◇その5◇

カルディアとデジェルがミロとカミュとともに登別にやってきたのは九月も末のことだ。
ずっと付き添っていたカミュがなにくれとなく世話をして、カルディアに言わせれば森羅万象の摩訶不思議なことについて納得のいくまで説明したので、万事に物慣れなかった先代の二人もようやくこの時代のシステムが飲み込めたように見える。
それでも次から次へと二人を驚かせ面白がらせる物が目の前に出現する。
飛行機もテレビも、いや、それどころか水道さえも驚異の的で、カルディアはその目的や使用法を知ると一応の満足を得るが、デジェルは製法や材質、理論や来歴までをも知りたがり、カミュに質問を繰り返す。はたで聞いているミロにはとうていできない詳細な説明が飽きることなく繰り返され、それでもカミュが倦むことがないらしいのは見上げたものだ。
「俺にはとてもできないね。気が遠くなる。シオンが逃げ出したっていうのはわかるな。」
「一足飛びに243年後の未来に来たのだ。同じ立場になったら私も相手を質問攻めにするだろう。そんなときにうるさいと嫌がられたら悲しいが、私はそういったことが好きゆえ、まったく苦にはならぬ。新しい知識を教えてやれると思うと嬉しくてワクワクする。」
日本で言えば江戸時代半ばに生きていた先代の二人の知識は現代から見ればまことにささやかで、間違っていることも数多い。当時としては最新の学問を修めたのだろうが、なにしろ時代が時代である。鎖国時代、戦のなかった日本で町人文化が花開き、計算好きの町人が趣味の和算で三角関数や微積分まで解いて楽しんでいたような国は例外中の例外で、学問は学者だけのものだった国がほとんどだ。
世間から隔離された聖域で聖闘士の修業に明け暮れ、体系的教育法も確立していない時代に育ったのだからやむを得ないが、それにしても、とデジェルは嘆く。
「この時代が羨ましい。医学も科学も素晴らしい発展を遂げている。情報は瞬時に伝わり遺漏がないし、書物の出版もこんなに盛んだ。」

空港に降り立ったデジェルが目を留めたのは書店だ。たくさんの本や雑誌が平積みになり本棚にはぎっしりと本が詰まっているお馴染みの光景だがデジェルの目には眩しく映る。まさに百花繚乱、絢爛豪華な宝の山だ。
「書物はとても高価だが、彼等はそんなに裕福なのか?」
熱心に立ち読みをする客は老若男女を問わず、引っ切りなしに本が売れてゆく当たり前のことがデジェルには驚嘆に値する。
「いや、印刷技術が進み、製紙も大量に可能になったので本はかなり安いと言える。比較が難しいが、例えばこの本は、」
カミュが週刊誌を取り上げた。
「紙質が悪く製本も簡易だ。内容と無関係の広告を多く載せているので価格は安い。簡単な昼食の価格と等しいと言える。」
「えっ!そんなに安いのか?!私の時代の本は贅沢品で、貴族や教会しか所有できない貴重なものだ。 本一冊の代価で庶民の一家が半年は楽に暮らせるだろう。 それに字を読めない者も多いから、ますます本は一般からは縁遠くなる。」
ミロは本が高価だとは思ったことはなく、大きな辞書などは高い部類だろうが、内容の充実ぶりを考えればけっして高い買い物ではない。それを言うならすぐに読み捨てる週刊誌のほうが高いだろう。
デジェルが週刊誌をぱらぱらとめくった。漢字、ひらかな、カタカナ、アルファベットが渾然一体となり文章を形成しているのは日本人には当たり前だが、世界的には珍しい。
「それに、日本語は非常に難解な言語だと思うが、それを習得しているとは、よほど教育レベルが高いと見える。この国の文盲率はどのくらいだ?」
「文盲率?」
ミロが首を傾げる。日本のことにはずいぶん詳しくなったつもりだが、文盲率のニュースなんて聞いたこともない。
「0%だ、そうとしか思えない。この国には文盲率の統計調査は無用だろう。」
即答したカミュにデジェルとカルディアが驚きの目を向ける。
「俺の生まれた村には家が貧しくて学校に通っていない子供が多かったぜ。俺の親だって、聖闘士になると読み書きを教えてもらえると聞いて喜んだくらいだからな。それに食事もさせてもらえるんだからラッキーだった。聖域から迎えが来たときは驚きはしたろうが、悲しいよりも喜んだだろうと思う。どこの家も子供が多いから食べさせるのがやっとだったはずだ。」
「ふ〜ん、そいつは予想外だ。今の日本は少子化だし、貧しくて学校に行けない子供はいないと思う。国が援助してどの子供も学校に行けるようになっている。そういう国は日本だけじゃなくてたくさんあるが。」
「病気で通学できない子供のために病院内に学校が設置されていることもあると聞く。」
「ふ〜ん、そいつはすごいな!」
すべてがこの調子で、そのたびにカルディアとデジェルは感心し、ミロとカミュもあらためて現代の発展を思い知らされる。双方とも学ぶことは多いのだった。。
先代の二人が飛行機の座席に備え付けられていた機内誌の印刷技術に見とれているので、
「それ、気に入ったらもらっていけばいいから。」
とミロが言ったときはたいへんだった。
「ほんとにっ?」
「なぜ、そんなことが?」
詰め寄られたミロのほうが驚いた。
「…え?なぜって…」
「こんな貴重なものをただでもらうなんて!」
「贅沢すぎる!」
「いや、それほどのものでは…」
世間にあふれかえっている印刷物の多くがすぐに捨てられて見向きもされないということを知ったら二人はなんと思うだろう。豊かさが多くの無駄を生んでいることもまた事実なのだ。