◇その49◇

「昨夜はどこに行ってたんだ?」
ルシウスと朝食を摂っているときにいきなりそう言われたカミュは思わぬ質問に不意を突かれて咳き込んだ。
「あの……それは…」
早暁にそっと戻って寝床に滑り込んだ時にはルシウスの安らかな寝息が聞こえていたので気付かれていないと安心していたのだが甘かったようだ。
「女ができたのか?」
「えっ…!」
さらに思いがけないことを言われたカミュが真っ赤になった。生まれてこの方、そんなことを考えたこともなければむろん他人から言われたこともない。
「よかったじゃないか、何も隠すことはない。」
「いや、あの、私は…」
しかしルシウスはカミュの狼狽には頓着しない。
「だいたい君ほどの美形に女ができないほうがおかしいと思っていた。ローマ女が君を放っておくはずがないからな。君は固そうだからよっぽどの手練手管で迫ってきたのだろうな、羨ましいことだ。」
「ルシウス、あの、そうではなくて!」
「なあに、大丈夫だ。私は口が堅い。もしも君の故郷の恋人がたずねてきても何も言わないから安心してくれていい。たまのローマだ、男も存分に羽を伸ばすべきだ。で、どこの女だ?」
「どこって…」
「まさか商売女じゃないだろうな?ああいう種類の女たちは媚を売るのはうまいが実がない。君のような真面目な男にはふさわしくないぞ。寝るなら素人女で純情なのがいい。それから、まさかとは思うが人妻はやめたほうがいい。情が濃いから持て余すぞ。いくら若くても身体が持たん。私の妻なぞは私が3年ほど地方の仕事で留守にしていた間に手紙一つを残して実家に帰ってしまってな………たしかに仕事にかまけていてついそっちのほうがおろそかになり、子供を欲しがっていた妻を満足させられなかった私も悪いのだが、だからといって……その後、私もいろいろ努力して男としての自信を回復することができたので今度こそと妻を迎えに行ったら、なんとすでに男を作って子供まで身ごもっていて……まったく女というものは……」
ルシウスの自省の独白は止まらない。どうやらカミュは聞き上手に認定されているようだ。カミュとしてはこの誤解を全力で否定したいところだが、では何と言い訳したものか?

   天文学の観察で一晩中 丘の上で星を見ていたとか?
   しかし、これからも聖域に通うというのに雨や曇りの日があったら外出できぬ
   それとも哲学に耽って夜通し散歩をするというのはどうだろう?
   いや、キケロやセネカではあるまいし、それもわざとらしすぎる

いろいろ検討してはみたものの、夜っぴて恋人と過ごしていたという理由が唯一もっともらしいという結論になる。それにこの説に乗ればこれから堂々と夜間に出かけられるのは間違いない。ルシウスは喜んで送り出してくれるだろう。
どうせ誰も聞いてはいないのだ。カミュは清水の舞台から跳び下りることにした。
「ええ、あの……彼女は至って真面目な人柄で…」
「そうか、そうか、よかった!しかし恋人の手前もあるから子供だけは作るなよ。女を悲しませるようなことはよせ。そのへんは大丈夫なんだろうな?」
「……はい、大丈夫です。」
カミュ、気が遠くなりそうである。真っ赤になっているカミュを見て満足そうに頷いたルシウスは祝いだからといって奴隷にワインを持ってこさせると嬉しそうにぐいっと飲んだ。
「実のところは妙な噂を立てられて困っていたところだ。」
「と言いますと?」
「君があまりにもきれいな顔立ちなので、私と君の仲を怪しいと言い立てる奴がいて閉口している。」
「えっ…」
カミュ、茫然自失である。
「私は女一筋なのだが、先般ハドリアヌス帝に呼ばれてパイアエの別荘に長く滞在していた時にそんな噂を立てられた。」
「でも事実ではないのでしょう?」
「無論だ。しかし皇帝は男色をお好みで、若く美しい男を深く愛しておられたが彼がナイル川で溺死したのを悲しまれてその愛人に生き写しの彫像をたくさん作らせて帝国中に置かせたという実績がある。それで私が重用されたのを妬む輩がそんな噂を立てたのだろうな。まったく迷惑なことだ。抱くなら女がいいに決まってる。何が嬉しくて男を愛さねばならんのだ?」
「………さぁ?」
それからルシウスの女の愛し方についての講釈が続き、その赤裸々な内容にしかたなく相槌を打ちながらカミュが辟易していると石工のマルクスがやってきた。これで話の方向性が変わるだろうとカミュは期待すること大である。
「よう、ルシウス!まだ朝飯だったか。」
「ああ、今日はカミュと女の話が弾んでな。」
「ふうん、そいつは珍しいな。お前に似て生真面目だと思ってたが案外話が分かるんだな。」
「で、なにか用か?」
「うん、いいものを手に入れたんでお前にも分けてやろうと思って。」
そう言いながらマルクスが懐に手を入れて掴み出したものがカミュを驚倒させた。
ティンティナブラム。
そう、それは古代ローマで生殖と豊穣の象徴として珍重された魔除けの飾りで、カミュも本物を目にするのは初めてだ。
「こいつはよく効くぜ!魔除けだけじゃなくてあっちのほうも霊験あらたかだ。わかるだろ。」
「それはまあ……しかしちょっとはっきりしすぎてないか?」
つまみ上げたルシウスが顔の前でぶらぶら揺らす。
「このくらいのほうが効き目があるってもんだ。こいつを首にさげて女とやればばっちりだぜ。ゆうべ試したから間違いない。一晩中いける。ほら、カミュの分もある。」
「えっ!」
どぎまぎしながら黙って聞いていたカミュがマルクスから手渡されたのは真鍮で作られたと思しきティンティナブラムだ。ご丁寧に首から下げられるように革紐が付いている。
「お前さんは顔がきれいすぎるから悪い虫が付く前にこいつで追っ払ったほうがいい。変な女に引っかかったらあとが面倒だからな。あと、男にも気をつけたほうがいい。」
「ああ、それがいい。それに君も恋人ができたのだからきっちりと満足させないと逃げられるぞ。まだ若いから大丈夫だとは思うが、念のために肌身離さず持っていたほうがいい。女を喜ばせるのは男の甲斐性だからな。」
一人で納得したルシウスがまず自分の首にかけ、明らかにカミュもそれに倣うのを期待しているようだ。

   かけたくないっ!
   なんの因果でこの私がティンティナブラムを!?

しかし明らかに好意で持ってきてくれたというのにいったいどうして断れようか?
しかもコロッセウムにミロへの伝言を刻むつもりのカミュは、マルクスから古い道具を借りた恩がある。
「どうもありがとうございます。それではいただきます。」
清水の舞台 再びである。律儀に礼を言ったカミュは汗ばんだ手で鈍い銀色に光るティンティナブラムをおのれの首にかけた。前向きに考えれば極めて貴重なローマ時代の日用品を手に入れたということになる。研究者が泣いて喜ぶシチュエーションであろう。


                         



             
 参考までに    こちら
                       あら……在庫切れだったりする