その8   宝物

小屋の中をもう少し調べたくなったカミュは今夜はここに泊まることにした。 ミロは早くフランスに行きたかったらしいのだが、君の宝物を見たい、というカミュの要望に頷いた。
「この中に入っている。」
部屋の隅に置いてあったブリキの箱を持ち上げてテーブルに置いたミロが蓋を開けた。 革の袋が二つあり、大きいほうの中身を見たカミュが眼をみはる。
「あっ…!」
中に入っていたのはたくさんのナポレオン金貨で、20フランのもあれば40フランのものもある。 少しだけある銀貨は黒っぽく変色しているが、金貨はその輝きを美しく保っていた。
「こっちにも金色のものがある。」
ミロがもう一つの袋から出したものは婦人の装身具だ。 サファイヤとダイヤの美しいイヤリング、大きなルビーの指輪、華やかな細工のネックレス、いずれも金の鎖や座金がついていて高価な品だ。 もちろん亡くなった婦人のものに違いない。 小屋の中のもの全てが古びている中で、作られたときと同じに鮮烈な輝きを放っている。
「するとミロが首にかけているのも、この中にあったのか?」
「そうだ。 この絵と同じようにした。」
箱の底からミロが引っ張り出したのは一枚の写真である。 ブリキの箱が湿気を遮断していたので、こんなに高温多湿の土地に長期間あったにもかかわらず保存状態がよく、カミュを驚かせる。
写っているのは幸せそうな若い男女で服装も立派なら顔立ちにも品があり、かなり社会的地位が高かったのではないかとカミュは考えた。 女の首には今ミロがしているのと同じペンダントがかけられている。 男の顔は象牙に彫られていた人物と同じで、写真だけにミロとの類似点がはっきりとわかるのだ。 ますますミロをフランスに連れてゆく理由が強まった。
残念なことに旅券や身分証明になるようなものはなにも入っていない。 船から持ち出せなかったのだろうと推測された。

もう一つの発見はマッチだ。 精緻な細工の銀のシガレットケースに入れられており、この環境で生活するために大事に扱われていたのだろうことがわかる。 幸いなことに湿っていない。
「今日は私もイノシシを食べられそうだ。」
「それはよかった!」
シガレットケースの蓋の開け閉めを試していたミロが笑う。
「うまく捕まえられればいいんだが、見つからなかったら鹿でもいいのか?」
「鹿! むろん鹿でもいいが。」
冗談かと思ったがそうでもないらしい。 イノシシや鹿なら焼いてあれば食べる気がするが、ネズミや猿を持ってこられたら自分は食べられるのかという疑問が起こる。 

   もしも猿だったりしたら食べられるだろうか?
   ………いや、ミロは類人猿と一緒に暮らしていたのだから猿は食べないだろう、うん、そうに違いない!

勝手に結論付けたが、そもそもこのあたりにどんな動物が生息しているかもわからない。 念のため聞いてみた。
「ライオンはこのあたりには住んでいないのかな?」
気軽に聞いたのだがミロの返事は予想外だった。
「あれはまずいからだめだ。 肉を食う動物はおいしくない。 」

   ………えっ!
   するとこのへんにもライオンは住んでいて、ミロはそれを食べてみたことがあると?!

「ライオンと闘ったことがあるのか?」
「ある。 こっちから仕掛けることはないが、自分や仲間が襲われたときは闘う。」
今現在無事でいるのだから、ライオンと闘って勝ったということだ。 銃があったとしてもとても闘う気になれないカミュが、ふ〜ん、と感心して改めて見るミロの身体には無数の古傷があってこれまでの厳しい暮らしを思わせる。
「怪我をしたときはどうするのだ?」
「たいしたことのない傷は舐めておけば治る。 届かないところはほっておく。 俺が子どもの頃は力の強いやつにひっぱたかれて肉が裂けるような酷い怪我もしたが、みんなカラが舐めて治してくれたよ。」
過酷な暮らしにため息が出る。 カミュが受けた傷をミロが迷うことなく舐めたのもそういうわけだ。 幸いなことにミロの顔には残るような傷は何もなく、カミュをほっとさせた。 胸や手足にうっすらと見える傷跡は衣服で隠すことができるので人間社会の中に入っても困ることもないだろう。

ミロが狩りに行っている間、カミュは例の日記を最初から読み始めた。 猛獣や蛮族に襲われては敵わないのでむろん小屋の中である。 ミロは気付いていないが、遺されたこの日記こそ宝物というべきものに違いない。
青インクで書かれた几帳面な字体はかつてこの小屋を建てた人物の性格をよく表しており、この悲劇に至る道筋が冷静な文章で綴られている。 マルセイユを出てから一年近く書かれた後でぷっつりと記録が途絶えているのはその日で全てが終わったからなのだろう。
彼らの乗った船が災難に遭ってここにたどり着いてからの苦闘と努力の記録はカミュの胸を痛ませる。 過酷な気候、猛獣に襲われる恐怖、食料の調達、孤独との戦い、文明から切り離された暮らしが若い夫婦を悩ませ苦しめた。 そういった不安と絶望の日々のなかで輝いて見える出来事があった。 妻が子どもを産んだのだ。 初めての子どもを得た喜びが行間からにじみでて明るさをもたらしていた。

   
息子はあまり泣かない子で乳をよく飲んでいる。 小さな手を動かしているのでアリスが指を握らせてやるとすやすやと眠ってしまう。 この子が私の跡継ぎになるのだと思うと誇らしい。 果たしてその日がやってくるものかどうかはわからないが希望を持っていよう。 子どもが生まれてからの私とアリスはある意味ではとても幸せだ。

けれども悲劇がやってきた。 ある夜、眠っている間に妻が死んだのだ。 悲嘆に暮れた文章を読むのがつらくカミュは何度も涙を拭いた。

   
アリスが死んだ。 子どもは乳を求めて泣いている。 どうすればいいのかわからない

そこで日記は途切れ、そのあとのページは真っ白だ。 乱れた文字が悲しみに暮れた父親の心情を雄弁に語っていた。


                                    



             日記の部分は原作を読んだ記憶を頼りに書いていますが、あとは創作です。
             原作を読んでるときには泣かなかったのに、自分で書いていると泣いてしまうのはなぜ?