その37   誕生日

アフリカ育ちのミロに誕生日という概念はない。
しかし、あの日記で11月8日だとわかっているのでカミュは居留地で可能な限りの準備をし、折よく沿岸警備の任務が始まったレオナールや現地で新たに知り合いになった友人たちを招いてパーティーをした。 そういったことにまったく馴染みのなかったミロは、計画段階ではあまり乗り気ではなかったようだが、いざ当日になるときれいな飾り付けやたくさんのご馳走にいたく感心してみせた。
「ふ〜ん!これが誕生パーティーというものか! 文明人って面白いことをするんだな。 ジャングルじゃ、生まれてから一年も生きられないことが多いし、そもそも生まれた日なんて覚えようもない。 ところで、なぜプレゼントをするんだ?」
そんなことを言っていたミロも、それから三ヵ月後のカミュの誕生日が迫ってきた頃にはプレゼントのことを考え始めたようだ。
「プレゼントはなにがいい? カミュが欲しければライオンとか象牙とか、それともイノシシ一年分でもなんでも言ってくれ。」
「いや、そんなおおげさなものでなくていいから。」
「それじゃ、あれはどうだ? ええと、甘い夜っていうのは?」
「……え?」
「ほら、恋人が甘い夜をプレゼントする話。 本に書いてあっただろ。」
「……そ、そうだったかな? いや、それよりほかのものがいいな。」
ミロの誕生日には当然のごとくプレゼントのお披露目があったのだ。 やがて来るカミュの誕生日にミロが誇らしげに
「俺からのプレゼントは甘い夜だ。」
などとみんなの前で言おうものならどうなることか。 ちょっと想像するだけで気が遠くなりそうである。
「なにか注文してくれないと俺も困る。 カミュは俺にパリから取り寄せたティーカップをくれたけど、俺にはそんな芸当はできないし。」
それもそうだと考えたカミュが思い付いたのは、ミロに助けられて二人だけで過ごしていたころによく食べていた甘い果物だ。 居留地付近には見当たらなくて、もうずっと長いあいだ食べてない。
「それならあの果物がいい。 黄色くて甘くてとてもみずみずしくて。 久しぶりにあれが食べたくなった。」
だいたいの形を紙に書いて説明するとミロにもすぐわかった。
「そういえばこのへんでは見掛けないな。 わかった、あれを取りに行ってくるよ。」
往復で二週間はかかりそうなこの旅にミロが出掛けてしまうと、手持ち無沙汰になったカミュはじっくりと読書をすることにした。 目が疲れてくると居留地の中を散歩して一日を過ごす。 二週間もミロが留守にするのは初めてで、だんだん退屈して来たカミュはいつもはミロと一緒のときでなければ足を踏み入れない草原の入口まで行ってみた。 少し離れてはいるものの、居留地の町筋からも見通せる場所だったので安全だと考えたのだ。
これまでもそのあたりで野獣に襲われたことはなく、それもカミュを油断させた。 実際にはミロが警戒してあたりに注意を払っていたため襲撃をまぬがれていたにすぎないのだが、そんなことはカミュには知るよしもない。 そしてカミュを襲った災厄は、野獣ではなかったがそれに負けず劣らず最悪だった。

十日ほど経ったある日の午後、いつものように散歩に出たカミュは郵便局に寄って届いていた手紙を何通か受け取るとあの草原まで行ってみた。 賑やかな鳥の声がして遠くにはインパラの群れが見えるいつもの光景が広がっている。 そんな中で左手の大きな薮の中にあの黄色い果物によく似た実が見えてカミュの注意を引いた。
「こんなところにあるじゃないか。 同じものかな?」
もっとよく見ようと近寄ったとき、薮から毛むくじゃらな手がぬっと出てきてカミュを中に引き込んだ。 あっ、という小さな叫び声はすぐに藪の奥に吸い込まれて潅木を掻き分ける音が遠くに去っていった。 
あっという間の出来事で気付いたものは誰もおらず、散らばっている手紙だけが持ち主の不運を物語っていた。

その三日後に戻って来たミロを出迎えたのはレオナールだ。
「カミュが消えた! 三日前から姿が見えない!」
「なんだと?!!」
レオナールはミロが二週間留守にすることを知っており、あの日も夕食を一緒にすることを約束していたので訪問したがカミュがいない。 しばらく待ってみたが暗くなりかけても一向に現れないのに不安を感じ、居留地の中を探し回ってみるとカミュを見かけた者が見つかった。 郵便局の係り員が手紙を渡し、受け取ったカミュは草原の方へ歩いて行ったという。
「それで、なにかわかったのか?!」
「来てくれ! カミュが受け取った手紙が発見されたんだ!」
急ぎ足で向かう間にもミロの緊張が増してくる。
「むろん我々も手を尽くして探した。 手紙が落ちていた場所を中心に半径500メートルにはなんの痕跡もない。 つまり…」
「死体がなかったということは連れ去られたということだ。 最近このあたりに蛮族は現れたか?」
「いや、なんの報告もない。 これ以上は我々にはどうしようもなくて君の帰りを待っていた。」
「わかった、全力を尽くす。」
そう言ったミロが薮の中に姿を消し、レオナールは祈るような気持ちで見送った。

