その5

フランスに行くからには、まず白人の居留地を探すのが先決だ。
マルセイユを出航して地中海からスエズ運河を通り、紅海を抜けてアフリカ東岸の何箇所もの港に寄りながら航海していたときに見た地図には白人居留地が幾つも描かれてあって、そのうちのどこにでもたどり着くことができたなら本国に連絡することができるはずだった。 他の救命ボートの乗員やカミュが蛮族に拉致されたときに一緒にいた船員たちの安否が気になるが救出されたことを神に祈るしかない。
「ジャングルでは嵐のときは全ての生き物がなるべく安全なところで天気が回復するまでじっと待っている。 人間はなぜそんな危険なことをする? 海がとても深くて広いのなら、船が沈んだら岸までは泳ぎ着けないじゃないか。」
「遠くに行って知らないものや珍しい物を見たいという気持ちがあるし、いつも同じところにいては変化がなくてつまらないからだ。 嵐に遭って船が沈んだのはとても運が悪かったので、それは滅多にないことだ。」
人はなぜ旅行をするのか、という今までに考えもしなかったことを正面切って尋ねられたカミュが戸惑いながら考える。
「ミロ、君もフランスに行っていろいろなものを見たいのだろう? 動物は安定した同じ暮らしを好むのだろうが、人間には変化を求め、新しいことを発見したいという気持ちがあるものだ。 そこが動物と人間の違うところだ。」
「それはそうだ。 俺も人間だから新しいことを知りたいと思う。」
動物と人間との間にはまだまだたくさんの違い、たとえば友情とか義理とか責任とか努力とかいうものがあることに思い至るが、その全てを正しく理解させるほどにはフランス語の学習は進んでいない。 そのうちに時間をかけて説明しようとカミュは思う。

ここは海岸からかなり奥に入ったところだが、ミロの行動半径はかなり広いらしく、ねぐらにしている場所も一箇所ではないらしい。 例の手帳を見つけたのも海岸のそばで、そこには家があるという。
「家って?」
「俺が見つけたから俺の家だ。」
聞くと、そこにはほかにもまだたくさんの宝物があるという。 宝物というのがよくわからなかったが、ミロが独学でフランス語を勉強したときに読んでいた本もそこにあるらしい。
「では最初にその家に行くことにしよう。 それからフランスに向けて出発だ。」
「わかった。 行こう!」
まるで近くの公園に出掛けるかのようにミロは気楽に言うのだが、カミュの頭の中にはこれから先の遠大な計画を首尾よく行なっていくためのありとあらゆるハードルが大挙して押し寄せる。

   まずミロに文明社会の規範を理解させて、衣服を身につけることやマナーを教えなくてはならない
   それから何とかして旅券を手に入れてフランスへ行く船をつかまえて乗せてもらう
   うまくパリにたどり着いたら身分についても計らってやらなくては!

それにしてもこのジャングルの中だから無一文でも困らないが、ひとたび人間社会の中に入れば手持ちの金がなくては済まされない。 そこのところも大問題だ。
それらの難問に比べれば、このジャングルを通り抜けてゆくのはなんでもない。 カミュ一人では5メートルも進まないうちに密生した木々や蔦に阻まれて立ち往生するのが関の山で、そのうちに猛獣や毒蛇にやられて絶命するのが眼に見えているが、ミロと一緒ならどこまででも行ける気がする。 大船に乗るというのはこんなことを言うのに違いない。
このジャングルではなにもできない自分が歯がゆいが、食料や水も全てミロが手に入れてくる。 果物の中にはとても水気の多いものがあり、それを水代わりに飲んでいれば喉の渇きはなんとか癒される。 そのたびに、高熱を発したときにミロに口移しで水を飲まされたことが思い出されて顔が赤くなるのはどうしようもない。

果物ばかり食べていたカミュとは違って、ミロの食事はカミュに言わせれば劇的だ。
あるときしばらく出掛けていたミロが獲物を担いで戻ってきた。
「だいぶ手間取ったが、やっと捕まえた。」
「えっ!」
それはまるまると太ったイノシシの仔で、聞くとロープを投げて捕まえたという。
そういえば肩にはくるくると丸めた蔦のロープがかけてあり、それを投げ縄のように器用に投げて獲物を捕まえるらしいのだ。 感心しているカミュの前で、ミロはそのイノシシをあっという間にナイフでさばき、ピンク色の肉を切り取ると美味そうに口に入れた。
唖然としているカミュにすすめてくれるのはいいのだが、あいにくというか当たり前というか、カミュにはとても手が出ない。 人間が生きていくためには果物だけではだめで、魚や動物の肉が必要なのは当然だ。 当然だが目の前で血の滴る生肉を食べられるとやはり違和感がある。 といってそれに馴染んできたミロのやっていることを野蛮だというのは文明社会に生きてきた者の勝手な言い分だということはカミュにもわかってはいる。 火を起こすというのは高度な技術と知識を要するのだ。
「せっかくだが、生の肉は私には食べられない。 焼いてあればいいんだが。」
どきどきしながら断ると、ミロは首をかしげた。
「焼く? ああ、蛮族たちがやっているあれか? 火の神に獲物を捧げてわざわざまずくしてると思うんだが。 こっちの方が美味いに決まってる。」
ここに育ってきたミロとしては当然のなのだろうが、文明社会に馴染んできたカミュの眼にはかなり衝撃的な食事風景だ。 ミロが指についた血を自分の腿で拭きながら食べるので、
「これから人間の中で暮らすならそれはやめた方がいい。 今はよくてもあとで自分が困る。 大きな葉で拭けばいい。」
と助言すると、
「人間ってやつはどうにも面倒くさいんだな。」
と、それでも笑いながら木の葉をナプキン代わりにしてくれた。

肩と胸の傷もすっかり癒えてこれから先の長い旅行に支障はない。 といっても密林のほとんどの場所は木々が密生しているので、ここに来たときのようにカミュはミロに抱かれて行くしかないのだが。
「まったく文明人というのは不便だな。 一人では一歩も進めないじゃないか。」
「その代わり、船を作ったりナイフを作ることができる。 君の大事な宝物の本や鉛筆を作ったのもそうだ。」
「それはそうだ。では、その文明を見に行こう。」
こうして二人はアフリカの奥地からフランスへと旅立った。


                                    



             スエズ運河の通行 ⇒ こちら
             調べていたらこのページに行き当たりました。
             う〜〜ん、自分は行けないけれどお二人に世界一周させたくなりました。

             それで、このブログを書いた人、よっぽどのお金持ちなのよねぇ、と思っていたら、
             なんと、 「駱駝」 という雑誌の創刊記念企画に応募して世界一周クルーズにご当選っ!!
             それで夫婦で101日間のクルーズ!!
             思わず 「ええ〜〜っ!」 と叫んじゃいましたよ、なんという強運!
             海外旅行したことないけどまあいいや、なんて思ってたけどやっぱり羨ましい………
             行ったことないスエズ運河でさえなんだか行ったような気がする………はい、気のせいです。
             でも豊富な写真、わかりやすい解説、
             このご夫妻は結局本も出したのでせめてそれでも見てみようかしら。
             この本を参考にしたら 「ミロとカミュの世界一周」 なんて大長編も夢ではないかも?
             マルセイユ ⇒ ピレウスの船旅も検索だけでやっちゃいましたから可能なのでは?
             
「ぜひ、行きたいっ!」
             「う〜〜〜む、私も行きたくはある。」
             「だろ♪」

             山ほどある書きかけの話が終わってから考えさせていただきます。
             
「ちぇっ!」