◇その2◇

アテナに呼ばれて親しく相談を受けたのは童虎だ。
カルディアとデジェルを復活させたのはいいが、カルディアの心臓疾患はそのままなのだという。
「では、このままでは命を永らえることが難しいとおっしゃるのですな。」
さすがの童虎も唸った。せっかくアテナの恩寵でこの世に生き返っても明日をも知れない身というのでは、かえってつらい思いをするだけなのではなかろうか。そして、童虎の見るところ、デジェルもそれに等しい苦痛を味わうことになるのは必定だ。なにしろ243年前の二人の仲は…
しかしアテナの次の言葉には驚いた。カルディアに心臓移植を行なうことを検討しているというのだ。243年前には有り得なかったことも、なるほど、今なら可能である。
結局、シオン、サガ、ムウをも交えた会議であらゆる角度から検討されたこの案は、カルディアとデジェルをたいそう驚かせたが、ついに実行に移された。

日本においてアテナが私的に所有するグラード財団の付属病院で心臓外科手術のエキスパートを結集し、カルディアに対する心臓移植が行なわれたのは三ヶ月前である。
ひそかに来日して適合するドナーの現れるのを待っている間にカルディアの容態が悪化したため、急遽米国 SynCardia 社の完全人工心臓を移植し、空気圧式体外携帯駆動装置を使用して拍動を完全にコントロールし危機を脱することが出来たのだ。 そうして適合するドナーが現れるまでの一週間、カルディアは I CU で絶対安静を貫いた。医療チームは自信をもって人工心臓の安全性を説いたが、おのれの心臓が人工のものと置き換わっているという途方もない出来事を信じきれないカルディアは、抑えても抑えても湧き上がってくる底知れぬ恐怖と闘い、握り締めたデジェルの手の暖かさにすがってひたすらに適合するドナーの現れるのを待ったのだ。

ミロは言う。
「それにしてもすごいことをやったもんだな。よく本人が手術に同意したと思うよ。今に生きている俺だって、人工心臓にするって言われたら躊躇する。先代の医学的知識なんて243年前で止まってるんだぜ。日本で言えば1767年、江戸時代の真っ只中だ。杉田玄白の解体新書さえ出ていない。あれは1774年だからな。、」
「うむ。カルディアは自分の身体については諦観を持っていたので、そこまでしなくてもと渋ったそうだが、それを説得したのはデジェルだったという。たぶん……泣いて説き伏せたのではないかと思う。私なら、そうする。」
「うん……わかるよ。」
もし、自分が重篤な心臓病だったらと思うと、ミロにはとても他人事とは思えない。カミュがどんなに泣くだろうと思うと身につまされる。
「今現在、拒絶反応も出ていない。I CU を出たカルディアは順調に回復している。」
「それで、療養をかねてここに来るってわけだ。退院したらギリシャに戻るんだろうと思っていたが、言われてみれば、せっかく日本に来てるんだから温泉で療養しない手はないからな。先代の蠍座と水瓶座が湯治に来るっていうのは洒落てるじゃないか。W蠍座とW水瓶座の奇跡的な邂逅だ。」
うんうんと頷くミロは湯治という考えが気に入ったらしい。病気や怪我の療養に温泉が効くというのは有名だが、自分ではその目的で入ったことはなく、術後のカルディアにそうしてやれるのが嬉しいのだ。
「でも大手術のあとに温泉につかって大丈夫かな?きっと開胸の傷跡が凄いんだろう?痛々しすぎるぜ。」
ミロの心配ももっともである。心臓の出し入れは半端ではない。
「それが、アテナの指示によりムウが傷跡を治癒したそうだ。」
「…えっ?俺の思うに、たかが単純骨折でも後遺症の有無や関節可動域の検査で外来受診するんだぜ。ましてや心臓移植だ。この先ずっと毎月の検査があっても不思議じゃないのに、医師に見せたとき胸に傷跡が残ってないわけをどうやって説明するんだ?」
「そんなことを言われても……さぁ?どうするのだろう?」
たしかにそれは大問題だ。現場の医師の大疑惑をグラード財団の総帥がどうやって押さえ込むのか、カミュにも皆目わからない。
実は、かなり回復したカルディアが自分の胸のあまりにも大胆な手術創にぎょっとして、それに輪をかけて魂を消し飛ばせたデジェルがわなわなと唇を震わせて目をそむけ、その足で白羊宮の若いアリエスのもとに駆け込んで何とかしてくれと訴えた結果、ムウがアテナに相談の上、治癒を施したというのが真相だ。あとの検診より眼前の傷である。
かくてカルディアの人生を閉ざしかけていた心臓は現代医学の力を借りて蘇った。
そしてそれにはミロが大きく関与していた。