その13   航海

「戻ってきたぞ!」
ずっと密林のほうを見張っていた水兵が大声で叫んだ。 ミロがレオナールを連れ帰ると、心配していたみんながどっと駆け寄ってきた。 称賛の嵐がミロを包み、英雄的な行為が誉めそやされる。 同じく待ち構えていたカミュがやっとの思いで人の輪からミロを連れ出し、やっとホテルに戻ることができた。

翌日はもっとたいへんだった。 艦長が自らやってきて部下の命を救ったミロの勇敢な行為を賞賛し、艦上での昼食会に招待されたのだ。 レオナールを救い出してきたミロは人から聞かれて 「 蛮族につかまっていたところを助けた。」 程度のことしか言わなかったのだが、意識を取り戻したレオナールが艦長から事情を聞かれてこと細かに報告し、全てが明らかになったらしかった。
「たいへんな評判だ。 君のことが認められて私も誇らしい!」
「間に合ったからよかったが、ほんとうに文明人っていうのは…」
そこまで言って苦笑してやめたところをみると、ミロもこれ以上言っても無駄だと思ったらしい。
港から小型のボートに乗って近くまで行くと軍艦は小山のように聳え立ち、ミロをおおいに感心させた。
「ずいぶん大きなものを作るもんだな! 蛮族に捕まってる人間を助け出すよりも、こっちのほうが大変だと思うが、違うのか?」
「そういう考え方もあるが、君がやったようなことをできる人間はこの世に一人もいないと断言できる。」
艦上では乗組員が入れ代わり立ち代わり握手を求めにきてミロを困惑させた。 感動したレオナールの話がよっぽど印象的だったのだろう。
「いったい君はどんなことを話したんだ? 俺はまるで自分が凱旋するジャンヌ・ダルクになったような気がするが。」
ミロの学習はずいぶん進んでいて、すでにそんなことも覚えたようだ。
「君に命を救われたことはけっして忘れない。 君のためなら全財産を投げ出しても悔いはないさ。」
ミロを出迎えたレオナールが温かい抱擁をする。 もっとも怪我をしたほうの腕は使えないので身体半分だけだ。
「君たちが救いにいった調査隊の方は道に迷っているところを別ルートの捜索隊が発見して無事に戻ってきたという話だが、そうすると亡くなった人間の命が無駄だったようで本当に気の毒だ。」
「そんなことはないさ。 みんな勇敢なフランス軍人だ。 人のために立派に任務を果たしたのだから悔いはない。 彼らは私たちの誇りだよ。」
初めて軍人魂というものに触れたミロはこういうものかと感心をする。 そこに艦長と上級士官たちが現われて和やかな昼食会が始まった。ほんの一ヶ月前まではジャングルの中で暮らしていたというのにミロのマナーが完璧でそれも軍人たちを感嘆させる。
「そうするとお二人はこれからフランスへ帰るのですな。」
「ええ、ヨットのほかの乗員がどうなったかわからなくて気にかかるのですが、私と一緒に海岸にたどり着いた船員の捜索も行なわれているということですし、私としてはミロをフランスに連れて行って身分を明らかにしてやりたいのです。」
「君はそう言うが、俺の母親はカラなんだぜ。」
「そんなはずはない。繰り返して言うが、君が類人猿の子どもだなんてありえないよ。」
何度も繰り返されたに違いない論議が始まりそうなのを察した艦長が割って入った。
「私にいい提案があります。 お話の様子だと一日でも早く国に帰って真実を明らかにしたいでしょうから、当艦に乗ってフランスに帰るというのはどうですかな? 民間の船便を待つより十日も早くフランスの土を踏めます。」
「えっ! いいのですか?!」
「ランベール中尉の命を救ってくださったのです。 そのくらいのことはさせてください。」
「願ってもないお言葉です。 ありがたく甘えさせていただきます。」
こうしてミロとカミュはフランス海軍の艦船に乗ってフランスへと向かうことになった。 レオナールが喜んだのは言うまでもない。 心配していた旅券の件も、艦長がうまく取り計らってくれるというのだからなんの心配もない。

