◇その30◇

「思うに、こうしたことには男女の場合と同じように能動態と受動態の役割があるらしい。」
そう言ってから、能動態と受動態という用語を使うのはおかしいだろうかとカミュは考えた。このことについてミロからは何も聞いたことがない。せいぜい、自分の心の中で、ミロは積極的で自分は消極的だ、と考えていただけだ。しかし、それではデジェルに説明するには足りないし品詞としても不適切だ。

   能動態と受動態
   そうだ、これなら良い、なんら恥ずかしくない言葉だ

絶対に我が身を女になぞらえたくないカミュとしては、この用語は適切だ。
「それで、私の場合はミロが、そしてそちらの場合はカルディアが先に働きかけてきたのであの二人は能動態だし私たちは受動態だと言える。性格的にも私からミロに打ち明けたはずもないし、そもそも私は自分がミロを好きだと気付いていなかったから能動態になりようがない。」
「それは私も同じだ。カルディアは心臓が悪くて、私がときどき冷やしてやらなければならなかったのでとても心配で。今から思えばカルディアのことが好きだったのに自分では心配していると解釈していたような気がする。」
このあたりの話になるととデジェルもほっとするらしい。さきほどまでの具体的行為に関しての疑念の確認と解消の作業に比べれば、なんと牧歌的な話題であることか。共通認識ができたので ”好き” という言葉もスムーズに出る。
「だから、どちらかが受動態になる性質のものだとすれば、それは私のほうであり、デジェルのほうだったということだ。成り行きでもなく偶然でもない。必然だと思う。」
「必然…!」
「そうだ。仮に私たちのほうが先に自分の気持ちに目覚めて、勇気を奮い起こしてミロやカルディアに打ち明けたとする。そうして、驚いたり困惑していたりするのをぐいっと引き寄せてまっすぐに目を見て、好きだ!といってキスできるだろうか?」
「ありえない!絶対に無理だっ!そんなこと、できるわけがない!」
あまりにもとっぴな発想にデジェルが笑う。言い出したカミュのほうも有り得なさ過ぎて苦笑するほかはない。もしもカミュがそんなことをしたら、ミロはどんな顔をするだろう?
「私も無理だ。ゆえに私たちが受動態なのは必然だ。その反面、ミロもカルディアもそうしたことをいとも易々とやってのける。なにも迷いがないらしい。ゆえに蠍座は能動態だ。」
そう言ってから、わずか二人の実例で蠍座全体を能動態だと決定付けるのは間違いだろうとカミュは思う。そもそも、星座と性格には関連性は認められない。論理性のないことを言う、とデジェルに思われるのは心外である。
「いや、蠍座全体を能動的だというのは早計で、」
訂正しようとしたカミュの言葉をデジェルが引き取った。
「真理ではないけれど、でもいかにもそれらしい。たしかに蠍座は能動的だ。あらゆる意味において。」
「やっぱり?」
顔を見合わせて二人が笑う。この話を始めてから視線が合ったのは初めてだ。
「それに私たちのような関係は珍しいものではない。」
「…え?」
「歴史上多くの事例があり、異常なことでもなければ罪悪感を感じる必要もないと思う。ただ絶対数が少ないだけだ。」
「ほんとに?」
デジェルが愁眉を開いた。まだ半信半疑だけれど、ほっとしたのは確かだろう。
「私も気になったので、調べてみた。すると多くの国でそういった例が記録されている。国・時代によって受け取り方は様々だが、ともかく普遍的に行なわれていたのは確かだ。」
「そうなのか!それで安心した!」
「ただ、子をなすことがないので種の保存という観点から言えばけっして推奨されるものではないから、その国や時代によっては様々な迫害や蔑視、異端視を受けるという状況にあった。今でも極めて厳格な宗教的戒律のある国もある。」
「えっ………あの、ギリシャは?」
「ギリシャは大丈夫だ。法的には認められていないし教会も反対しているが、同性間の婚姻を容認している政党もあれば、無効とされたものの、結婚式を挙げた例もある。古代ギリシャで少年愛が広く行なわれていたため、容認する気風が今も残っているのかもしれない。」
