◇その6◇

新千歳空港からはJR、タクシーと乗り継いだ。
一気にタクシーで来なかったのは、貪欲に知識を吸収したがっているカルディアとデジェルに可能なかぎり多くの経験をさせたいというカミュの意向の現れだ。交通手段は馬と馬車と船だけだった時代から比べると、なんと現代の交通は多様化していることだろう。
いや、それだけではない。歪みのない板ガラス。自動で開くドア。舗装された道路はぬかるむことがない。現代はまさに驚異に満ちている。
「この道の表面は?石ではないし、かといってテラコッタでもないだろう?」
タクシーに乗り込もうとしたデジェルが足元を見た。
「これはアスファルトだけど、ええと、アスファルトって言うのは……カミュ、頼む。」
笑いながらミロが助けを求める。アスファルトの原材料とはなんだろう?
「アスファルトとは、原油を精製してガソリン、軽油、重油などを取り出したあと最後に残留する黒色の固体または半固体物質だ。アスファルト自体は粘度が高く、それに砂利を混ぜて道路の舗装材として使っている。コンクリートより早く固まり、ある程度の柔らかさがあるので路面に適している。」
原油については、蘇生してすぐにプラスチックやビニールを見て不思議がったカルディアとデジェルに詳しく説明してあるので、ここであらたに説明することはない。
「ふ〜ん、べとべとしたものに砂利を混ぜてるからああなってるのか。でも飛行場はアスファルトじゃなくてコンクリートみたいだが?」
「航空機の重量は車よりはるかに重い。それに耐えられるように、滑走路ではコンクリートが使われている。アスファルトではタイヤの轍 (わだち)の痕が出来てしまうのだそうだ。」
「そいつは事故のもとだな。」
カルディアとデジェルのギリシャ語の語彙に  「原油」 「航空機」 「タイヤ」 などがあるわけはない。新規に物事を説明するたびに新しい単語を覚えてもらわなければならないのだから、教えるほうも覚えるほうもたいへんだ。

「もう驚くのはやめようと思うのだが、そう決意したそばから新しいものが出てくるのには恐れ入る。」
タクシーで宿に向かう途中で赤ランプをつけてサイレンを鳴らした救急車とすれ違い、さっそくカミュから説明を受けたデジェルがため息をついた。
「私たちが死んでいた間に、これほど文明が進んでいるとは!」
「妙な言い方だが、私とミロが死んでいた期間は短かったので、その点では蘇生後もなんの違和感もなかった。」
さらっと言うカミュに、助手席に座っていたミロが振り向いて補足する。
「むしろ大変だったのはメンタルケアだ。とくにカミュは二度死んでるから。そのどっちもちょっとシビアでね、浮世に思いを残すってやつだな、あれは。」
「いや、あの、それは…」
「二度だって?そいつはきついな!」
それから互いに自分が死んだときの話になると、それが聖戦の話に直結しているものだから話に一段と熱が入る。普段はそのことに一切触れたがらないカミュも、実際に死を体験した先代の二人が相手なのでトラウマにはならぬらしい。凍気を浴びて死を迎える瞬間に体感したことを言葉を選びながらデジェルに語り、一方のデジェルは死に臨む諦観を述べ、互いに深く共感を得たようだ。
こんな話をタクシーの運転手が聞いたら驚くだろうが、むろんのこと交わされる言葉はギリシャ語だ。
「それなんだが、俺たちは自分が死んだあとのいきさつを知らないぜ。シオンと童虎だけが生き残ったのは聞いてるが、あとの皆はどうなったんだ?戦況は?」
「それは私たちもよくは知らぬ。次の機会にシオンにでも聞いてみるのが良かろう。」
「次の機会っていっても、俺は養生が必要だからまだまだ聖域には帰らないしな。シオンのやつをここに呼ぶっていうのはどうだ?」
「えっ!教皇をここにかっ?!」
さすがにミロが絶句した。頭の中に、浴衣を着てスリッパをはいているシオンを無理矢理に思い浮かべてみる。

   似合わないっ、まったく似合わないだろう!
   そもそもシオンが私服でいるのを見たことがない
   いつも拝礼している、というよりさせられている教皇と一緒に飯を食って、
   そのうえ露天風呂で裸の付き合いをするのかっ?
   教皇宮にはサガが造ったという伝説の大浴場がある筈だからそれで十分だろう
   なにか気に触ることでもあって対応を間違えたら、例のちゃぶ台返しとか??
   せめて童虎も一緒に来てもらって相手をしてもらわないと、間がもたん!
   先代組の同窓会はここじゃなくて、ほかの場所にして欲しい!

「シオンが来るのであれば、奥の間に玉座を用意せねばならぬだろうか?」
真に受けたカミュがとんでもないことを言い出してミロの肝を冷やす。
「恐ろしいことを言うなよ。あの離れは俺たちの愛の……いや、それはともかくとして、なんだか気が滅入ってきた。」

   老師は酸いも甘いも噛み分けた話のわかるお方だが、シオンはなぁ……
   どちらかというと、わがままでおせっかいで自己中心的なタイプじゃないのか?
   同じ自己中でもシャカはほうっておけば勝手に瞑想に耽ってくれるからいいが、
   シオンは向こうから首を突っ込んできそうな気がする
   そのくせ美穂なんかには愛想がいいんだろうな、きっと

ミロがあれこれと気に病んでいると、まっすぐな道を進んでいた車が左に折れて宿の敷地内に入った。
「この宿だ。アテナの関係者がやってる宿だが、聖闘士じゃなくて普通の客という扱いだからそのつもりで。」
「普通の客も何も、そもそも宿に泊まったことがないんだが。」
困ったように言うカルディアがものめずらしそうに車から降りるとあたりを見回した。なんということもない和風のしつらえだが、きれいに刈り込んだ植え込みも四角い飛び石もその周りを囲んでいるジャノヒゲも、すべて不思議な光景に見えるらしい。さっそくカミュが玄関横の円錐形の盛り塩について説明をする。
「知らない植物ばかりだな。」
デジェルが注目したのは植物だ。
植生の異なるギリシャから来た目には日本の植物が奇異に思えるらしい。そういえば日本に着たばかりのときは自分もそうだった、とカミュも思い当たる。こんなところも双方で似ているのは水瓶座だからだろうか?
「漢字って奴はどうにも見慣れない。え?ひらがなってのも混じってるのか?区別出来ないぜ。おまけに縦書きときてる。」
まったく漢字を読めないので、宿の名前の看板も異国情緒そのものだ。
「いらっしゃいませ。」
玄関で出迎えた美穂が深々と頭を下げた。


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                ジャノヒゲ ⇒ こちら