その31   トゥールーズ 3  〜ミロは屋根の上〜

アレクサンドルの妻と、結婚したばかりだというアレクサンドルの息子夫婦は突然の話に驚きながらミロに挨拶し、ミロもさっきよりは自然に挨拶ができた。
カミュが内心驚いたことには、トゥールーズの人々は、ミロが 亡くなったルイの子であることに疑いを持たなかった。 指紋もさることながら、あまりにも顔立ちが似ていたために疑問を差し挟む余地がなかったのだ。

「フランスの軍艦が手を尽くして兄たちの乗った船を捜索して二週間ほどたったころ、海岸からだいぶ離れた島にその船の残骸が打ち上げられているのが見つかって、我々はあきらめるしかなかったのです。 しかし、それから一年以上も兄夫婦は生きていたことを思うと残念でなりません。 あのあたりの海岸をもっとくまなく探していたら見つかったのに違いないと思うと、ほんとうに申し訳ない気持ちでいっぱいです。」
感激で胸がいっぱいになってしまった母親の相手を妻に任せたアレクサンドルが城の中を案内するというのでついてゆくと、両翼に高い塔を持つこの城の規模の大きさがよくわかる。 今は二階の一部分までしか使っていないが、五階まで数え切れないほどの部屋があり、その広さは大変なものだ。思わぬところに階段や隠し部屋があり、こういった建築にはまったく縁のないカミュも感心したし、ミロに至っては眼を丸くして驚いた。
「ここが面白いんですよ、ちょっとした秘密があるのです。」
四階のいちばん端の部屋に入ったアレクサンドルが左側の壁にかかっている古びたタペストリーに近寄った。 ずいぶんな時代物で、そうとう色褪せているが中世の狩りの様子が織り出してあるらしい。
「ミロ、これは昔の鹿狩りの様子だ。」
「俺の狩りとはずいぶん違う。 たった一頭を狩るのにずいぶん大げさだな。」
「それはしかたないさ。」
アレクサンドルがタペストリーの角を持ち上げた。
「おや? 扉が!」
「隠し扉です。 さあ、どうぞ!」
カミュが覗くと中は真っ暗だ。
「どうなっているのです?」
「これは塔に登ってゆく秘密の螺旋階段への入り口です。 表向きの螺旋階段はこの上の五階の廊下の端からごく普通に上に伸びていましてね。」
「ほう! 二重螺旋とは、いかにも中世の城らしいですね! ミロ、君がトゥールーズの人間なのだから先に上るべきだ。」
「え? 別に順番はどうでもいと思うが。」
「いや、君に先んじて上るつもりはない。 それから、言っておくが、私は怖いのではないから。」
万が一、そう考えられては困ると思ったカミュが付け加える。
「なぜここを怖がるんだ? で、螺旋階段ってなに?」
そういえば、これがミロの初めてお目にかかる螺旋階段なのだった。

ぐるぐると上ってゆくとやがて上のほうから光がさしてきて直径4メートルほどの部屋に出た。 四方に窓が切ってあって、壁の厚さが驚くほど分厚いのがわかる。
「この上にも部屋があります。 ここは入り口を見ればお分かりの通り秘密の部屋ということになっています。 子どもの頃は兄とよく遊んだものですよ。 私がここにいるときに兄が下の扉を閉めてしまったので、出られなくて大泣きしたことがあります。 困ったことにこのあたりには普段は誰も来ないので助け出されるまでずいぶん時間がかかったものでした。」
「それは大変でしたね。」
「大人になった今ではいい思い出です。 兄が無事で帰っていたらと思いますよ。」
ミロが窓の方に寄った。
「ああ、こんなに高い! ずいぶん遠くまで見える!」
窓の一つからは遥か遠くまで続くミディ運河が見えて、一面に広がるブドウ畑の緑が美しい。
「昔、戦争があった頃には、敵が攻めてくるのが遠くからでもわかるように、塔のてっぺんに昼も夜も見張りを置いたといいます。 何百年も前の話ですが。」
「あれ? あそこになにかある。」
「え?」
ミロが指さすほうをカミュが覗くと、塔の根元から続く急勾配の屋根の途中になにか光るものが見えた。 棟から2メートルほど下がったところで積もった朽ち葉に半ば埋もれていて全体の形はわからない。
「あれは、ずっと昔からあそこにあるのです。言い伝えでは、大昔の戦争のときにこの城を占領されるのを恐れた城主が、せめて宝を敵の手に渡すまいとしてあそこに放り投げたのだということですが、真偽のほどはわかりません。 あまりに遠いところにあるので棒で叩き落すことも不可能だし、ましてや取りに行くことなどできません。 そんなことをしたら半分も行かないうちに墜落死してしまうでしょう。」
アレクサンドルの言うとおりで、屋根の勾配は45度以上ありそうだし、棟のてっぺんの幅は20センチあるかないかというところだろう。
「簡単じゃないか。」
そう言ったのはむろんミロだ。
「ここの窓は狭すぎるから無理だけど。」
「広くても無理ですね。 さあ、今度はもう一つの螺旋階段で塔の一番上にご案内しましょう。」
ミロの言葉を聞き流したアレクサンドルが先に立って階段を降り始めたが、カミュとしては気にしないではいられない。
「ミロ、まさか本気じゃないだろうな?」
腕をとらえて小声で聞くと、
「こんなことで冗談は言わない。」
真面目な顔でそう言って、
「それとも、まさか俺には無理だと思ってる?」
「いや、あの、それは……」
「それなら問題ないね。」
あっさりと言ったミロが螺旋階段をとんとんと降りていってしまった。

