◇ 桜吹雪 ◇ その2

「立てるか?」
「たぶん……うん、大丈夫だと思う。」
デジェルに手を引かれて恐る恐る立ち上がったカルディアの顔色は今までにないほど青ざめている。
テレポートはしないと決めていたのに、突然頭上に落ちかかってきた建材と恐怖に立ちすくんだ子供を見てその決意はあっさりと翻された。蘇生してからは一切封じてきた光速の動きで子供を抱きかかえると視界の隅に映った反対側の歩道にテレポートを敢行したのだ。
安全な場所に移動した瞬間、凄まじい大音響が響き渡り大量の建材がさっきまでいた地点を埋め尽くした。

   デジェルはっ! デジェルは無事かっ!?

歩道に倒れ込んでようやく身体を起こしたカルディアの位置から危うく難を逃れたデジェルが見える。この世における唯一無二の存在の無事を確認した途端、カルディアは急におのれの心臓の拍動が激しくなっているのに気が付いた。

   これって やばくないか!?
   うっかりテレポートしちまったじゃないか!

とはいえ、やらなければ圧死していたのは確実で、あれほど死に場所を求めていたにも関わらずカルディアは自分が生きていることにほっとする。だが、強大な負荷に心臓が持たないかもしれないことにも恐怖した。

   デジェル! デジェル!

今にも心臓が止まるかと思うと恐ろしく、とても声を出せる気がしなくて道の向こうのデジェルにテレパシーで呼びかけてみたが、あたりはすでに大騒ぎになっており、たくさんの人が駆けつけてくる最中だ。デジェルも狼狽していてまったく周囲の様子に気が付いていない。きっとパニックに襲われてテレパシーにも気が付かないのだろう。デジェルにしては珍しいことだ。
胸にこわごわ手をやると、今までに感じたことがないほど動悸が伝わってくる。気のせいか熱まで持ってきたような感覚に襲われた。

   くそぅっ! いきなり心臓が自己主張し始めたのはどういうわけだ?
   頼むからおさまってくれ!

額に汗が滲むのを感じながらもう一度デジェルに呼びかけてみると、今度は聞こえたらしく、はっと顔を上げたデジェルが山積みになった瓦礫の下を必死に覗き始めた。あんなところにいるとしたら確実に悲惨な状況になっている。その恐怖に怯えながらカルディアの姿を探し求めるデジェルの胸の内はどれほどつらいことだろう。

   違う、そこじゃない!  反対側の歩道だ

早くデジェルを安心させたくてそう伝えると、デジェルがびっくりしたような目でこっちを見た。テレパシーで返事をすればよいのに、
「大丈夫かっ!怪我はないか!」
と切羽詰まった声で叫ばれたとき、いかにデジェルに心配されていたかカルディアは身に染みたのだ。急いで、怪我はしていないと伝えるとデジェルが泣きそうな顔で頷いた。いや、ほんとに泣いていたのかもしれない。
そのときまたひとしきり強い風が吹いてたくさんの花びらがデジェルの上に降りかかったのを、こんな緊急事態にもかかわらず、カルディアはとても美しいと思ったのだった。

