その30   トゥールーズ 2 〜家族〜

城の前で馬車を降り、出迎えた使用人に来意を告げるとすぐに広いサロンに通された。 なにも聞かされていないらしい使用人たちがミロの顔を見て少し驚いたようなのがカミュの目にとまる。
ややあって現れたのは現在の当主であり、亡くなったルイの弟のアレクサンドルだった。
「はじめまして。 カミュ・フランソワ・ド・トゥールーズです。 こちらは友人のミロです。」
苗字のないのが口惜しいが、ミロの戸籍すら、まだどこにもないのだ。
「これはようこそ、遠いところをわざわざお越しいただきまして。 手紙でご用件は承っています、どうぞおかけください。 それにしても…」
言葉を切ったアレクサンドルがミロを見てひそかに唸ったようだ。
「まず私がお話を伺いまして、納得がいきましたら母をこの場に呼びましょう。 ことは極めて重大で、確かなことでなければ母に知らせるわけにはいきません。 兄夫婦が行方不明になったとき、母は気も狂わんばかりに嘆き悲しんだのです。」
「ごもっともです。 お気持ちは、お察しします。」
そしてカミュがテーブルに並べて見せたのは、例の日記と写真、そして幾つもの装身具だ。
「ああ、これは…!」
アレクサンドルが写真を手に取った。 幸せそうな若い男女が写っていて、男の方の顔はアレクサンドルとよく似ている。
「兄です、間違いありません。 やはり、本当だったのだ……」
それからカミュはアフリカでの自分の驚くべき経験を話し、海岸の小屋で遺骨と遺品を見つけたことを詳しく伝えた。 アレクサンドルは想像もしなかった恐ろしい悲しい事実に驚き、時には涙を滲ませた。 手紙には二人のなくなった有様は微妙すぎて書けなかったので、小屋のことや日記のことは彼の初めて知ることだったのだ。
日記を手に取ったアレクサンドルは、少し時間をいただきたい、と断ってゆっくりとページをめくっていった。 二十年前にルイが書き綴った記録はついに家族の元に届き、すべてが明らかになったのだ。 この間ミロは静かに座り、カミュとともに待っていた。
アレクサンドルが日記を置いた。
「よくわかりました。 すると、このとき生まれた赤ん坊が………」
アレクサンドルが息を止めたようだった。 二十年もの間、自分のものだと信じて疑わなかった称号、財産全ての継承者がいまここに現れようとしているのだ。 緊張のあまり、答えるカミュの声がかすれる。
「ええ、ここにいる、私を助けてくれたミロがその子どもに間違いありません。 日記の終わりの方につけられている指紋と本人の指紋が一致しました。 パリ警察の鑑定が出ています。」
「ふうむ………そうだったのですか……」
絶句したアレクサンドルが大きく息を吸い、そして、次に取った行動はカミュの予想外のものだった。
立ち上がったアレクサンドルはミロに手を差し出して、こう言ったのだ。
「はじめまして、ミロ。 トゥールーズへようこそ! 君の帰りを待っていたよ。」
眼をみはり、急いで立ち上がったミロが握り返した手は暖かかった。