   いや、おおいに問題がある!
   ジャングルにこんな高い場所はないし、風が急に吹くかもしれないし!
   木の一本も生えていないから、万が一足元を滑らせたらつかまるものが何もない!

下の部屋ではアレクサンドルが待っていて、ミロにパリの印象を訊いている。
「ほう! 乗馬を!」
「あれは面白いですね。 乗るということは考えもしませんでした。」
「うちにも何頭もいます。 このあとで厩舎に行きましょう。」
ミロにとって動物は敵か食料かのどちらかでしかなかったのだから、乗るというのはつい最近の新思想だ。
そんなこととは知りもしないアレクサンドルとミロが馬の話をしながら先に五階に上がり、もう一つの螺旋階段を登ると円形の部屋に出た。そこを通り抜けて屋上への階段を登るとき、ミロが傍らの棚においてあったロープの束をひょいっと取ったのがカミュの眼にとまった。 どきっとして慌ててついて上がった屋上の周囲は大人の胸ほどの高さの凹凸のついた胸壁になっていて、なるほど眺めが素晴らしい。
「昔は見えるところ全てがうちの土地でした。 今は少々狭くなりましたがね。」
「ほう!」
予想外の眺望とトゥールーズの所領の豊かさに気をとられたカミュがはっと気付いたときには、反対側の胸壁の出っ張りにロープを掛けたミロが今まさに向こう側に姿を消すところである。
「ミロ!」
ぞっとしたカミュの叫び声にアレクサンドルが振り向いてあっと息を飲んだときには、もうミロの金髪が吹き上げる風にちらりと見えるだけだった。
「なんてことを!」
二人で胸壁に駆け寄って下を見ると、早くも10メートルほど下の屋根の棟に降り立ったミロが向こうの方に歩き始めている。 さっき見つけた 『 宝物 』 を取りに行こうとしているのは明らかで、あまりの恐怖に二人して絶句した。 下手に声を掛けようものなら、振り向いたミロが足を滑らせて転落するのではないかと思うとそれもできずに身体が凍りつく。 足元から冷たさが這い登ってくるようで、血の気が引いたまま見つめていると、ずっと先の方まで歩いていったミロが棟の出っ張りを片手でつかんで暗灰色のスレートで葺いてある屋根の勾配に身を乗り出した。 さすがに慎重に身体を長く伸ばしていくと、足先で朽ち葉をそっと掻き分けて金色に輝く帯のようなものを露出させた。 吹き上げてくる風にさらわれた朽ち葉が一瞬舞い上げられたあと、長年の安住の地を離れてはるか下の地面に落ちて見えなくなった。
「カミュ君………頼むから、私の目がどうかしてるんだと言ってくれたまえ………信じたくない…」
「私も見たくないです………怖すぎる……」
眼をそらしたくてもそらせなくて二人が固まっているうちに、うまく靴の先に獲物をひっかけたミロは器用にそれを手でつかむと、ひょいっと姿勢を変えて棟にまたがった。 それからまるで口笛を吹いているのではないかと思うくらいに無造作に立ち上がって二人の肝を縮めてから、すたすたと歩いてロープの下まで戻ってきた。 風になびいた金髪が目の前をふさがないようにと二人は祈るばかりだ。
「カミュ、思ったとおりすごくきれいだ!」
「ああ………それはよかった! はやく上に戻ってきて私たちに見せて欲しいね。」
「今行く!」
上着のポケットを宝物で膨らませたミロがにこにこしながら胸壁のこちら側に戻ってきたときになって、やっと二人は大きなため息をついた。
「カミュ君、ミロはいつもこんな……?」
「ええ………ミロにとっては、ライオンも屋根の上を歩くのも赤子の手をひねるようなものらしいです。」
共通の極限状態の体験は人を近づける。 アレクサンドルとカミュはこのときからぐっと親近感が増したのだった。


                                  



         前回の涙のシーンの反動で、ミロ様、ちょっと遊んでみたくなったらしいです。
         それにしても、この宝物、いったいなに??