく、頭の中で小さい童虎とシオンがぐるぐる回る。
「私と一緒に受け入れよう。すべてはアテナの思し召しだ。もう闘いは終わったのだ。この世界で我々が出来ることを考えよう。」
「デジェル……俺…」
「…なんだ?」
「もう一回……生きていいのか?………生きられるのか?」
「カルディア…」
肺腑から搾り出すようなカルディアの言葉がデジェルの胸を衝いた。カルディアは生きたいのだ。あんなに死に場所を求めていてもやはり生への渇望がカルディアを衝き動かしている。
「きっと……きっと…」
それ以上なにも言えなくなったデジェルがカルディアの胸元の毛布に顔を押し付けた。泣いているところを見られたくなかったのだ。
そしてそれはカルディアにも好都合だった。閉じたまぶたからとめどなく流れる涙をデジェルに見られなくて済んだのだから。
握り締めた手が熱かった。