それからアレクサンドルが使用人を介さず、自分で出向いて母親を呼んできた。 ミロの祖母に当たる人で、六十を過ぎてもなお美しく気品のある初老の婦人である。
「大事な話があるから。」 と言われただけでサロンに入ってきたその人はミロを見るなり驚いて、
「こちらはどなた? まるであの…」
と言ったきり絶句した。 それからテーブルの上に置かれていた装身具に気がついて、その中のルビーの指輪を手に取ると震える指に嵌めてみた。
「これは………覚えがあるわ……私が母からもらった大切な指輪で、私はそれをアリスにあげて………どうしてここに…」
そう言いながらほろほろと泣くので、まず椅子に座らせたアレクサンドルが順序立ててことの次第を話し、例の日記を見せると 「あっ…」 と言ったきりで涙ぐみながらページをめくっていたが、やがてどうにも読めなくなって、そのあとはアレクサンドルが読み継いだ。
「ですから、彼がアフリカで生まれたルイの子どもなのです。 正当なトゥールーズの後継者です。」
アフリカの任地に向かう途中で不幸な死を遂げた息子の日記を息を詰めて聞いていた婦人はそのことには思い当たっていなかったらしく、あっと驚いたようだった。 それはアレクサンドルがトゥールーズに関するすべての権利を失うことを意味しているのだった。
「それはあの…」
「思い出してください、お母さん、ルイが消息を絶ったとき私たちがどんなに心配して手を尽くして探したか。 私たちはあれから何年もルイの帰りを待っていましたね。 とうとう兄は帰って来なかったけれど、今日その息子が帰ってきたんです。 兄の望みが叶ったんですよ。」
「あなたが、アレクサンドル………トゥールーズの当主です。 正しいと思うことを行ないなさい。」
「ルイが帰ってくるまでここを預かっていただけです。 その間にブドウ農園のほうも順調に発展しましたからルイもきっと褒めてくれることでしょう。」
「アレクサンドル……」
「彼の名はミロです。 お母さんの孫が一人ふえましたよ。」
アレクサンドルに促された婦人がミロに近寄り、涙を拭きながら微笑んだ。
「そう、あなたがルイの子なのね。 あなたのお母様のアリスはとてもやさしくてきれいな人だったのよ。」
カミュがミロの背を押し、立ち上がったミロが少しぎこちない様子で抱擁される。 幼いときに母親のアリスに抱かれて以来、初めてミロは肉親に触れたのだ。
「ルイと同じね、髪の色も眼の色も………アリスの眼も青かったのよ……」
ミロのほうがずっと背が高く、婦人はミロを見上げて泣いた。 ミロはどうしていいのかわからなくて困ってしまったようだ。 カミュをちらっと見て、当惑しているのがありありとわかる。
「すみません、彼は長い間アフリカで暮らしていたので、どうすればいいのかわからないらしいです。」
助け舟を出したカミュでさえ、もし自分だったらなんと言えばいいのか想像もつかない。
「声を聞かせて………ルイと似ているかしら?初めて会ったけれど、あなたは私の孫なのよ。」
「あの………はじめまして、ミロです。 お目にかかれて嬉しいです。 今後ともどうぞよろしく。」
カミュに教えてもらった初対面のときの模範的な挨拶をミロが言い、それがまたルイと似ているというのでますます婦人に泣かれてミロは進退窮まったようだった。
「さあ、これからのことを考えなくては! ともかく今日は城にお泊りください。 もちろん、そのおつもりでいらしていただけたでしょうね。 母もわかってくれましたし、私の妻と息子たちを呼びましょう。 君の従兄弟に会ってやってください。」
アレクサンドルがそう言って、やっとミロは解放された。 急な進展に動悸が高まっていたカミュがそこで思い出したのは、いつもミロが首に掛けているあのロケットのことだ。
「ミロ、あのロケットを見てもらおう。」
「ああ、そうだ、忘れていた。」
きらめくサファイヤのロケットが首からはずされて婦人の手に渡される。
「ああ………覚えています、ルイはアリスに贈るためにパリの店でこれを誂えたのです。 ほら………中にルイが………ルイは思い通りの出来栄えにとても喜んで………」
涙に暮れてあとの言葉が続かない。
「ミロは子どもの頃に海岸の家でそれを見つけて、それ以来ずっと首に掛けていました。 きれいだったから宝物だと思ったのです。 写真の人の真似をしたのだといっていました。 私はそれを見てミロの素性を推測することができたのです。」
「そうですの………ほんとに感謝いたします。 あなたこそ恩人ですわ。 ルイとアリスためにご尽力くださって、子どもまで連れてきてくださって……どんなに大変な思いをなさったことでしょう。」
婦人はカミュの手を取りまた涙を流した。
「あなたのおかげです、ほんとにほんとにありがとうございます……」
「いえ、私こそミロに命を救われたのですから。」
涙と喜びが交錯する中で、ミロだけがどうしていればいいかわからなくて困惑していた。

                                  



             突然現れた跡継ぎをめぐる裁判、というようなことにはなりません。
             あのトゥールーズの家系にそんなことを考える人はいないのです。
             原作でも、多少の紆余曲折はありますがそこのところはきちんと収まります。