手を引かれて立ち上がり呼吸を整えているとずいぶん動悸もおさまってきた。
「これなら歩けそうだ。どうせ、すぐそこが病院だからな。」
「大丈夫か?病院から車椅子を借りてきたほうがいいのでは?」
「深窓の令嬢のようにそっと歩くことにする。俺も自分の身体が可愛いからな。」
すぐ近くで泣いていた子供が駆け付けてきた親に抱きしめられたのを確認したデジェルはカルディアと腕を組んでゆっくりと病院に向かい、受付を済ませると担当医師に面会を申し込み、いつもよ り入念なチェックを依頼した。
「急激な運動をして過大な負荷がかかったはずなので。」
という理由だ。 同時にミロとカミュに連絡して病院に来てもらうとさっそく待合室で善後策の相談にかかった。
「どうすればよかろう? 『 急激な運動 』 の詳細がわからなければ医師としてもはっきりとしたことは言えないだろうし、後日異常が出たときに対処してもらうのが難しくなる。といって、テレポートは科学的に立証されておらず、信じてもらうためには実践してみせるしかないだろう。」
「う〜ん……医者の前でやって見せるのか?できれば避けたいところだが。」
「しかし、今後も秘密主義を貫いてカルディアに異常が出たときには取り返しのつかないことになる。私としては医師には口止めをした上で精密検査をしてほしい。」
「どうする?カミュ。テレポートのことなら美穂のほかにも何人か知ってるし、この際、医者に知られても構わないことにするか?別にマスコミじゃないんだから、守秘義務のある医療関係者に知られても大丈夫そうな気がするが。」
「そうだな、ではそうしよう。医師は論理的な思考ができるものだ。無碍に否定はしないだろう。まずカルディアの身の安全を第一に考えたほうがいい。」
結論が出たので、もう一度医師に面会を申し込み、他の患者の診察が終わるまでだいぶ待たされたが、めでたくカルディアの検査が終わる頃には診察室に通された。
ミロの主治医の納谷医師は温和な風貌の五十過ぎの男性で患者の話を親身になって聞いてくれるとの評判だ。
「詳しい結果は一週間後にお伝えできますが、今のところは異常はありません。その急激な運動による負荷というものの影響はとりたてて見られませんね。それがどのような運動かお聞かせ願えませんか?」
納谷医師の当然の疑問にカミュが代表して事情を説明し始めると、興味深そうに聞いていた医師がなぜか途中からミロをちらちらと見始めた。

    なんで俺を見る?
    説明しているカミュを見るのが普通じゃないのか?

ミロが首をかしげていると、
「証拠もないのにそんな話を聞かされたら、普通なら一笑に付すところですが、」
と前置きした医師がミロに、
「一昨年の一月に有楽町においでになりませんでしたか?」
と尋ねた。
「え?有楽町?」
いきなり聞かれたミロにはとっさのことで、聞かれた理由もわからなければ自分がそのときどうしていたかもわからない。しかしカミュはそうではなかった。
「有楽町にはたしかに行っていましたが、それはつまり…」
言葉を濁すのは当然だ。相手の出方を見ないで判断するのは早計である。
「やはりそうでしたか。これで話がつながります。あの交差点であなたが助けてくださった東央大学の池田教授は私の義兄です。」
「えっ!」
そう言われてミロもそのときのことを思い出した。有楽町の国際フォーラムを出てカミュと待ち合わせていた喫茶店に向かうとき、信号待ちをしていた歩行者に向かって突っ込んできた車を避けようとしたミロは、とっさに近くに立っていた日本人男性を抱き抱えて安全な場所にテレポートすると、身元を詮索されるのを避けるためすぐに宿の離れにテレポートしてその場を逃れたのだった。
「それじゃ、あのときの!」
「ええ。結局、真相はわかりませんでしたが、義兄も私もあのときのことは忘れていません。私もすぐ後ろにいましたので、二人で、まるでテレポートみたいだと話していたんです。」
「…えっ!」
「申し遅れましたが、義兄は日本SF協会の会長をしていまして、そういった関係の話には多大な関心があります。」
「そうなのですか!」
「ですから実は義兄はあのとき命が救われたこと以上にテレポートを経験できたことに感激していましてね。」
「えっ!」
「いや、このような貴重な話を伺って実に欣快です。喜んでテレポートが人体に与える影響について詳しく検査させていただきます。」
思わぬ展開にミロもカミュも唸ってしまった。 なんと、あのときミロが助けた心臓手術の世界的権威の池田教授はカルディアの心臓移植を執刀した主治医の納谷医師の義兄だというのだ。いきさつがいま一つ飲み込めないでいるカルディアとデジェルにことの経緯を説明すると、すっかり驚かれた。
「それで、義兄はいまアメリカにいますが、このことを話しても構いませんかな?」
「ええ、もちろん、よろしいですとも。」
こうしてカルディアの心臓のサポート体制はさらに強力になった。


                           


       ※ 有楽町の人助けの話 → こちら