◇その4◇

「血の半分を提供するなんて、あんなに何度もやってるのに、ものすごく心配されちゃって大変だった。向こうはそんなこと知らないから仕方ないけど。」
血を提供したミロはあきれ顔だ。
「信じられるか?採血前に、万が一、不測の事態が起こっても一切の異議を申し立てません、っていう誓約書に署名させられたんだぜ。不測の事態って、この場合、死ぬってことだろう?死んだら異議なんか申し立てたくても不可能だと思うんだが、どう思う?一般的には循環血液量の二分の一を失うと失血死するっていうから、普通なら死んで当たり前なんだろうけど、聖闘士がそれでいちいち死んでたら聖衣の修復なんかおぼつかないし、次の聖戦でアウトだよ。やれやれと思いながらさらさらと署名して、捺印もしましょうか?って言ったら、はんこをお持ちなのですか?って、かえって驚かれた。日本に住んでるからには、印鑑がなくちゃ済まされないんだが。」
病院に到着して体内の血の半分を提供すると決まった時点で強制的に入院させられたミロは特別室のベッドで寛いでいる。
こんな無茶な採血をしたことが外部に漏れたら社会的に批判を浴びることを警戒した病院側が厳しい情報管制を敷くために、一般とは隔離されているVIP専用のフロアにミロを入院させたため、環境は抜群だ。
「ともかく大袈裟だよ。あれが必要かつ正しい処置なら、ムウのやってることはまるで野戦病院だな。もっとも俺達は戦士だから、ふさわしいとも言えるが。」
採血前に何度も血圧と血中酸素濃度と体温などを測定され、いざ採血が始まると、ミロに言わせれば気の遠くなるような長い時間をかけて血液が透明な血液バッグの中に溜まっていった。採血量が多いのでいっぱいになった血液バッグがすぐに保管場所に運ばれてゆき、次のバッグにまた血液が溜まっていく。その間モニターで血圧や呼吸数や体温を常時チェックされ、3人の看護師が緊張した面持ちでミロのそばについていた。
数分おきに、「大丈夫ですか?気分が悪くなったら言ってください。」 と声をかけられるのがわずらわしかったので、心配されるくらいなら、とミロのほうから積極的に世間話をしていたら、「そんなに続けて喋らないほうがいいいです」 とやんわりと注意を受けたくらいだ。
「だって退屈きわまりないぜ。一時間以上もあんなことやってるんだから暇を持て余すに決まってるだろう。お前とテレパシーできたからいいようなものの、そうでなかったら本でも持ち込んで読み耽っていたいところだよ。」
献血ルームによっては時間のかかる成分献血ではDVDやゲーム機が用意されていて気を紛らわすことが出来るし、待合室の雑誌やマンガを持ち込むことも可能だが、病院の処置室でそれを期待するのは無理だろう。
そうはいっても、目をつぶってじっと横になっていれば、具合が悪いのではないかと心配されて声をかけられるのだから、ミロの言う通り読書をしていたほうがお互いに安心かもしれない。
「白羊宮じゃ、床に積み上げてある聖衣の上に手をかざして自分で手刀で切るのが当たり前だろ。そういうものだと思ってなんの疑問も持たなかったが、あれって血がボタボタと滴り落ちて周りにはねたりなんかして、よく考えてみるとちょっとしたスプラッタだな。ここのスタッフが見たら目を回すんじゃないのか?それに比べるとここは至れり尽くせりでまるで天国だよ。おっと、天国に行っちゃ、まずいけど。」

無事に採血が終わり、帰室するとすぐさま点滴が開始された。、むろんモニターもつけられたままでミロのバイタルサインはナースステーションで監視されている。そのまま I CU に、という話もあったのだが、ミロが強硬に拒み、カミュもおだやかに帰室を求めたので I CU 入りはまぬがれた。
「 I CU なんかに入ったら自由が利かないじゃないか。プライバシーなんか何もないから、お前にキスもしてもらえなくなる。とんでもないね。ホントはすぐにでも宿に帰りたいのをここまで譲歩してるんだからな。すべてはカルディアのためだよ、絶対に健康体になってもらいたいからな。」
採血のために処置室に入ったときからカミュとは別れていたので、部屋に戻ってきたミロは堰を切ったように饒舌だ。逐一テレパシーで話をしていたのだが、やはり顔を見ながら直接話すほうがいいに決まっている。
「我々が聖衣の修復に血液の半量をしばしば提供していることを知らせるわけにも行かぬ。医療機関が心配するのも当然だ。」
「これで4回目だから黄金の中でも多いほうだろうな。それにしてもあとが面倒だな。ムウならすぐに刺入部の傷をふさいでくれるのにまだ絆創膏が貼ってある。おまけに十日も入院を余儀なくされるんだぜ。体調の回復が遅れたらもっと伸びるっていうし。血を採られるよりそっちのほうが問題だよ。温泉に入れないし、なにより問題なのはお前を抱けないことだ。こんなことなら俺一人でまかなうなんて言わないほうがよかったかな?とんだ誤算だよ。」
「馬鹿なことを。」
頬を染めながら答えるカミュも、しかしミロのほんとうの気持ちはよくわかっている。ミロは過酷な闘いだったと伝え聞くさきの聖戦で命を落とした先代の蠍座の聖闘士をおのれの血で救えるのが嬉しくてならないのだ。
「蠍座だからな、うん、血液型が同じでほんとうによかった。カルディアに俺の血がたくさん入ったんだから義兄弟になったような気分だよ、そうは思わないか?」
「義兄弟とは面白いことを言う。でも、その通りかも知れぬ。」
「そうだよ、蠍座だから。」
そんなことを話していると夕食が運ばれてきた。あとの世話はするからとカミュがトレイを受け取ってオーバーテーブルを引き寄せる。部屋は特別だが献立は普通のものと変わりがないらしく、いかにも病院食らしいビジュアルだ。
「う〜ん、比べちゃいけないのは分かってるんだが、宿ほど食事も気が効いてないからな。ほんとに入院ってろくなことはない。同情してくれる?」
「ああ、いくらでも同情してやるから安心するがいい。それから私は夜は宿に戻る。」
「え〜〜〜っ!それはないだろう?デジェルだってずっと泊り込んでるんだぜ!そうだ!お前、童虎の代わりに通訳をやれ!童虎もご老体だから何ヶ月も病院にいるのは身体にこたえるだろう。もうすぐ敬老の日だし、それでなくても年寄りはいたわるものだ。お前が通訳をやればデジェルも同じ水瓶座同士で心安いし、俺も安心だ。そう思うだろう?うん、そうに決まってる!」
「でも老師は今は童虎になっておられるし、年寄りというわけではないが。むしろ私たちよりお若いのでは?」
「そんなことはいいんだよ。俺はお前と一緒にいたいし、老師だって酸いも甘いも噛み分けたお方だから、俺たちを引き離そうとはなさらんはずだ。」
「そう…かな?」
「そうだよ。」
突然の提案に驚きはしたが、たしかに名案だ。日本に滞在しているカミュが通訳を引き受けるのは理に適っている。
こうして術後に目覚めたカルディアの容態が安定しているのを確認した童虎はあとをカミュに託して聖域に戻っていった。