その18  カルム・デショー 僧院

「やはり貴様か、ワルド! 夕方6時にカルム・デショーの裏手で待っている!」
暴言を吐いた男の横に回ったミロが冷たく言い放つ。 はっと眼を上げた男が怪訝そうな顔をしているところを見ると、ミロの言った意味がわからなかったのに違いない。
「カルム・デショーって……? ミロ、いったい俺になんの用が?」
「むろん決闘だ! 貴様は俺の友人を侮辱した。 理由はそれで充分だろう。」
「決闘だとっ?!」
気色ばんで立ち上がった男が振り返って見たものは怒りに燃えたディスマルクとレオナール、そして身をすくめながらミロを見上げている蒼ざめた顔の、忘れようにも忘れられない赤い瞳だった。
「あ………まさかアルベールの…!」
「そのまさかだ。 これで納得がいったろう!」
真っ青になった男が連れの男に促されるようにしてそそくさと出てゆく後ろ姿に、
「食事はしなくていいのか? 腹が減っては勝負にならんぞ!」
そう言ったミロがどかりと腰を下ろす。
「おい、ワインを持ってきてくれ! 気分直しだ!」
「ミロ! 飲みすぎじゃないのか? 6時までにはあと2時間しかないんだぞ!」
「お前が腕に自信があるのはわかってる。 だが、ワルドの奴だって死に物狂いで来るぜ!」
「平気さ!」
グラスに伸ばしたその手を止めたのはカミュだった。
「ミロ!………私のせいでこんなことになってしまって、どうすればいいか……」
先ほどまで紅潮していた頬は真っ白に血の気を失い、ミロの手首を掴んだその手の震えがカミュの受けたショックを物語る。
「私さえここに来なければ……」
「それは違う!」
ミロがさえぎった。
「お前がここにいなくても、奴は同じことを言ったろう。 それを聞きとがめた俺は迷わず決闘を申し込んでるさ。 トゥールーズの名と この剣の名誉にかけて、あんな奴は許せるものではないからな。 大丈夫だよ、俺は勝って戻ってくる。」
ほんとうは、お前のところに戻ってくる、と言いながらキスの一つもしてやりたかったミロだが、ディスマルクとレオナールがいるのではそうもいかない。
ウィンクをして見せて細い肩をぽんとたたくと、
「あと一本飲んだらワインはやめる。 ほら、デザートのガレットが来た! ここのはちょっと変わってていいぜ! それから、二人には決闘の介添え人を頼みたいんだが。」
パイ風の生地を薄く延ばしてその上に果物やクリームをのせてかまどで焼き上げた熱々のガレットは直径40センチはあろうかという大きさで、心配で胸が一杯のカミュにはとても手が出ない。 可哀そうに思ったミロがテーブルの下でそっと手を伸ばして膝の上で固く握りしめられているカミュの手に触れると、汗ばんだ手がすがりついてきた。 むろんこんなことはディスマルクたちから見えるはずもない。
「ミロは腕が立つぜ。 今ごろワルドの奴はしっぽを巻いて震えてるさ!」
「大丈夫だよ、カミュ。 君には初めての経験だろうが、ミロはこれで五回目の決闘のはずだ。」
ミロからの介添え人の依頼を当然の如く受けた二人が口々にカミュを慰めながらガレットを口に運ぶ。
「やっぱり美味い! ん? カミュも食えばいいじゃないか! え? だめか? もったいないな………おい、ミロ! 一口分にして口に入れてやれ! なんなら口移しでもいいぜ♪」
「ディス! 貴様、なにを馬鹿なことをっ………!」
テーブルの下で指を絡ませていた引け目もあってミロが真っ赤になった。 もちろん、さっと手を引いたカミュの頬はそれに層倍する紅さとなり、形のいい耳朶や白い首筋までもが朱に染まる。
「ほら、元気になった! いいか、カミュ! これから決闘をしようって奴には景気づけが必要だ! 陰気な顔してちゃ、いかんっ! ミロの勝利を信じてワインを注いでやれ!お前の名誉のために闘ってくれる白馬の騎士だぜ♪」