航海は至極順調で次々と移り変わる景色がミロを楽しませた。紅海が近くなってくると緑豊かだった沿岸は砂漠地帯が多くなり、そんなものの存在を知らなかったミロを驚かせる。
「木も草もなければ生き物は住めないだろう。」
「いや、ところどころにオアシスという水場があって、そのあたりには木がたくさん生えているということだ。 砂の上を歩くラクダという動物がいて、人はそれに乗って移動する。 背中に大きなこぶがある。」
「ん? よくわからんな。 こぶとはなんだ?」
「ええと………」
ミロが愛読していた本にはラクダのことはのっていなかったし、 説明しているカミュも本物を見たことがないのでいまひとつ説得力がない。
「パリに着いたら図書館で調べよう。」
図書館には本がたくさんあって自由に見られるという説明にミロが眼を輝かせる。
スエズ運河に入った時には地図を見ながら運河のことを説明すると、
「そんなすごいことができるのか? こっちの海と向こうの海をつなげるなんて考えられない!」
とミロが首を振る。 すると非番で一緒にいたアルベールがここぞとばかりに力説を始めた。
「運河の歴史は古い。 今から4000年も前にはすでにあったそうだが、その後砂に埋もれてしまって痕だけが残っていたそうだ。ナポレオンが運河を作ろうとして測量をさせた話は有名だ。 ミロはナポレオンを知ってる?」
かろうじてカミュから聞いていたミロが頷くと、
「そうそう! ナポレオンはロゼッタ・ストーンを発見したんだよ、すごい見識だ! え? ロゼッタ・ストーンのことはまだ知らない? それなら教えてあげよう!」
張り切ったレオナールが艦長室から分厚い本を借りてくるとミロに講義を始めた。 考えてみれば、実際にロゼッタ・ストーンを発見してナポレオンにその重要性を報告したのはフランス軍士官ピエール=フランソワ・ブシャール大尉なので、海軍中尉のレオナールにとっては誇るべき大先輩なのである。
「するとフランスに行けばそのロゼッタ・ストーンが見られるというわけか!」
「いや、それが残念なことにそのときの戦争でイギリスに負けたので、戦利品として取られて、今はロンドンの博物館にあるそうだ。」
「博物館?」
その頃には手の空いた士官が次々と集まってきて、ロゼッタ・ストーンやらナポレオンやらについて自分の知っていることを披露し始めてたいへんな騒ぎになった。
「パリに行ったらぜひルーブルに行くべきですな。 素晴らしい芸術品の宝庫です!」
「オペラも聴いていただきたい!」
「フランス語は世界一美しい言葉です。 あなたが最初に覚えたのがフランス語だというのが嬉しいですね!」
「ロゼッタストーンを発見したブシャール大尉は私の母方の曽祖父でして。」
あまりの賑やかさに艦長が出てきて苦笑しながら一同を解散させるほどだった。
こうしてフランス人の自国の文化を誇ることの熱烈さはミロを瞠目させたのである。


                                  



           カミュ様の母国を持ち上げてみました。
           ナポレオン、死んだ翌日から伝記が書かれ始めた人物と言われているんですって!さすがです。

           このころの軍艦って………帆船か鋼鉄船かまったくわからなくてちょっと検索。
           するとどうやら鋼鉄船のよう。
           1890年に三菱造船所で日本最初の全鋼鉄船 「筑後川丸」 (694総トン) が建造されていますから、
           フランスの軍艦なら当然それより大型の艦船を保有していたことでしょう。
           植民地政策が盛んな頃ですから時代背景は20世紀初頭あたりではないかと思います。
           気分的には帆船の方がイメージがいいんですけどそれだとホーン・ブロワーです、あれは18世紀末。

           「ホーン・ブロワー」
           18世紀末に英国海軍の士官候補生となったホレイショ・ホーンブロワーの成長と活躍を描いた物語。
           イギリスの少年の必読書のようです、たいそうすぐれた作品です。