その35   トゥールーズ 7  〜計画〜

翌日、朝食のあとすぐにミロはアレクサンドルに、トゥールーズを継ぐ意思のないことを明らかにした。
これからの法的手続きについて検討を始めていたアレクサンドルは寝耳に水のことでたいそう驚いたが、ミロの意思の固いことを知ると同席していたカミュに気持ちは変わらないのだろうかとたずねた。
「こちらの方々のお気持ちは本当にありがたいのですが、やはりミロは生まれ育ったアフリカを忘れることはできないようなのです。 亡くなられた両親に一年間育てられたあの場所はやはりミロの故郷ですし、まったくトゥールーズから離れてしまうというわけでもありません。亡くなられたお二人の子と認めていただき、戸籍まで作っていただけたのですからミロはとても嬉しく思っています。 ただ、アフリカにいるのにトゥールーズの当主を勤めることもできかねます。そういうことなのです。」
部外者の自分がここまで言っていいのだろうかとカミュは思うが、なにしろミロがこと細かに言うのは得手ではなさそうなのだ。 カミュの話を聞いて、隣りでうんうんと頷いている。
「今日はアリスの両親や兄弟たちもミロに会いに来る予定ですが、アフリカに帰ってしまうと聞いたらどんなにがっかりするでしょう。 しかし、そうまで言われては………では、せめてアフリカに行ってから最終的な結論を出すというのはどうでしょう? なにもそんなに急がなくてもいいのでは? 母はルイの子どもが帰ってきたことをとても喜んでいますし、私も同じ気持ちです。 望み半ばで逝ってしまったルイに代わって、帰ってきてくれたミロにできるだけのことをしてやりたいと思います。」
「お気持ちはよくわかります。 ミロはどう思う?」
「俺はアフリカに行ったらますます気持ちが固まると思う。 きっとすぐに服を脱ぎ捨ててジャングルに飛び込むような気がする。」
アレクサンドルが嘆息した。 ミロの気持ちもわかるが、いくら跡を継がぬからといって、どうしてトゥールーズの正当な後継者をむざむざアフリカの奥地に裸同然の格好で住まわせることができるだろうか。 そんなことをしていて、いつか行方知れずになってしまったらいったいどうするのだ?
「では、こういうのはどうでしょう。 いくら君がアフリカを好きでも、フランスを、パリを忘れる必要はないし、またそれは不可能です。 全ヨーロッパの中でフランスこそがもっとも美しい国なのですから。 半年に一度、いや、もっと頻繁でもいいが戻ってきて欲しい。 せめてそのくらいは私たちの望みを叶えて欲しいものです。 ミロ、君だってそうしたいのではないかな? 会いたい人もいるだろう? トゥールーズもパリも大きく手を広げて君の帰りを待っている。」
ちょっと顔を赤らめたカミュがミロを見た。 昨夜の話し合いを思い出したのだ。

「もう泣かない?」
「ああ………落ち着いた、もう大丈夫だから。 もう離してくれていいから。」
「ん〜、このままのほうが気持ちいいと思うけど?」
ナラの木の枝はよほどすわり心地がいいらしく、ゆったりと構えたミロはカミュを膝に乗せて抱きかかえたまま離そうとしない。
「でも、いささか恥ずかしいと思うが。」
「そう? 初めて会ったときから抱いてたんだから、当たり前だ。」
「それは………だって、それは私が蛮族につかまっているところを助けてもらったからで。」
「うん、そうだ。 あのときからカミュは俺に抱かれるって決まってるんだよ。 今までに何度も抱いてるし。」
顔から火が出そうなことをさらっと言ってのけるミロにはもちろん悪気もなにもない。 たしかに間違いではないのだが。
「抱いてると温かい。カラがいなくなってから誰にも抱かれてないし、抱いたこともない。 とても気持ちがいいと思うけど、カミュは?」
「ええと………うん、たしかに温かくて気持ちがいい。 私も子どものとき以来だ。」
カミュはあきらめた。 どうせ泣く子とミロには勝てないのだ。
「俺がアフリカに行ったら会いに来てくれる? きっとすぐにカミュに会いたくなるに決まってる。」
「行くとも! でも、ジャングルの中を探すのは無理だし、あの海岸の家では居留地から遠すぎてとてもたどり着けない。 途中でライオンの餌になりそうだ。」
「う〜ん、それもそうか。 どうすれば会える?」
「それなら居留地に家を持てばいい。」
「俺が家を?」
家に住むという感覚をパリでようやく理解できたミロだが、ジャングルではありえない。 あの海岸の家もカミュと一緒に一晩過ごしただけで、それまでは昼間に訪れていたにすぎないのだ。
「居留地に家があれば船が着いたらすぐに会えるし、もし狩りに出かけていても中に入って君の帰りを待っていられる。」
「ああ、それはいい考えだ!」
ミロが眼を輝かせた。
「それに、居留地ならジャングルのすぐそばだから、家で寝たくないときはいつでも君の好きな木に登って寝ることができるし、嵐のときは家に戻っていれば濡れなくてすむ。 外は雨なのにベッドで寝るっていうのは最高の気分だと思う。 絶対にそうした方がいい。」
「そのときにはカミュもいたほうがいいな。 雨の日は寒いから抱き合って寝るものだ。」
「それはっ………カラが君を抱いて寝たのは、服を着ていなくて君が寒くて震えていたからだ。 君はもう文明人になったんだからアフリカでもパジャマを着るべきだし、だいいち家の中では雨に濡れたりしないから寒いはずがない。」
「ああ、そうか。 残念だな。」

   どうしてこうも動悸の高まることばかり言ってくれるのだろう
   ………それに、残念って?

