◇ 桜吹雪 ◇ その4
「もうすっかり復調したんだから俺は電車でいいぜ。あれは面白い。」
退院したその足で千鳥ヶ淵に桜を見に行くことになり、カルディアはそう主張したのだが誰もそれを肯定しなかった。
「気持ちはわかるが今日のところは車で行こう。」
「今日が大丈夫だったら明日は飛んだり跳ねたりしてもいいから。」
「君子危うきに近寄らずだ。」
口々に言われて、
「俺って君子じゃないと思うんだがなぁ。」
と苦笑いしたカルディアを病院の前で待機していたタクシーに押し込むと四人は千鳥ヶ淵に向かった。背の高い四人が乗り込むとタクシーはいささか窮屈になる。
「それともテレポートがよかったか?できるようになると心が動くな。」
「カルディア!不要不急のテレポートは!」
「わかってるよ、言ってみただけだ。」
「心配させてくれるな。」
後部座席で隣り合って座っている先代二人の話がミロには甘く聞こえて仕方がない。助手席に座っているカミュは運転手と東京の観光客の動向について当たり障りのない会話をしている。
カルディアのやつ、
きっとこれからテレポートの件でデジェルをからかってやきもきさせるんだろうな
「私はお前のことが心配で!」
「それはわかってるけど、危急存亡のときは座して見ている気はないぜ。
お前だって保身に走って人を見殺しにする俺を見ていたくはあるまい?」
「それは…」
「大丈夫だよ、無理はしない。なるべくお前に任せるが、いざというときには俺を
頼りにしてほしい。」
「カルディア……」
ああ、いかん! 余計な妄想が!
ミロが頭の中の画像を振り払っている間に車はどんどん進み、やがて千鳥ヶ淵の近くの交差点までやってきた。
「ここでいいです。あとは歩いていきますから。」
カードで支払いを済ませたカミュに続いてタクシーを降りるとすぐ目の前にあるのはイギリス大使館でかなりの敷地を占めている。
「大使館とは?」
さっそく質問してきたデジェルにカミュが大使館の概要を説明すると、
「それじゃあ、どこかにギリシャ大使館もあるんだな?」
興味をもったカルディアが聞いてきた。カルディアに関係あるのはギリシャだけで、そのほかの国は考慮外である。
「ギリシャ大使館は西麻布にある。ここからはだいぶ離れている。」
「六本木ヒルズの近くだろ。俺たちも何度か行ったことがあるからよく知ってるが、ここと同じで東京の一等地だ。もっともここのほうが皇居に隣接してるから格上だと思うが。」
交差点をお堀のほうにわたるとすぐそこからも桜が見える。お堀に沿ったそのあたり一帯はゆったりとした遊歩道になっているが、この季節は花見客でいっぱいでまだ正午を回っていないというのに早くもお花見の場所取りで大きなシートを広げているのが目についた。
「あれはなにをしてるんだ?」
四隅をペットボトルや雑誌で抑えたブルーシートの真ん中に寝転がっているサラリーマンを見たデジェルが首をかしげた。
「日本では会社の仕事が終わった夕方から職員があそこに集まって飲食をしながら桜を見て親睦を深める習慣があり、そのための場所を確保する要員だ。遊んでいるようでもあれも仕事のうちらしい。」
「ふうん、そういうものか。」
桜の下を散策する道幅は確保されているのであとのスペースは自由に場所取りをしていいらしく、めぼしいところはすっかりシートで覆われている。
「千鳥ヶ淵って特別だから花見の場所取りなんて禁止されてるかと思ったがそうでもないんだな。」
「うむ、私も意外だった。」
まだ午前中なので桜の下をそぞろ歩く人もそんなに多くはないが、午後から夕方にかけてもっと人出が増えてくるのだろう。皇居のお堀端に枝を張り出した桜の木はいずれも太く年経ていて風雪に耐えてきた枝振りがそれぞれに趣きがある。
「ほんとに見事だな。やっぱり日本は桜だよ。」
上を見たりお堀の向こうの高い石垣を眺めながら左のほうに進んでゆくと大きな交差点を越えたところで花見の人の列は堀端に沿って右に曲がってゆく。気持ちの良い散策の小道を抜けてゆくと何段かの石段を昇ったところが黒山の人だかりになっているのが目についた。
「あそこはなんだ?」
「何か見えるのだろうか?」
「さて?」
話しながら近づいて話のタネにと昇ってみると、
「あっ!これは……」
「そうか!テレビでよく見かけるのはここか!」
こんな時には背の高いのは有利だ。目の前に広がっているのはしばしばテレビでも見かけることのある桜の花盛りの千鳥ヶ淵にボートが浮かんでいるという絶好のシチュエーションだった。
「ああ、こうなってたんだ!ほんとに見事だ!ほら、カルディアもデジェルも見ろよ!」
「うわっ!これはすごいな!」
「まるで夢のようだ!きれいすぎる!平和を具現化するとこうなるのだな!」
たくさんの人が携帯やデジカメで写真を撮って、しばらく目の前の絶景を楽しんだ後ほかの人に場所を譲って後ろに下がってゆく。四人も少し待って最前列の手すりに寄りかかり、この美しい風景を楽しんだ。
「なんてきれいなんだろう。あそこでボートに乗っている人はどうやって乗ったのだろうか?」
「俺もそれが気になる。許可証とか要るのか?」
初めての光景に嘆声を上げたカルディアとデジェルはそこのところが気になるらしい。
「ここの左側のほうにボート乗り場があるようだ。許可証は要らない。誰でも乗れる。」
途中で手に入れたパンフレットを広げたカミュが指差すほうを見ると、なるほど見下ろすお堀の左隅にボートが何艘も係留されていて係員がいるようだ。
「では乗りたい。あれに乗らずには帰れない。」
「お前らは乗ったことがあるのか?聖闘士の運動神経ならすぐに漕げるようになるんだろうな?」
「それは大丈夫だ。俺もカミュもすぐに漕げるようになった。たいしたことはない。」
わくわくしているらしいカルディアとデジェルの要求を容れてボート乗り場に行くと予想していた通りに長い行列ができている。
「どうする?並ぶか?だいぶ待つかもしれないが。」
「かまわん。俺はあの桜の下でボートを漕いでみたい!」
デジェルもそれに同調したので四人で列の最後に加わった。千鳥ヶ淵の貸しボートは人気が高く、桜の時期は朝からなかなかの盛況だ。休みの日は3時間待ちも珍しくない。
外人の多い東京にしては珍しくボート待ちの行列は日本人ばかりだったのでただでさえ背の高い四人ははなはだ目立つ。全員が美形でおまけに長髪ときているのだからなおさらだ。
こうして本人たちが知らぬ間にたくさんの携帯がさりげなく向けられて背の高い姿を背景に収めた桜の写真が次々とブログにアップされ始めていることなど当の四人はまったく気が付かないのだった。
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