草原はともかく、一歩 藪に入ればすぐに密生した下草が捜索の邪魔をする。 まばらだった潅木もやがて密度を増して普通の人間にはとても入り込めない壁となる。 そんな土地でレオナールたちが半径500メートルもの範囲をくまなく捜索できたのはたいへんな努力だったろう。
少なくともこの付近で殺されたのではない。といって、嬉しい情報とはとても言えないが。
ヒョウやライオンに襲われたのならまず間違いなく噛み裂かれて血が出たはずだが、その形跡はない。 そういった大型獣は捕らえた獲物をその場で食べるか、でなければ安全な場所に引きずっていってそこで食う。 木に登れるヒョウであれば、獲物を咥えて手ごろな木に登り、誰にも邪魔されないところで凄惨な食事を開始する。 しかし、あたりには血の匂いはなく、獲物を引きずった跡もない。 雨さえ降らなければ三日前の血の匂いは必ずわかる。
レオナールがなにも見つけられなかったのは、普通の人間としては、という意味だ。 しかしジャングルに慣れたミロには別の探し方がある。 ミロだけが判別できる獣の通り道のほんのわずかの柔らかい土の上に幾つかの足跡が残っていた。
蛮族のものではないことは明らかだ。 ミロの仲間の類人猿と似ているが、それにしては指の広がりが違っている。
周囲を調べると少し縮れた黒褐色の毛が数本と長い黒髪がたった一本だけ少し張り出した枝に絡みついているのが見つかった。

   俺の仲間のものではない 毛の質が違う
   カミュを担いで運べるほどの体格の、見たことのない奴らだ

複数の足跡は草を踏みしだき、あちこちで小枝を折りながら西の方に進んでいる。 一組の足跡だけが深く沈み、なにか重いもの、つまりカミュを運んでいったことを示していた。 そこまで確かめたミロは痕跡を見失わないように細心の注意を払いながら全速力で後を追い始めた。
居留地に暮らすようになってからのミロはかなりの範囲を見回るようになっている。 白人にも黒人にも彼らなりの理屈で領地があるが、類人猿と人間の中間に位置するミロも家の周りを自分のテリトリーと定めて毎日の見回りは怠っていない。 その目で見ると、この闖入者たちは初めてこの土地に来たらしく、余計な回り道をしたり通りにくい道を選んだりと不器用なことこのうえない。
なぜよそ者がわざわざこの土地に来てカミュをさらっていったのかわけがわからないが、 ミロとしてはカミュをさらわれたことに加えて自分のテリトリーを侵されたという不快な思いも大きいのだ。
さらわれたのが三日前では、今現在のカミュの生死も定かではないが、彼らの通っていった道にカミュの死を示すなにものも残っていないことにすがるしかなく、ミロは可能な限りのスピードで急ぎに急いだ。
その日の夕暮れにミロさえまだ行ったことのない土地までやって来た。 暗くなっては追跡もできないと止まったときに前方の木の陰になにか動くものが見えた。 黒い大きな影に一瞬は追っているやつらかと思ったが、よく見るとそれはミロの昔の仲間の雄だった。 目の前に飛び降りてやると、ぎょっとしたように立ちすくむ。
「俺を覚えてないのか? お前と一緒に遊んだこともあるミロだ。」
類人猿はしばらく考えて、そのうちにミロのことを思い出したらしい。
「ああ、知ってる。 お前はミロだ。」
この類人猿は群れから離れて花嫁探しの旅をしてこんな遠くまで来たらしかった。
「仲間を探している。 色が白くて俺とよく似ている。 頭の毛は黒くて長い。 俺たちの仲間とは違うへんなやつらに連れて行かれたのだが、どこかで見かけなかったか?」
「色の白いやつ………?」
類人猿の記憶は長くは続かない。 それでも一縷の望みを託したミロがじっと待っていると、
「ああ、そいつらなら見たよ。」
黒い小さな目が面白そうに輝いた。
「いつ、どこでっ?」
「このずっと先の山のふもとだ。 山を登ろうとしてたな。」
毛むくじゃらの手が日の沈んでゆくほうを指さした。
「細っこい白いのが担がれてるのを見た。 足が短くて変な歩き方をするやつらで、わけのわからない言葉でギャアギャアしゃべってた。 今日の昼間だ。」
ミロの胸が高鳴った。
「それで、その白いのは生きているようだったか?」
「ええと………」
類人猿が考えていたのはほんの数秒だったのに、こんなに長い時間をミロが過ごしたのは初めてだ。
「ああ、生きてたよ、逃げようとして張り倒されてた。 弱ってるようだった。」
ミロがものも言わずに西へ走り去った。

                                 




          
ワイルドでいいですね、思いっきりターザンです。
          このエピソードはかなり原作の設定を借りていますが、
          なにしろ原作絶版ですからふんだんに使わせていただきます。
 
          ジャングルの追跡ノウハウは、いつの日か貴女の役に立つかもしれないトリビアということで。
          続きはまた明日。