「あ………そういえば聞いたことがあるような気がする。」
古代ギリシャでは成人男性が教育のために若い少年と交渉を持つということが盛んに行なわれており、ギリシャ史の文献でその事実を初めて知ったカミュをいたく驚かせたのだ。
「では、ここは?…日本は?」
公表する気はさらさらないが、現に滞在している国の状況がどうであるのか、デジェルは気にならずにはいられない。
「日本も大丈夫だ。法的な罰則などはない。むろん褒められはしないが、普通に社会生活を営める。公表するケースもあるようだし、周囲も多少の違和感を感じるようだが普通に付き合っているように思われる。100年ほど前にキリスト教的倫理観が入ってきてから否定的な考えが広まった傾向があるが、それまでの日本は男女の結婚とさして変わらぬ捉え方をしていたらしい。ただ、子孫を残すことができないので、喜ばれはしなかったということだ。」
「ほぅ……案外、自由だったのだな。」
「庶民の記録は残っていないが、藤原道長、織田信長、徳川家光、というその時代の政権トップにいた極めて有名な人物についての記録があり、とくに隠すでもなく同性との関係があったことがわかる。こうしたことも、日本人が比較的寛容な捉え方をする理由の一因だろう。」
「それはなんと言うか、強い味方のような気もする。トップがそうなら、下位の者も怖れることはないからな。」
アカデミックな話題はカミュの得意とするところだ。この三人のことを詳しく説明するとデジェルもおおいに興味を示し、ひとしきり日本の歴史で盛り上がる。
「ゆえに、同性同士だからといって罪の意識を持つことはない。その時代の宗教や社会情勢により考え方が変化するが、地域時代を問わず同性との愛は存在したし、それを罪悪視する必要もない。ただ……」
「ただ、なに?」
「自分が恥ずかしいだけで………」
「ん……」
「とても人には言えない………それが困る。」
「ほんとに…」
二人とも期せずしてうつむいた。それぞれに思い浮かべることがあって、ますます頬が赤くなる。
「そういえば、カミュは弟子がいると聞いたが、まさか知られてない?」
「もちろんだ!」
おもわず声が高くなる。アイザックと氷河にこのようなことを知られたらと思うと背筋が寒くなる。そんなことになったら即座に隠遁生活に入りたいが、黄金という立場上それもできなくて進退に窮することになるだろう。
「シベリアで弟子の育成をしていたころには、ミロはしばしば訪ねてきてくれたがそのようなそぶりは毛筋ほども表さなかった。あとで聞くと、どうやら打ち明けたい気持ちはあったのだが、私が弟子を育てるのを邪魔せぬようにと隠忍自重していたらしい。」
「ふうん、それは立派な心がけだ。カルディアにできるかな?」
「たしかにあのころの私はまだ若すぎたし、そういう要素が加わったらどんな心理状態になったか想像ができない。心の拠り所ができて安定したかもしれないが、会いたい気持ちが募ってかえって不安定になり、その結果、弟子の教育がおろそかになったかも知れぬ。正しい判断だ。」
「さすがは蠍座というわけ?」
「え……いや、それは……」
「それって遠距離片思いだな。よく我慢したって、褒めたことがある?」
「褒めるって………いや、そんな覚えはない。」
「聖闘士としては当たり前だろうけど、恋する男としてはつらいような気もする。カルディアも心臓が悪いのと聖戦に突入したせいでなにも言わずに終ったけど、そうとうに無念だったらしい。だからいま取り戻すんだ、って言っている。」
「そうか…そうだろうな。」
人に言われて初めて気付くことがある。カミュのいない年月をミロはよく耐え、その結果、今があるのだ。
弟子の育成が終らぬ前に青銅、そして冥界が動き出していたら、なにも語られぬままに二人とも生を終えていたのかもしれなかった。
何千年、何百年というスパンから見れば、それはほんの数年の誤差でしかない。ミロはかろうじて間に合ったのだ。