◇ 桜吹雪 ◇

「それじゃ、ここで。」
「ほんとに二人だけで大丈夫か?」
「平気だよ、デジェルはずいぶんしゃべれるし、俺も日常会話程度ならまあまあこなせるからな。」
「それでは夕方にホテルで会おう。」
羽田からゆりかもめで新橋まできた四人はここで別行動になった。カルディアとデジェルはグラード財団付属病院に行ってカルディアの心臓移植後の定期検診を受け、ミロとカミ ュは都内の美術館に向かうのだ。
来日当初こそすべての医療機関受診にカミュが付き添ったが、デジェルが日本語を猛勉強したかいがあり、今ではカミュほどではないがかなり上達していて病院でも困ることがない。
「それにほら、俺の胸の手術創をムウがすっかりきれいにしたんで、それを医者に説明して納得してもらうのには冷や汗をかいたが、アテナのおかげで事情のわかってる専任医師とスタッフが決 まったんで、行くたびに説明しなくてすむようになったからな。あれには助かったよ。」
そうなのだ。赤々とした30センチにも及ぶリアルな傷痕を一瞥したデジェルが魂を消し飛ばせ、その足で聖域に跳び、若いアリエスに直談判したせいでカルディアの胸がきれい になったのはよかったのだが、困ったのはその後の定期検診だ。
「えっ?定期検診って?」
「戦闘時の負傷とは違い、平和時の医療行為については状況に応じて予後の健康チェックがある。とくに心臓移植はきわめて慎重な注意を要するケースのため、本人のためだけで なく今後の患者のためにも管理情報の蓄積が必須になっている。カルディアの手術についても継続して検診を受けて異常がないか診てもらなければいけない。」
「すると、心電図とかのときに、なんで俺の胸の傷が消えてるか聞かれるのか?」
「当然だ。そんなことが知られたら大センセーションを巻き起こす。」
「え〜と、そいつはどうすりゃいいんだ?証拠にアリエスを呼んできて実際にやってみせるってのはだめか?」
「無理だ。」
そこでカミュが聖域に赴きアテナにこれこれと事情を説明して、信頼のできる医師を専任でつけてもらったという経緯がある。
「それにしてもよく納得してくれたな。医学上の奇跡だろ。あれが可能なら世界中の金持ちから傷痕を消してくれって依頼が舞い込んで、その謝礼だけで聖域の建造物は全て再建 できるだろうな。こわれまくった白羊宮なんか一発なんだが。」
「そうもいくまい。」
「うん、わかってるけど。」
アテナがどのようにして医師を納得させたのかはわからないが、ともかくカルディアの受診はスムーズに行われている。

ミロとカミュと別れたあと、先代の二人は都心にあるグラード財団付属病院の最寄り駅に降り立った。歩いて10分ほどの距離にカルディアの疲れを案じたデジェルはタクシーに乗ろうか迷っ たが、
「このくらいは歩けるし、桜並木が見事だから見物しながらのんびりと行こうぜ。どうせ時間には余裕がある。」
とのカルディアの言葉でデジェルも歩くことに同意した。用心しすぎて運動を控えすぎるのもよくないことはわかっている。
折りからの春風に桜の花びらがちらちらと舞っている。
「桜ってのはきれいだな。ギリシャでは見かけないがなかなかいいもんだ。」
「私も気に入っている。今夜はミロたちが千鳥ケ淵というところの夜桜を見に連れていってくれるそうだ。素晴らしく美しいと聞いている。」
「そいつは楽しみだな。」
駅の周囲には高層ビルが多く、ビル風が激しくなってきた。淡いピンクの花びらが一斉に風に舞い、二人の上に散りかかる。
「きれいだな、こういうのを桜吹雪っていうんだろ。お前の得意な吹雪とは一味違うな。」
「私は吹雪を作り出すわけではないが。」
「でもやればできるんだろ。なにしろ雪と氷の魔術師だからな。」
急に風が激しくなってきて、目になにか入ったデジェルが立ち止まってまぶたを押さえた。それには気付かずに先に歩いていたカルディアの足元をピンクの可愛い帽子が風に飛ばされ てずっと先に転がってゆく。

    子供の帽子だな…

カルディアがそう思ったとき、後ろから5歳くらいの女の子が走ってきて何メートルか先でやっと帽子に追いついた。その子供が帽子をかぶり直したとき、突風が襲い掛 かり、すぐそばのビルの外壁工事の足場ごと大量の建材が崩れ落ちてきた。 一瞬の大音響にデジェルが顔を上げたときには大量の用材がカルディアの いたはずの歩道を埋め尽くして濛々たる埃が舞っていた。息を呑んだデジェルが絶句したあとやっと言葉を絞り出す。
「カルディア!…そんな…まさかっ!」
駆け寄ろうにもそのあたり一面が瓦礫の山でどうにも手のつけようがない。一部は車道にまでおちたので車の通行が止まり、周囲から人が寄ってきて工事関係者が携帯でなにか怒 鳴っているのが聞こえた。恐ろしい予感に膝ががくがくと震えてよろめいたとき、頭の隅でなにかが響いているのに気が付いた。

( ……ジェル………デジェル…)

「……カルディアかっ!どこだっ、どこにいる!?」
慌てて屈み込んだデジェルが積み重なった瓦礫の下を覗きこんだ。この下敷きになっていては致命傷を負っているとしか思えない惨状に蒼白になったとき、さらに声が響いた。

(そこじゃない   反対側の歩道にいる)

「…え?」
驚いて顔を上げると、渋滞している道の向こう側で泣きじゃくっている子供のそばに座り込んでいるカルディアが見えた。
「大丈夫かっ!怪我はないか!」

(ああ、怪我はしてない)

「よかった…!」
安心のあまりくらくらと眩暈がしてきたデジェルの上にいちだんと見事な花吹雪が散り掛かり、道の向こう側のカルディアの姿が涙と花吹雪で見えなくなった。

(でも、つい成り行きでテレポートしちまった。緊張したせいか、やたら動悸が激しい。心臓が大丈夫か気になる)

「わかった、すぐ行く!」
遠くからサイレンの音が近づいてきた。