◇その26◇

「こちらでございます。おかけになってみてください。」
小さなトレイにデジェルのメガネが乗せられた。興味深々でカルディアが見ていると、真新しいそれを手にとったデジェルが慣れない手つきでツルを開いてぎこちなさそうに耳を探しながら掛けてみた。
「ふ〜〜ん!」
感心したカルディアが横から覗き込もうとして、ちょっと頬を染めたデジェルに脇を向かれてしまう。
「恥ずかしがってちゃ、しょうがないだろ。こっちを向けよ。」
「いや……まだ慣れなくて…」
「こちらの鏡をご覧下さい。」
店員がカウンターの上の鏡を指し示した。日本語だが、何を言われたかはデジェルにも容易にわかる。
「あぁ…」
「どうだ?よく見えるのか?なんとか言えよ。」
「とてもくっきりと見える。夢のようだ…」
鏡の中のデジェルは初めて自分のメガネを掛けておのれの顔を見た。あのころも鏡はあったが、板ガラスの製法が完成されていたとは言い難く、表面が平坦ではなかったし、大きさも限られていた。その鏡を見る視力がよくないのだから、ますますデジェルの見る鏡像はぼやけたものになる。だが、これはどうだろう!
「すごい……こんなに見えるなんて!まつげも一本一本よく見えて数えられるようだし、髪の毛の先までよくわかる!」
しげしげと鏡を覗き込むデジェルはまるで初めて鏡を見たかのようだ。
「自分の顔ばかり見てないで、こっちのほうも見ろよ。恥ずかしいなんて言ってられないぜ。」
カルディアに催促されたデジェルがちらりとそっちの方を見て、それから覚悟を決めたように向きを変えた。
「…どうかな?」
昔、聖域で掛けていたメガネとは全然違う。あれは黒縁の普通の品で、デザインに配慮があったとは言いがたい。王侯貴族が特別に誂えさせたならまた違っていたろうが、あれはごく普通の品物だった。それでもメガネは特別な贅沢品で庶民が手に入れられるものではなかったのだ。むろん個人の視力に合わせて作られたものではなかったので、長時間にわたって本を読むこともできなくて、休み休みページをめくったものだった。
「すごくかっこいいぜ!前のメガネより似合ってると思う。どうだ?俺の顔もよく見えるのか?」
「とても!やっとほんとの顔がわかった!」
デジェルが笑った。花のような笑顔というのはこういうのを言うのだろうとミロがひそかに思ったくらいだから、カルディアにはいっそう効果的だったに違いない。
「ほんとのって、今までどう見えていたんだ?もしかして不細工とか思ってたんじゃないだろうな?俺がこんなに男前でよかったな。安心したか?」
「いや、あの、そういうわけでは…」
慌てるデジェルとにやにやしているカルディアの横でミロが笑いをこらえる。カルディアが何を考えているか明白だ。

   寝るときにメガネをはずしたらよく顔を見てもらえないから、
   最初は掛けさせたままで抱こう、とか思ってるんだろうな
   でもデジェルも、カミュとおんなじで、そういうときには目をそらしてるとか? 
   う〜〜ん、そのへんはどうなんだ?
   訊かれてばかりじゃなくて、たまには俺からも質問してみるかな?
   あと、いい視力で自分をよく見てもらおう、とか……つまり裸の自分を、だが
   カルディアって、見せ付けるタイプだったりして?

「この中からお好きなケースをお選びください。」
みんなでメガネを誉めそやしていると、店員がメガネケースがたくさん入った籠を差し出した。材質も色も様々なケースが十数個も入っており、めがねを購入した客には無料でサービスしているのだという。
「この中から好きなケースを選ぶのだそうだ。」
「えっ、ケースがあるのか?」
デジェルが驚きの声を上げた。聞くと、昔はそんなものはなかったという。
「使わないときはいつも机の上の小さい木の箱に入れていた。落ちるといけないので机の中央に置くと決めていたのだ。こんなケースがあるとは!これなら持ち歩くのにも便利だろう。」
赤やピンクは論外として残りの十個ほどの中からみんなが意見を出し合って、デジェルが選んだのは紺色の合成皮革のコンパクトな品だ。
「えっ、本物の革ではないとはどういうことだ?私にはそうは見えないが?」
「どうして革のにせものを作る必要があるんだ?なぜ本物を使わない?宝石のにせものなら話がわかるが。」
二人から一斉に疑問の声が上がる。
「ええと、需要が多くて供給が追いつかないとか、水に濡れても大丈夫とか、価格が安いとか、加工が楽とか、ともかくそんな理由だと思う。おい、カミュ、合成皮革って何でできてるんだ?やっぱり石油か?」
そんな気がするものの、ミロにも確たる根拠はない。
「合成皮革とは基盤になる布の表面にウレタン樹脂などを塗布したり貼り合わせたりしたものだ。ウレタンはナフサから作るので、大元は原油ということになる。」
「そのナフサがわからんが、もう気にしないことにする。」
賢明な判断である。
「こちらの中からメガネ拭きのクロスもお選びください。」
今度は5種類のクロスが出てきた。小さな長方形に折りたたまれた柔らかそうな布が透明な袋に入っている。超極細繊維でできていて、レンズの汚れをすっきりと拭き取るという品物だ。メガネを使う人間なら誰でもケースの中に入れている。
「ほう!メガネ拭き専用のクロスが作られているとは驚いたな。」
カミュに説明されたデジェルが感心しながらベージュのクロスを選んだのを横でじっと見ていたカルディアがミロをつついたのはそのときだ。