その12  ディスマルク再び

初夏のパリの通りにはライラックの香りが甘く漂い、銀色の月に誘われて出歩く者の姿も多い。
あの夜から続いている二人の外出で剣を抜くことはもうなかったが、そのかわりにミロの友人たちとは何度も会った。
騎馬でパリ市内の見回りをしている銃士隊の中にはレオナールがいて、二人を見かけると必ず合図をしてくれたし、ほかの銃士たちも然りである。
そしてこの男、ディスマルクもだ。
「よう、ミロ!カミュ! また会ったな!」
「今夜もお盛んだな、ディスマルク!」
「人生は楽しむためにあるのさ。 お前もそう思うだろう♪」
「ああ、同感だ♪」
にやりと笑ったディスマルクの腰にしがみついていた若い女が
「ねぇ、こちらの方々は? お二人ともずいぶん素敵な殿方ね♪」
と秋波を送る。 豊満な胸が自慢らしい美人でコケティッシュな魅力たっぷりだ。
「おいおい、色目を使うなよ、ミロとカミュ、俺の友達だ。」
たった一度会ったきりなのに、ミロと並べて友達だと言われた嬉しさにカミュの頬が染まる。と、ディスマルクが女から離れてミロに耳打ちをした。
「やっぱりこの世は酒と女だ。 女のよさは抱いてみて初めてわかる。 お前も早く女を作ったほうがいいぜ、なんなら紹介してやろうか♪」
「今日のところは遠慮する。 俺のことはいいから楽しくやってくれ♪」
笑って手を振ると、
「ねぇ、何を言ってたの? あたしには教えてくれないの?」
と女がディスマルクの手を引き寄せる。
「お前のことをいい女だって誉めてたんだよ! そうだろう?」
「うふん♪ 嬉しいっ!」
ディスマルクの首にしがみついた女が熱烈なキスをして、そうしたことに不慣れなカミュを瞠目させた。
「おいっ、よせ、よさないか! ほんとにお前ときた日には………」
そう言いながら自分でも女を抱きしめにかかったディスマルクに後ろ手で 「行け、行け!」 と合図された二人は慌ててその場を去ることにした。

「あの、ミロ………先夜とは違う婦人のようだが。」
思わぬ濡れ場を見せられてカミュの方は首筋まで赤い。 心臓はまだ高らかに動悸を打っている。
「そのようだな、ディスの奴はお盛んなんだよ。」
「お盛ん……って?」
「ええと………つまり、恋多き男ってこと。 そんなことより俺はすごく残念だった。」
「…え? なにが?」
「つまり、こういうこと♪」

   あ……

通り抜けていたフォッソワイユール街の中ほどの物陰にカミュを引き込んだミロが唇を重ねてきた。それはとても濃厚で、まるで戸外とは思えないような仕草がカミュの頭をクラクラとさせる。

   ミロ………ミ……ロ…

ディスマルクに挑発されたような気がしたミロが丹念に時間をかけたため、つい呼吸のタイミングを逃したカミュが苦しさのあまり首をゆるゆると振り、長い髪がさらりと舞った。
「できることならやつに見せ付けてやりたかった……ねぇ、カミュ………俺のことが好き?」
肩を包んでいたミロの手がのけぞりかけた頭を支え、こんどはやさしく胸にいだかれた。
「好きだ………とても……でも、あの………」
「ん? なに?」
「さっきディスマルクがミロに言ったことが聞こえて…」
「………あ…聞こえた?」
「あの……私は女ではないから……」
声が小さくなりその先は聞こえない。 しかし、カミュがこの関係を気にしていることは明らかだ。
「大丈夫だよ、安心して………俺は初めて会ったお前を好きになって、そうしたらたまたま男だっただけの話だ。カミュが好きだ、何を恐れることもない。 それに、大きな声では言えないが国王陛下の好みも同じと聞いている。」
「…えっ、ほんとに?!」
「だから王妃様にはなかなか子ができぬというもっぱらの噂だ。 つまりフランスでは半ば公認されたも同然なんだよ、それほど珍しいことじゃない。イギリスでも同様だ。」
初めて聞く話にカミュは驚くしかないのだが、考えてみればアルベール家でこんな話題が出るはずはない。
軽いキスを繰り返してから月明かりの中に出て、表通りを歩き始める。 紅い目と同様、夜道では染まった頬も目立たない。

   もしも紅い目が容認されても、宮廷には上がらないほうがいいかもしれん、
   王の愛人といわれているシャルル・アルベール・ド・リュイーヌとカミュは面差しが似ているからな
   陛下が年若いカミュにお目を留められたら厄介なことになる
   話を持ちかけられて断れば、伯爵家の先の見込みはない
   しかし、アルベール伯はカミュに宮廷に出ることまでは望まないし、
   カミュ自身も人目に立つことは避けるに決まってる
   伯爵位を継げないのは残念だが、静かに暮したほうがカミュのためだろう

れっきとした嫡男であるカミュが生まれ持っていた紅い目のゆえにその存在を公にはしてこなかったアルベール伯だが、出生届は出しているというのだから今からでも遅くはない。病弱だったので、とでも言い訳をして宮廷に出れば公的に認知され爵位を継げぬことはないのだ。父に頼んで後押しをしてもよい。
しかし、とミロは思う。 たとえ猟色家の国王の話を抜きにしても、世間には話のわからない人間も数多い。紅い目を見て露骨に嫌悪や蔑視の表情を浮かべる者がいないとは限らない。 いや、おそらくそちらの方が多いだろう。それにカミュが耐えられるのか?
小さいころに遊び友達として選ばれた貴族の子弟に恐怖の目を向けられていることを悟って自ら人付き合いを絶ったカミュなのだ。やっとミロに手を引かれて夜の街に出て、ディスマルクやレオノールと知り合ったばかりだが先のことはわからない。昼間にカミュと会ってみて普通に付き合ってくれたら良いのだが、一人でも拒否反応を示したら………。
「ミロ………さっきは嬉しかった。」
「……え?」
「彼に………ディスマルクに、友達だと言われた。」
声が震え、カミュが心持ち寄り添ってきた。 どちらからともなく手がつながれる。
「ディスマルクもレオノールもいい奴だよ、きっとわかってくれる。 こんど一緒に飲もう!きっと分かり合える!」
「ん………」
行く手に馬車が待っているのが見えた。