その29 トゥールーズ 1 〜城〜
「トゥールーズ伯爵家の歴史は9世紀にまでさかのぼる。 今から1000年ほど前だ。 古くから南フランスの一大勢力となり、12世紀から13世紀にかけてはトゥールーズに宮廷がおかれて繁栄を謳歌した。 アフリカで亡くなったルイ ・ スコルピーシュ ・ ド ・ トゥールーズはその直系の子孫だ。 つまり、その息子である君もそうなんだよ、ミロ。」
「難しいことはよくわからんが、トゥールーズに行ったら俺はどうすればいい?」
「それは私が決めることではないけれど。 といって君にも判断が難しいと思う。
向こうの人たちと話してみて、ゆっくりと決めるといいだろう。」
パリからトゥールーズへの列車の旅の間、カミュはフランスの地図を広げながらミロに地理や歴史の話をすることに専念することにした。
先のことはわからないが、知っておいて損はない。
「ほら、あれがミディ運河だ。 ガロンヌ河から地中海近くのトー湖までの240キロを結び、1681年に完成してる。
ジブラルタル海峡の通行税を取っていたスペインに経済的な打撃を与えるために、当時のフランス国王ルイ14世によって国家の一大事業として作られたものだ。
」
「ルイって、俺の父と同じだが、フランスには多いのか?」
ミロの関心は歴史よりそっちのほうにあるらしい。
「フランス男性の名前ではルイ、ピエール、ミッシェル、ジャン、アランあたりがやや多いがとくに目立つほどでもない。」
「カミュの名前は? 多い?」
「私か?」
カミュ・フランソワ・ド・アルベールというのがカミュの名だが、説明するのは初めてだ。
「カミュ Camus は姓のほうが普通で、名につくのは珍しい。 よく似ているカミーユ Camille
は女性の名に多いが、まれに男性にもつけられることがある。」
「俺はカミュが好きだな。」
さらっと言ってのけるミロが、単に名前の好みを言っているのか、それともカミュ個人を好きだと言っているのか咄嗟に判断がつかなくて返事ができないでいると、車窓に目をやったミロが、
「あの畑はなんの畑?」
と言う。 興味のあるものを見つけるとすぐに質問するくせがついているので、カミュも名前の件を考えるのはやめることにした。
名前だろうと人間だろうと、ミロに好かれていることはとうにわかっているのだから。
「ああ、あれはブドウ畑だ。 ミディ運河の両岸はブドウの産地で、いいワインができる。」
「ワインは色がきれいでいいな。」
アフリカで飲み物といえば水しか知らなかったミロは、さまざまな飲み物を知って驚き喜んだ。 とくに気に入っているのは甘い飲み物で、ジュースはもちろん、砂糖を入れた紅茶が好みだ。
アルコールには強い体質で、すぐに赤くなるカミュよりはるかにいけるが、あまり興味はないらしい。
ただ、フランスでは水代わりにワインを飲むので透き通った赤や白を感心して眺めていることが多い。
「知ってると思うが、俺の育ったところでは水は透き通ってはいない。 河は濁っているのが当たり前で疑問にも思わなかったからな。
雨が降ったあとで葉に溜まっているのを見つけたときは喜んで飲んだ。 だから濁ったコーヒーより紅茶の方が好きだ。
きれいじゃないか。」
コーヒーが濁っているというのは考えもしなかったカミュだが、言われてみればそんな気もする。 そう聞いてからは、ミロに付き合って紅茶を飲むと決めている。
「アルベール様でいらっしゃいますね。」
列車の到着時刻を伝えておいたので、 駅前にはトゥールーズ家差し回しの馬車が待っていた。
飴色に美しく磨かれていて日ごろの手入れが行き届いていることがカミュを感心させる。
最近では、馬車を処分して車に乗り換えている家も多くなっているのだ。 カミュの屋敷でもたびたびその話は出るのだが、その決心がつかなくて今のところ馬車は健在だ。
それでも時間の問題に違いない。
それにしても、馬車で伯爵の城に行くなんて、まるでフランス革命以前の時代のようだ!
こんな田舎の道でも走っている車はけっこう多い。 新しいもの好きのフランス人は電話や電気も争って引きたがり、文明化の波は確実に押し寄せている。
駅から城までは馬車で30分ほどだ。 道の両側には一面のブドウ畑が広がり、豊かな田園風景が美しい。
昔とは違い、いまどきの貴族には先祖伝来の家屋敷を手放す例も数多くある中で、このあたり一帯はまだトゥールーズ家の所有になっている。
良いワイナリーを持っていて、そちらの方から確実に収入があがっているらしい。
「トゥールーズ家には、アフリカで発見した二人の死のことはあらかじめ手紙で伝えてある。
遺品を持って行くので信じてもらえるだろう。」
「俺のことは?」
「トゥールーズでいきなり言うのも突然すぎるので、亡くなった二人の間に生まれた遺児についても心当たりがある、とだけ書いておいた。
訪問を歓迎するとの返事をもらっている。」
二十年も消息が知れなかった先代の当主の死亡が確認され、さらにその跡継ぎが現れたのだ。
相手の驚きと動揺を考えたカミュは話の切り出し方に悩んだ末に父に相談し、トゥールーズ家と面識はないとはいえ同じ貴族出のアルベール家の名で手紙を書いてもらってある。
手紙の中でミロの存在も匂わせたので、心の準備もできているに違いない。
もし、自分の家に同じことが起こったとしたら、通りいっぺんの動揺や驚愕では済まないことを思うとカミュとしても気が重い。 あまりにも重要かつ微妙すぎる問題で、間に誰かを立てるべきかとも思ったが、ジャングルで育ったミロと、フランスでも最も古い家柄の大貴族トゥールーズ伯爵家との間の不幸にして埋もれていた事実を知る者はカミュ以外にいないのだ。 ミロがいなかったらあのまま蛮族に殺されて自分も消息不明で終わっていただろうことを思うと、なにかしないではいられない。
道はゆるやかな上り坂になり、行く手にどっしりした石造りの城がその威容を見せてきた。
「あれがトゥールーズの城だ。 君の祖母や、亡くなったルイの弟で現在の当主である君の叔父夫婦、そしてその息子夫婦が住んでいる。」
「大きすぎてとても家とは思えないな。」
それがミロの感想だった。
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画家ロートレック。
日本ではロートレックという名で知られていますが、かの地ではトゥールーズ=ロートレックと呼ばれます。
あのトゥールーズの直系の子孫です。
今回調べてみたら1864年に生まれ、1901年に死去、
なんと時代が重なっていましたが、どうしようもありません。
おそらく城はもうなくて、ロートレックの生家もアルビという町のごく普通の建物です。
財産は豊かだったようですが、さすがに昔日の面影はなかったのですね。
もちろん、この話では城に住んでいます、そこが二次創作のいいところです。
このころのフランスには地下鉄も電話も自動車もありました。
イメージが現代的過ぎるので話には採用していませんが、車くらい乗せてもよかったかも?
フランスの自動車 ⇒ こちら