その14   パリ 1  〜宝石〜

スエズ運河を抜けて地中海に入ると海の色が変わる。 手元の地図と目の前の景色を見比べながらイタリアやギリシャの歴史を話してゆくのはカミュにも楽しい経験だ。 人類の歴史のことを何も知らなかったミロは新たに得た知識の整理に忙しい。
「歴史に地理に文学に音楽に美術に。 ふうん! とても覚えきれないな。」
「急ぐことはない。 そのときどきで覚えていけばいいのだし、ゆったり構えていればいいさ。 パリでの暮らしは私に任せてくれ。」
カミュの家系は10世紀にまでさかのぼり、貴族制度のなくなった今もパリの上流階級では名士として通っている。 財産もあり、パリの広壮な屋敷にミロを住まわせることには何の問題もないのだ。 息子の命を救ってくれたことに対してカミュの両親が感謝するのは間違いない。
「だからパリに着いたら存分にあちこちを見て歩いてくれ。 今までの分を取り戻そう。 君にはその権利がある。」
「おいおい、私だってミロに一命を救われたんだ。 休暇もたっぷりともらったし、パリでは彼のためにできるだけのことをさせてくれ!」
レオナールもカミュに張り合ってパリの屋敷にミロを招待したのだが、先に救われたほうに優先権があるとカミュに笑いながら言われてとりあえずはあきらめるしかなかった。
「俺が果たして文明人の暮らしに馴染めるものかどうかわからないが、カミュに任せるよ。 ジャングルでは俺が全てを決めたが、ここでは君が王様だ。」
「いや、王というのは…」
そこでカミュとレオナールがヨーロッパの王制について詳しい説明を始め、ミロがふんふんと頷くのだ。

マルセイユから列車に乗りパリに着く。 もう一度ミロを抱擁したレオナールと翌日の食事を約束して別れるとカミュはミロを連れてサン・トレノ街の屋敷に向かった。
あらかじめマルセイユから電報を打っておいたので息子の無事の帰還に大喜びした両親から大歓迎を受け、二人の姉と弟にも紹介されたミロは家族というものを初めて知った。 電報では詳しく伝えられなかったので、カミュがアフリカでの出来事をざっと話し、ミロを命の恩人だと紹介したため下にも置かぬもてなしである。
それからカミュがミロを連れて行ったのは行きつけの洋服屋だ。 最新流行の仕立ての服を何着か注文し、寸法を測った店主に肩幅や胸の厚みをおおいに感嘆される。 ライオンと互角に渡り合うミロにとってはなんの不思議もない体格なのだが、ここパリではいかにも目立つ。
それから向かったのはシャンゼリゼでも有名な宝石店だ。
カミュ自身はあまり用がないが、母や二人の姉がこの店で装身具を買い求めているのですぐに奥に通された。上得意なので店主が出てきて応対をする。
「これを見ていただきたいのですが、こちらの品でしょうか?」
カミュが並べたものは小屋で見つけたイヤリングやネックレスなどの装飾品だ。
「ミロ、君のロケットも見せてくれないか?」
促されてミロが首にかけていたロケットを引き出すと、見事な青いサファイヤがきらめいて、およそ男がするような品物ではないだけに店主が不思議そうな顔をした。
「さようですね、どれもみなうちの店で作ったものに違いありません。」
調べ終わった店主が誇らしげに言うのは、これらが最高の品であることの証明だ。
「では、この肖像が誰のものかお分かりになるでしょうか?」
カミュがぱちんとロケットを開いた。 象牙に彫られた青年の顔がくっきりと浮かんでいる。
「これは………ちょっとお待ちください。」
店主が銀鈴を鳴らし人を呼ぶ。
「ラヴェル君をここに。」
それから店主は肖像画とミロの顔を見比べて類似点に気付いたようだ。
「ラヴェルというのはうちで長年働いている職人で、こういった手の込んだ仕事はみんな手がけています。 きっとお役に立てることでしょう。」
そこへそのラヴェルがやってきた。 六十近い年配で仕事一筋といった感じの職人だ。 ロケットを見せられて即座に自分の仕事だと認めると、それは誰かと尋ねられて首をかしげた。
「二十年前とのお話ですので、帳簿を見ないとわかりかねます。 ただいま持ってまいります。」
「すぐに頼む。」
人物が特定できればミロの身元がわかるはずだ。カミュの動機が高まってきた。 カミュの意図を察したミロも緊張の面持ちだ。 いくらカラを母親だと信じていてもやはり気にならずにはいられない。
帳簿にはたくさんの顧客の名前があったが、あのロケットは婚約か結婚の祝いにあつらえられたものに違いない。 あの日記が始まっていたのは20年前である。 とすれば注文されたのは21年位前と思われた。
「その頃に、はい、確かにサファイヤとダイヤモンドのロケットをご婚約のお祝いのお品としてお作りしております。 こちらでございます。」
指差されたページの少し色あせた青いインクの文字にみんなの視線が集中する。

   
ルイ ・ スコルピーシュ ・ ド ・ トゥールーズ

それが注文主の名前だった。


                                  



               さて、ついに仏蘭西の系譜です。
               お二人のみならず私も続きが待たれます。