ミロの愛馬は白馬ではなかったが、ディスマルクの言わんとするところは世間慣れせぬカミュにもよくわかる。 頷いてドキドキしながらミロの空のグラスにワインをそそぎ、それぞれのグラスを持上げたとき、
「ほら、こうやって腕を交差させて♪」
「……え?」
ミロがグラスを持った右手をカミュのそれに軽く絡ませた。
「ああ、それはいい! 勝利を呼び込む幸運の乾杯だ! ほら、ディス!」
「えっ、俺たちもかよ?」
「介添え人も当事者の二人に付き合うべきだろう?」
「まあ、いいけどさ、ミロが勝ったあとの祝勝会では俺の相手は女がいい!」
「好きにしろ!」
笑いあって飲み干したワインが喉に熱かった。

カルム・デショー僧院は窓の無い妙な建物でリュクサンブール宮殿の西にあり、星猫亭からもそう遠くはない。 周りは荒涼たる草原で手っ取り早く決闘でかたをつけようという向きにはうってつけの場所として有名だ。
「でも決闘は、ずっと以前から禁止されてるのに………」
「決闘を認めれば王は自分を支持してくれる貴族を減らすことになるから、むろんたびたび禁止令は出されている。 しかし、侮辱を受けたら決闘するものだという常識はそう簡単に変えられるものではない。 そして生き残ったほうを処罰すれば、ますます国王の支持基盤は薄くなる。 それを避けるためには、恩赦を与えて生き残ったほうを罰しないでいるしかないのさ、だからいつまでたっても決闘はなくならない。」
「でも、そんなことで死んだり、一生を台無しにするのは………」
「俺もそう思う。 ましてや、そんなことで夫を失う妻や父を失う子供は、たまったものではない。 腕が立つという評判を聞きつけられて、ただそれだけのために決闘を申し込まれた話さえある。」
「………えっ!そんなことでも決闘を?」
「申し込まれて嫌だというわけにはいかないからな。 断ったら卑怯者との そしりを受ける。」
カミュは心底溜め息をついた。
「どう考えても不合理だと思う。」
「しかたないさ、ともかく俺は勝つから心配するな。」
早目がいいということで、5時半には星猫亭を出て徒歩でカルム・デショーに向かう道すがらもカミュはミロの身が案じられてならないのだ。 帽子を目深にかぶれば通り過ぎる人から眼を見られることもないのがわかったのでその点は安心だ。
「今までの決闘はどんないきさつで?」
「酒の上のいさかいが二つ、くだらない言いがかりが一つ、それからあとはなんだったかな?」
ミロがレオナールとディスマルクを振り返る。
「お前が女を横取りしたっていう嫉妬に狂った男からの勝手な挑戦状が来たやつだろ。」
「…え!」
「ああ、そうだ! まったくの勘違いだぜ、自分が女に捨てられておきながら人のせいにしてくれた! 言っておくが、俺は潔白だからな!」
「で、ミロにあっという間に剣を叩き落された挙句、喉元に剣を突きつけられてギブアップだぜ! あれじゃ、女に愛想を尽かされて当たり前だ。」
「あの………相手を殺したことはない?」
「ないさ! 余計な恨みは買いたくないからな。 肩とか腕をちょいと刺してケリをつける。」
ほっとしたカミュがディスマルクとレオナールに決闘経験を訊ねると、
「俺は8回だな、どれも女がらみだ。」
「私は2回、ごく些細なことだった。」
誰もが決闘を経験していることにカミュは驚くしかない。
「私はまだ剣も上手くはないし、とてもそんなことは考えられなくて………」
「大丈夫さ、俺がついてる! もし決闘すべきことが起きたら俺がみんな引き受ける!!」
「でも、それではミロが………!」
守ってもらうしかないおのれの弱さが身に沁みる。 ミロがその言葉を押しとどめた。
「その話は後にしよう。 ここがカルム・デショーだ。 」
殺風景な建物が見えてきた。