その15  ショコラ            バレンタイン協賛企画)


「これがショコラ?」
寝支度を整えたカミュの部屋へプランシェが運んできたのは不思議な匂いのする飲み物だ。
「はい、さようで。 先年、国王陛下のもとへスペインからアンヌ・ドートリッシュ様がお輿入れなさいました折に、お国のショコラの職人をお連れになりまして、それ以来宮廷ではたいへんに流行っているそうでございます。」
ベッドサイドの猫足の小テーブルにグラスを置いたプランシェが説明するところによると、貴族の間でも就寝前にベッドでショコラを飲む習慣が出来つつあるという。
「さきほど旦那様にもお持ちいたしまして、お喜びいただきました。 何種類かのスパイスが入っておりまして少々苦味がございますが、お身体によろしいかと存じます。 苦味が強くなっておりますのでご婦人方にはお持ちしておりません。」
進められるままに飲んでみると、どろりとした濃い味で、砂糖も入っているようだがたしかに苦味の方が強いのだ。
不思議がりながら飲みきると、空のグラスを盆に載せたプランシェが戸締りを確認して静かに出て行った。

ときおり蝋燭がジジ…とかすかな音を立てる。
屋敷内の人々がすっかり寝静まったころ音もなくドアが開き、ミロが影のようにすべりこんできた。 とろとろとまどろんでいたカミュに近付いてやさしい口付けを贈る。

   あ………

「待った?」
「ん…」
白い腕が伸ばされて今度はカミュの方からもう一度口付けた。
「あれ? この香りは……」
「きっとさっき飲んだショコラの香りではないだろうか。 このごろ流行っているというのでプランシェに飲まされたが少々苦い。」
思い出したカミュが口の中に僅かに残る味に眉をひそめる。
「ショコラなら俺も飲んできた。」
「え? ミロも?」
「ああ、お互い今日からとは、偶然だな。やっぱり気が合うんだよ。」
「ん……」
カミュの横に慣れた様子ですべりこんだミロがやさしく抱きしめにかかった。


規則正しい寝息を立て始めたカミュの横でミロは考える。

   プランシェは、ショコラが媚薬だっていうことを知ってるのか?
   いや、知るはずはない、知っていたら大事な御曹司にそんなものは飲ませないだろう、結婚していれば別だが

ショコラのことはディスマルクから聞いたのだ。
「知ってるか、ミロ。 このごろ流行っているショコラのレシピ。 身体にいいとかで寝る前に飲む奴が増えてきてる。 ショコラ愛飲家の王妃が持ち込んだんだが、ちょっといいぜ♪」
「ああ、名前だけは聞いている。」
「名前だけじゃ肝心なことが抜けてるな。 実はこれは………媚薬効果があるという。」
「なにっ!」
「大きな声を出すなよ。 だから寝る前に飲むのがいいって話だ。 もっとも王妃の思惑ははずれたようで、これを毎晩飲んでる国王の方はますますシャルル・アルベール・リュイーヌを寵愛し、王妃の方とはすっかりご無沙汰だというからな。 王妃にとっては、とんだ媚薬だったわけだ。」
「……ほぅ!」
「だから、嫁入る前の娘には飲ませるもんじゃない。 そもそも苦いんだから飲みたがらないとは思うが、屋敷で飲み始めるんなら男だけにすることだ。」
「ああ………わかった。」
別れ際にディスマルクがささやいてきた。
「人によって違うだろうが、効果抜群だぜ! じゃあな!」
ミロは押し付けられたレシピをどきどきしながら懐に隠したのだった。

初めて飲んだショコラはかなり苦くて女子供が欲しがる筈もない。
ミロが厨房に持っていったレシピは、サガとミロのためだけに使われた。 サガが誰かから効能のことを聞いていたかは疑問だが、飲んでもなんら問題のない立場なのだ。
「サガ様、お休み前にショコラをお持ちいたしました。」
「 ほぅ………これが?」
「ミロ様がレシピをお持ちになりまして、さっそく作らせていただきました。 身体に良いそうでございます。」
「100年ほど前にスペインのフェルナンド・コルデスがアステカの国王モンテスマと会った折に、金の杯で冷たいショコラを振る舞われたというのは聞いている。 それを持ち帰りカルロス一世に献上してから、スペインの貴族の間に流行り始めたとか。 」
「さようでございますか。 では、ミロ様にもお持ちいたしますので、わたくしはこれで。」
「……ミロに? まあ、いいだろう、あれも もう大人だ。」
「はい、もう大きくなられましたのでこのくらいの苦さは大丈夫でいらっしゃいましょう。」
「待ちかねているかもしれん、早く持っていってやるといい。」
「はい、かしこまりました。」
こんな会話があったことなどミロは知る由もない。

   ショコラか………うん、なかなか良かったじゃないか! 気に入ったね♪

こうしてスペイン王女アンヌ・ドートリッシュは、ミロ・スコルピーシュ・ド・トゥールーズにも福音をもたらしたのである。


                                   




            
ささやかにバレンタイン物語です。
            ほんとに当時の貴族の間ではチョコレートの媚薬効果が信じられていました。
            それなら苦くてもなんでも流行る筈です。

            チョコレートを固形にして食べるようになったのはかなり最近で、
            1828年にオランダのヴァン・ホーテンがココアの粉末を取り出すことに成功し、
            さらに1876年、イギリスのスローン卿がミルクを加えて固形チョコレートを作りだしたのだそうです。
            最初は飲み物だったチョコレート、それも媚薬だったとは!