木の葉を透かして見えていた城の明かりが一つ消えた。 誰かがベッドにもぐり込んだのだろう。
「カミュが好きだ。俺が最初に会った人間で、いちばん大事な友達だ。 いつアフリカに来てくれる? それとも俺と一緒にアフリカに住む? そうしてくれると嬉しいが。」
「いや、いくらなんでもそれは無理だ。 ミロこそ、ときどきはパリに来てくれ。 父も母も歓迎する。  トゥールーズにも来て、みんなに顔を見せなければ。 君はここの孫なのだから。」
「わかった。 そうする。 で、もうちょっと抱いていてもいい?」
先の計画を決めたミロが嬉しそうに笑った。 カミュはこんなときのミロの笑顔に弱い。
「ああ、好きにするがいい。」
「うん、俺はカミュが好きだ。」
ちょっと意味が違うな、と思いながらカミュはミロに任せることにした。 たしかにこの力強い腕に抱かれているのはじつにいい気持ちがするのだった。 その夜、ベッドに戻るのはずいぶん遅くなった。

ミロが居留地に家を持つつもりであることを話すと、アレクサンドルはさっそく賛成してくれた。
「費用のことはなにも心配は要りません。 本来ならトゥールーズの資産はすべてミロのものなのです。 なんなら居留地ごと買い取ってもかまいません。」
「そんなっ!」
ミロにはわからないだろうが、カミュはその発想に驚嘆する。 アレクサンドルの様子ではけっして比喩や冗談ではなさそうだ。
「私もミロに命を救われましたし、海軍士官のレオナールも同様です。 ミロのためならいくらでも用立てするつもりでいます。」
「後ろ盾がこれほどあれば磐石ですな。 ではまず、アフリカから持ってきてくださったルイの金貨、あれこそミロのものです。 あれだけでいい家が手に入るでしょう。 それからアリスの装身具はこちらで持っていてもいいでしょうか。 母が懐かしがっていますし、アリスの母親もおそらくそれは同じだと思うのです。 むろん、ミロが首に掛けているロケットはずっとそのままで持っていてほしいものです。 そのロケットのおかげでミロはトゥールーズに戻ってきたのですから。 その方がルイもアリスも喜ぶでしょう。 そして、」
立ち上がったアレクサンドルがキャビネットからミロが屋根の上から持ってきた金細工の帯を取り出した。 宝石屋を呼び寄せて細部まで磨かせたので、往時の輝きを取り戻したそれは素晴らしい美しさを見せている。
「これはミロの働きでトゥールーズの手に戻った宝です。 うちに残っている古文書によれば、十一世紀後半にこの土地を治めていたレーモン四世の所有であったものと酷似しているようです。 この人物は第一回十字軍の中心人物ですが。 正式な鑑定を経なくては確実なことは言えませんが、トゥールーズの支配者に代々伝わってきた宝物で、いつの時代かにあそこに投げられたのだろうと思います。 本物だとすれば、きっとルーブルが喉から手が出るほど欲しがることでしょうが、さて、どうしたものか。 」

   すごいっ………やはりトゥールーズだ!
   ミロこそ、その血脈を受け継いでいる正当な後継者なのだ

歴史の重みがカミュを圧倒する。 いったいこの帯にはどんなドラマが隠されているのだろう?
「これらの品々をここに置いておくかわりに、とりあえずミロの資産として50万フラン用意しましょう。 それでも本来ミロが所有するべきものに比べれば微々たるものです。 」
カミュは唖然とした。 いったいトゥールーズの資産とはどれほどのものなのか。 たいていの貴族が先祖からの家屋敷の維持に汲々としているこのご時勢に、トゥールーズはかくも揺るがぬ資産と大貴族の名にふさわしい鷹揚さを持っていた。
「それって、居留地で家を買えるかな?」
「買えるとも!パリならパレ・ロワイヤルだって買えると思う。」
「あんな大きい家は要らないな。 俺とカミュが寝られればそれでいい。」
素直すぎる発言に慌てたカミュが、
「では、私が最初の客となることにしよう。 光栄だよ。」
と取り繕って、なんとかその場を切り抜けたのだった。


                                  



                    この回でアフリカに到着するはずだったのですが。
                    予定は未定。